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904)「ゆう」使用の「房総の休日」両国行復路

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 903) の続きです。

 

 2月25日(土)の勝浦。

 駅(橋上駅)のコンコースから2・3番線ホームに降りる階段です。

 

 最近 JR駅の色々なところで見かける階段広告。

 ですが、このひな飾りのデザインが最もふさわしいといえそう。

 ビッグひなまつりの境内の階段陳列にそっくりで、これを見ればかなり行った気になってしまいます。[ いや、そ~いう問題じゃない(笑)]

 

 

 ラチ外コンコース。

 筒型のリングを並べただけでもこれだけのものができる。お見事!

 

 

 まだ1月21・22日の「SL館山」の余韻が・・・

 C414のヘッドマーク、実際に209系の現車に取り付けて、PRに走り回ってくれないかなあ。

 

 

 ホームに降りると、2番線に回送がやって来る気配。

 待っていると、12:48に大原方からE257系10連が回送で到着しました。

 

 NB-15+NB-13(東京方)でした。

 この日、安房鴨川14:06発の64M わかしお14号(本来全区間5連)が10連に増結されるようで、10連そっくりが幕張から回送されてきたものです。回9064M?

 勝浦で20分ほど停車します。

 

 本来64Mに運用される57Mの5連は、安房鴨川14:32発の9092Mわかしお82号が運転される日にはそちらに折り返ししますが、この日は9092Mの運転は無く、66Mか68Mが 始発安房鴨川から10連になるようです。

 

 回送の10連がこの先で撮れそうだ、ということで、先回り。

 

 13:42、先ほどの10連がやってきました。

 緑色の「回送表示」です。

 

 14:01 251M C418 クハ209-2142

 

 14:09 その増結車で10連になった64M。後追いですが。

 NB-15+NB-13(→東京方)

 

 14:14 9223M オールグリーン車の臨快「房総の休日」

 クロ484-2 モロ484-3 モロ485-1 サロ485-1 モロ484-2 クモロ485-2(6号車)←勝浦方

 ナンバーがきれいにそろわないのは、今は普通車(485系700番台)となってしまった 新潟の「NO.DO.KA.」が登場当初はグリーン車扱いで、以下のようなナンバーだったため↓

 NO.DO.KA. : クロ484-1 モロ484-1 クモロ485-1

 

 

 

 3月3日が終わってしまったあとの土休日(3月4・5日)にも、また3列車とも運転されます。

 

 

 


905) ダイ改日 255系化なった「わかしお3号~12号」と「ゆう」の「房総の休日」

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 3月4日(土)、今年のダイヤ改正日です。

 内房線では「改正」ではなくて「改悪」だ!という声も聞かれますし、「改訂」という表記で統一しているマスコミもあるようですが、ここでは従来どおり「改正」 と記します。

 

 改正初日の1053M わかしお3号 Be-04

 

 1053M3号、折り返し1062M12号 安房鴨川で 10:53

 東京発9:00 の3号はずっと安定的な輸送量を確保しているようです。普通車が10→8両になったのは北部ではどうなのかな?

 隣の2番線は10:57発 258M 8連 千葉12:48着

 

 

 2015年3月14日改正の前日までは、特急車両の種類によって列車番号が区別 (例:E257系のわかしお1号は51M、255系では+3000でわかしお2号は3052M、しおさいはE257系が1004M等、255系が+3000で4002M等)でした。

 2015.3.14 改正で、車種の区別なく、以下のようになりました。

 さざなみ 1M~9M、 2M~6M

 わかしお 51M~73M、52M~74M

 しおさい 4001M~4013M、4002M~4014M

 あやめ 1021M・1023M、1022M・1024M だったが、2015年3月改正で消滅 

 成田エクスプレス 2001M~2053M、2002M~2054Mでずっと変わらず。

 

 今年2017年3月4日改正で、以下のようになりました。車種の区別はありません。

  さざなみ 1001M~1009M(9号)、1002M~1006M(6号)

  わかしお 1051M~1073M(23号)、1052M~1074M(24号)

  しおさい 4001M~4013M(13号)、4002M~4014M(14号)・・・変わらず 

  成田エクスプレス 2001M~2053M、2002M~2054M ・・・・変わらず

 

 う~ん、「さざなみ」から ナンバーで「1M 」が消えた!

