この6月20日で両国~勝浦間開業100周年をむかえた勝浦駅
勝浦市役所で開催されている100周年記念展ですが、今回は手元にある写真のうち、かつての勝浦駅構内のぶんと、電化直前・新線切り替え直後のころの大網周辺を探してみました。
勝浦機関区にあったターンテーブル。
位置は、勝浦駅ホームの安房鴨川寄り先端に立ったとき、北側左手に機関庫が見えて、そのすぐ北側(ホームから見て 庫の奥の方)だったと思います。S48.8.4撮影
電化後2年目の夏季ダイヤ期間中。
職員のかたにお願いしたら機関区を見学させていただけました。腕章を借りたような気が・・・
高校1年と中学3年の少年2名組です。
電車は配置はされてはおらず留置のみでしたが、当時の木原線用にキハ17系が配置されていました。
ピットにちょっと降りて見上げるは整備中のキハ16 64。
同じS48.8.4 機関庫の中から下りの「白い砂4号」マリ114編成 を見送ります。
8227M 東京10:14→12:17勝浦12:25→12:59安房鴨川
当時の総武快速線の113’系モノクラス11連(11号車方から7+4連)は、全車がまだ冷房準備車でした。
このグループの新製増備車として、このS48年5~6月ごろには、113’系初の新製冷房車6連が4本(MM'の車両番号で1112~1119の4本)登場していましたが、とりあえず外房線の各停に夏前に代走のようにして運用に入ったあと、夏季ダイヤのときには臨時の「なぎさ」「みさき」とごく一部の「青い海」に投入されました。
6連を3+3に分けて他の6連と組みあわせ、やはり新製のサロ113を4号車に組み込み、臨時に10連を組んだものです。
S48.7.22 16:57 ゆっくり勝浦へ到着する206M「なぎさ3号」新宿行き
右は8240M「白い砂7号」
その右は、勝浦始発の9258Mと9260Mの72系6連が2本
4周ずつあった循環急行は館山~勝浦間が各停でしたので、その時間帯の普通列車はどれもが勝浦以北・館山以北のみの運転となっていました。鴨川方から勝浦まで165系の普通に乗って来たあとに、急行になってしまう165系を降りて勝浦で始発の72系に乗り換えたときのアコモの落差といったら・・・
鴨川~御宿間、鴨川~那古船形間を通学していた友人たちがいましたが、めんどうだっただろうな・・
S48.1.1 14:35頃の勝浦
木原線用のキハ17系は、大原までの送り込み回送が定期で存在し、たしか日中に3往復ほど勝浦~大原間を行き来していました。浪花や勝浦でよく回送に出会いました。
時はさかのぼって昭和47年の電化前。
S47.5.27から大網駅は、スイッチバックを解消するために 新しい位置に移転しました。
私はS47.6.18に房総東線普通DCで千葉へ向かうときに初めて新線に乗りました。
早起きして安房鴨川発4:50の上り1番234Dに乗車していました。
通いなれた、旧大網駅へ向かう直線から分かれて、ぐんぐんと気動車は築堤を登ります。ちょっと感激しました。
旧線が名残惜しそうに徐々に離れてゆきます。
大網駅移転のおしらせ」駅貼りポスター
旧線時代、大網~土気間は、乗車するときはだいたい運転席直後から前方を眺めていました。
それゆえか、線形や周辺風景はほとんど頭の中に描けるくらいになってしまいました。
通いなれた旧線の大築堤を初めて外側から左手に眺めます。右が千葉方。乗車中の新線の上りDCは鉄橋付近を進行中かな?
旧線はこのあと、直線の深い切り割りの中を進み、右カーブすると新線とほぼ同じ地点へ出ます。新線のトンネル北側出口付近です。ややすると土気へ到着。
旧線の土気駅は、北側に駅本屋をもつ相対式ホームで、3番線までありました。