 「さざなみ4号」のみは255系になりました。しかし、朝のほかの「さざなみ」と夕夜間の「さざなみ」は全てE257系の5連(すべて土休日ウヤ)なので、定期「さざなみ」からE257系10連が消滅しました。

 「わかしお」は、255系は今までは茂原以北の「2号」(土休日ウヤ)のみだったのが、毎日運転の 3号→12号→11号→20号→19号→マリ回 (19号 東京20:04発以降は土休日ウヤ)にも復帰し、毎日茂原以南で見ることができるようになりました。

 

 「しおさい」は変わらずで、佐倉7:04始発の4号(土休日ウヤ)のみがE257系10連、他はすべて従来通り 255系です。

 

 255系は、インバーター機器更新のため、今まで1本ぶん運用を減らしていましたが、工事終了でもとの使用本数(平日4本、土休日5本使用)に戻りました。

 そのぶん E257系が5連X2本あまることになり、5連は19本配置11本使用(平日・土休日)になったと思われます。豊田の189系の出番がいよいよ減ってゆくかもしれません。

 

 

 「わかしお3号」の到着の12分後には「リゾートEXP ゆう」使用の「房総の休日」がこの4・5日も運転されています。

 

 9121M 「房総の休日」

 255系を撮っていて時間が無くなり、ややっ!!露出オーバーに。

 修正したので、色バランスがくずれてしまいました。

 

 

 安房鴨川では258Mの発車したあとの2番線に入り、255系と並びますが、すぐに勝浦へ向けて発車。小走りで線路わきの細道から見るだけでした。

 

 

 1062M わかしお12号 Be-04

 今度は時間があるな、とのんびりしすぎていて2両分切ってしまいました。

 5両・6両ばかり撮っていたものだから9両の長さ感覚.が・・・うっかりしていました。今日はなんだかなぁ・・・

 

 土休日は「新宿わかしお」にも原則255系が入ります。

 2本の255系が出会うのは、

 「新宿わかしお」回送が安房小湊③に留置中に、10:44に1053Mと、11:47に1062Mと。

 1061M~1070Mの勝浦折り返し時に上り「新宿わかしお」が17:02に。

 勝浦ではどうなのかわかりませんが、安房小湊では間にホームが入ります。

 

 最後に鴨川の「菜な畑ロード」

 鴨中周辺では今がちょうど満開です。

 

 どんより曇ってしまったのが残念。

 

 

 

 

 

 

 

906)見れなくなった光景・・・市川の通過線を高速通過する「館山特快」

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 3月改正で 東京~館山間の、いわゆる「館山特快」が消えました。

 

 898) の記事では、木更津駅での分割作業などを取り上げました。

 

 それ以前にも、木更津以南でのE217系の4連は撮っていましたが、撮っていなかったもの・・・

 それは15連で市川の通過線を高速通過する様子です。

 

 特急・NEX・貨物列車・回送など、市川を通過する列車に限って、市川では本線(ホームの無い通過線)を通過してゆきますが、E217系は通常市川停車なので、なかなか通過線を行く姿は見れません。

 例外的に、成田・成田空港発着の通勤快速2往復と 館山特快のみが通過線を行きます。

 しかし、改正後も残る通勤快速は朝の上り成田・成田空港発の2本、夜間の成田行き2本のみで、明るい時間に撮りやすい有名地点、下り通過線を高速通過するE217系は3月3日をもって見納めとなりました。

 なお、上り通快は朝で、逆光となります。

 

 改正まであと1週間となった 2月24日(金)、市川に行ってみました。

 

 該当の特快2839F~5839Fは

  東京②8:02発→錦糸町8:10発→(市川8:18頃 通過→船橋8:23発→津田沼8:26発→8:37千葉8:38→9:08木更津(分割)9:16発→君津・佐貫町・浜金谷・保田・岩井・富浦停車→館山10:10着。

 市川に通過の10分前に着くように、私は姉ヶ崎7:20 の快速東京行き3644F に乗っていました。市川着は8:08です。

 

 蘇我着前にアナウンス・・・「総武線市川付近で異音を検知したので、車両点検のため運転を見合わせております。快速もその影響で遅れる見込みです。東西線の西船橋~津田沼間も現在運転を見合わせております」・・・とのこと。

 運転見合わせとか人身事故とか、最近めっぽう多いな・・・。

 

 蘇我は1分遅れで発車。ところがダイヤが乱れはじめたのか、千葉入線でのろのろ~停車~のろのろ・・・。千葉着で3分ほど遅れ。

 4番線に着きましたが、すぐには発車せず。本来なら7:46発のはず。

 

 7番線に成田空港からの久里浜行きが到着。610Fで、乗車中の644F(Y-112+Y-10)と千葉をほとんど同時に発車。西千葉手前の合流地点前までE217系の15連が2本ゆっくり並走。

 千葉を僅差で後から発車した 久里浜行き610Fが先行し、当方644Fはきわめて徐行中。東京行きよりも足の長い久里浜行きを優先かな。

 610Fの後追いで7:53ごろ合流し、ゆっくり進みます。

 

 車内では「遅れる見込み」のお詫び。どうも市川~小岩間の緩行線(おそらく下り線)で置き石と思われる事象があったらしい。それで異音を感じたもよう。

 

 幕張~津田沼~船橋とゆっくり進み、船橋到着は8:16ごろ、この時点で14分延。

 もう市川までに駅間ですれ違ってしまうのが確実だ!と船橋で急きょ下車。

 

 8:16 船橋をゆっくり発車してゆく 644F Y-112+Y-10 14分延

 となりの緩行線もゆっくりです。

 

 船橋ではこんなふうにしか撮れない↓。 が、しかたない。

 列車は8:17ごろに行った津田沼行き。これはほぼ定刻の671Fのようで、Y-30+Y-132。

 

 ところで、成田エクスプレスが運転を開始したときに、ホームを高速で通過するので、ホーム端に赤い光線がびゅんびゅん流れる素晴らしいサインができたのですけれど、あれはいつ頃まであったのだろう?埋め込まれた発光部が3本ずつ光って進行方向に高速で流れるやつです。

 数年前から、そういえば最近見かけないなあ・・・と思うようになりました。通過線のある市川には無かったのですが、船橋・津田沼・新小岩・錦糸町にはあったと思うし、もしかしたら稲毛も? 千葉には無かったように思いますが・・・。

 夕夜間に動画で撮っておけばよかった。きれいだったし、高速でダイナミックだったな。

 撮っているかたか、いつまであったか、わかる方はいらっしゃいますか?

 

 

 ふと現実に返ります。

 下りも乱れ始めていて、「このあと津田沼行きが3本続くので、津田沼より先へ行くかたは各駅停車をご利用ください・・」と駅のアナウンスあり。「8:35まで千葉行きは来ない見込みです」とのこと。

 また、「館山行きの特別快速は運転の見込みがまだたっておりません」 とのこと。船橋は特快停車駅です。

 そうか、下りも遅れれば、市川通過をまだ撮れるかもしれない・・・。

 

 次の上りの快速に飛び乗りました。8:18発車でしたが、津田沼始発の880Fか君津発の726Fかと思われます。

 

 が、「市川までの1駅間にただいま3本の快速がいて、遅れる見込みです」との 車内アナウンス。ゆっくりゆっくり走り、緩行線に抜かれます。緩行の方が回復は早いかもしれない。やはり だめかもしれない・・・。

 

市川に着いたのは8:30過ぎか。

 

 8:38、下り快速が入ってきました。停車する快速はみなこうしてホーム側へ進行。

 

 ホーム端には8人ほどの撮影者が集結していました。

 船橋~市川間でも下り快速が何本も行ったのですが、撮影者がいる、ということはまだ特快が通過していない証拠でもあり、ひと安心。

 市川は通過駅なので、駅アナウンスからは特快が来るのはわからず、ポイントの転換をじっと見つめます。

 長期戦になるかも・・・。風が強く寒い・・・。

 

 8:41、意外に早く、特快2839Fが通過して行きました。23分の遅れですみました。

 

 

 

 

 

 赤の「特別快速」表示、Y-22+Y-109でした。

 もうこの光景は見れません。なんとか撮れてよかった・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

907)「ゆう」の「房総の休日」最終日と梅開花

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 勝浦ビッグひなまつり関連の臨時快速・特急は3月5日(土)に最終日となりました。

 

 快速「房総の休日」の最終日。天気が良かったので「ゆう」を撮ってみました。

 

 正面から「ゆう」を撮ると、どうもタヌキ顔になって ちょっとコッケイに見えてしまいます。

 スラントノーズを強調するために思いっきり広角で、18mmでピシャリと止まればいいのですが・・・。

 

 2017.3.5 9222M 快速 房総の休日

 スピードにのっている地点で 右側がやや余ってしまったので、少しトリミングをかけました。

 

 サイドの大きな窓を強調

 切れますが、これはこれでダイナミックな。

 

 前(奇数車方)から3両目の4号車 サロ485-1 イベントカー。

 

 トリミング無しで決まった!と思ったら  

 おいおい、そこの1本のススキちゃん、気づかなかった・・・。

 

 

 気持ちいい陽だまり。

 梅が開花していました。

 しゅんしゅんと上へ向かう枝ぶりが好きです。桜よりも好みかもしれない。

 

 

 1062Mわかしお12号 Be-03

 今改正で 255系になった列車です。

  ここ、踏切の音も潮騒で聞こえないし、突然現れるので、気配を感じれるよう集中しました。はちまんさまの近くです。

 

 

 

 

 

908) 武蔵野線色(オレンジ帯)のケヨM72編成 外房線内で試運転

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 3月7日から、外房線内で京葉車両センターの209系8連(オレンジ色の帯の武蔵野線用M72編成)が試運転を行っています。機器更新による性能試験のようです。

 

 3月8日(水)に撮影しました。

 

  試9271M ケヨM72 クハ209-514(下り方1号車)

 この前の特急がのきなみ大幅に遅れていたので、試運転だし運休になりゃあしないかと不安でしたが、7分ほどの遅れで11:43にやってきました。

 まだサイドが影の時間帯。ここはもっと太陽が西へ進んだら再訪しようっと。

 

 

 上総一ノ宮から折り返す試9272M クハ208-514(府中本町方8号車)

 折り返し時間を短縮して4分ほどの遅れで誉田へ向かいます。 

 目視でわかったのですが、1両目と2両目の台車付近からはコードが引き出されていて、試験なのがわかります。

 

 この前の時間に行った特急などを。

 11:25 1053Mわかしお3号 Be-02 クハ255-2

 

 今回の改正で255系になったもので1053Mに違いありませんが、1時間25分ものひどい遅れです。

 

 あとでわかったことですが、この日、未明にはかなり冷え込んで、しかも風がほとんどなかったようで、北総の多くの路線で架線の凍結が発生したもよう。成田線(湖北~新木)・東金線(成東~求名)・外房線・内房線・総武線など。

 千葉日報の記事参照↓

 http://www.chibanippo.co.jp/news/national/392540

 

 見たTVニュースによると、成田線では断続的に車内の停電が起きたりで、各地で車両点検(パンタグラフなど)が行なわれて、大幅な遅れになったようです。

 

 

 同じ11:25、陸橋の真下ですれ違って上る1060Mわかしお10号 NB-14 クハE257-514 

 上りも交換待ちの影響か 23分の遅れ。

 

  11:28  4144F(上総一ノ宮11:20発のが7分延)かと思っていたら、あとでそうではないことがわかりました。

 なんと一ノ宮を1時間前の10:20に発車する4034F 東京行。 1時間7分延 Y-42+?

 

 

 11:53 845F~3845F大船発 Y-129+Y-12→一ノ宮方  

 一ノ宮11:20発の4144Fに折り返す3845Fが今頃到着。43分延です。

 

 この時点では、なぜこんなにダイヤがぐだぐだなのか、実態がわかっていませんでした。

 ともかく、試9272Mが上ったので、その折り返し下りをねらうべく、大網~永田間へ移動開始。長生村経由で茂原を迂回するほうが早そう。

 

 以下次号で。

 

 

909) 武蔵野線色(オレンジ帯)のケヨM72編成 外房線内で試運転 (その2)

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 908) の続きです。

 

 上総一ノ宮~八積間から大網~永田間へ移動してきました。

 途中、永田のコンビニで昼食や飲み物を仕入れ、12:30過ぎに到着。

 撮影地点には先客がひとり。

 

 そのかたと「ダイヤぐだぐだに乱れてますねえ・・・」などと話をはじめたところ、

 まだ 試9272M(さきほど一ノ宮で撮った列車)が、なんとまだここには来ていないことがわかりました!

 

 その方は、スマホでJR東のアプリ「NETRAINS」・・・つまり列車の現在位置情報サービス、を使っていまして、その時点で試運転は本納中線で抑止をくらっているらしい。

 そのとき、茂原12:26始発の260Mが永田に停車中。そのあとを追って試9272Mが30分以上の遅れをもってやってきそうだ、という予測に。おそらく茂原発の定期列車を定時運行にもどすことを優先して 試9272Mに抑止をかけていたものと思われます。

 

 はたして、試9272Mは 260Mの3分後に、34分ほどの遅れをもってやってきました。

 予定よりも1回多く撮れるというオマケがつきました。

 

 「72M」という表示のみがあり、試9272Mとわかります。百位の2は外房線、千位の9は臨時。

 ケヨM72編成 クハ208-514(府中本町方8号車)

 

 8・7号車だけは台車付近からケーブルが引き出されていて、それぞれ第1・第4のドアから車内へ引き込まれています。この2両だけです。  

 

 外房線、いやそもそも房総には稀有なオレンジ色。

 

 

 

 

 ダイヤも乱れがこんなにもひどい、という一例を。↓

 

 上りはすっかりダンゴ運転。

 260Mから間隔わずか3分で試9272M。そして4分後(12:45)にはこの4144Fがやってきました。 Y-126+Y-12。

 一ノ宮で到着を撮った遅れの3845Fの折返しで、1時間11分ほど遅れています。そもそも、外房線では11時台を過ぎると、16時台まで上りの総武快速は無いのです。 

 

 

 12:54 1057Mわかしお7号 NB-02

 そもそもは 東京11:00.発が1時間7分延。

 これはおそらく、上り「わかしお8号」が 周辺ダイヤの乱れ→線路や駅が詰まる→抑止で1時間以上遅れ、その折り返しまで影響がひびいたものと思われます。今日の運用開始は安房鴨川なので架線凍結→パンタ点検 とは考えられず、とばっちりを受けた組です。

 

 こちらは編成変更の組、13:00通過の247M、安房鴨川行き。

 所定では11:37頃に行く4連なのですが、C408+C412の8連に変更されています。

 画像では列番がわかりにくいですが、目視で列番と後部の編成をメモっておきましたので。

 1時間23分の遅れ。

 

 

 京葉線も、線内各所で点検をおこなったもよう(NETRAIN+ を見ていた撮影地でのかたの話)で遅れています。

 4122Aの表示、11:58頃行くはずが、13:06に通過してゆきました。

 指令は今頃大変だろうな。もちろんしびれを切らした乗客も。

 

 以下所号へ

 

 

 

 

910) 武蔵野線色のケヨM72編成 外房線内で試運転 (その3 永田・本納・一ノ宮)

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 909) の続きです。

 

 大網~永田間にて

 試9273M ケヨM72 

 クハ209-514 モハ209-527 モハ208-527 サハ209-554 サハ209-553 モハ209-528 モハ208-528 クハ208-514(8号車)←府中本町方

 最後尾の、電柱とのかかりが良くないので、この後のコマも載せてみます。

 

 

 

 

 本納~新茂原間に移動してきました。

 午後になり、上りに対してサイド順光となる茂原~八積間の陸橋がいいのですが、間に合わなそうなので、ここで。

 13:41 1062Mわかしお12号 Be-02

 本来なら13:35には東京に着く列車です。56分延。

 

 試9274M

 見渡せるこの先の方に停車していました。ここで緊急停車の試験を行ったようです。まもなくゆっくりと進来してきました。

 

 

 このあと、上総一ノ宮~八積間 へ戻ってきました。

 14:35 1059Mわかしお9号 NB-14 クハE257-514

 屋根上がキレイです。全検終了後まだ間もないのかな?

 東京発定時なら13:00発の安房鴨川行き。遅延は36分ほどになってきました。

 

 以下次号で

 

 

911)ケヨM72編成試運転(その4)一ノ宮の桜は・・・

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 910) の続きです。

 

 武蔵野線色の209系M72編成の試運転、3往復目の下りを迎え撃つべく 上総一ノ宮の陸橋へ。さて、桜の状況は・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


912) 「ゆう」房総一周 団臨 千304(地酒試飲ツアー)で。(往路外房線編)

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 3月25日(土)、485系「リゾートエクスプレスゆう」が団臨で房総を一周しました。

 両国7:49発 9237M→10:05大原

 大原11:55発 9239M→12:36安房鴨川12:37 9142M→13:31館山 以上千304-①

 館山14:00発 9144M→14:28浜金谷

 浜金谷16:05発 9146M→18:28両国  以上千304-②

 

 1月からのキャンペーンのフィナーレ企画となれば一応撮りに行こうか、と出撃。

 

 まずは上総一ノ宮~東浪見間へ。

 撮影者10人弱、神戸ナンバーの車もあってびっくり。近所の子供たちも2人。

 

 9237M 9:50  後部のほう、空席もあったような・・・

 

 

 

 乗客が大原で下車し、木戸泉酒造へ向かったと思われるころに、車両は太東へ戻って、さらに折り返しで大原へ向かいます。

 10:21 回9238M(大原10:15→10:23太東) 

 長者町~太東で。逆光なのでちょっと・・・。

 

 

 

   10:42 回9239M(太東10:34→10:45大原) 

 三門~大原で

 

 

 参考に、募集のチラシ から、(以下引用)

JR東日本千葉支社では、2017 年1 月~3 月まで房総観光キャンペーン「ちょっとひと息、房総休日。~春びより~」を開催しております。

今回、キャンペーンのフィナーレ企画として、千葉の地酒(8種類)をお座敷列車の車内にてお楽しみ(試飲)いただける地酒ツアーを発売いたします。
車内では、地酒に相性の良いおつまみ弁当やおつまみセット、デザートには地元で愛されている館山中村屋のモカソフトをご用意いたします。房総の自然豊かな車窓と共にお楽しみください。
また、大原駅では「木戸泉酒造㈱」の酒蔵見学および試飲・お買物、浜金谷駅では、房総のお土産を沢山取り揃えている「ザ・フィッシュ」にてお買物が出来ます。
この機会に、ぜひ美味しい房総の地酒を車窓と共にお楽しみください。

【発売日時】2017年3月1日(水)14:00
【出 発 日】2017年3月25日(土)
【行 程】お座敷列車「ゆう」(485 系)
両国駅(7:49 頃発)⇒(車内にて地酒の試飲)⇒大原駅(10:05 頃着)木戸泉酒造㈱(酒蔵見学・試飲・お買い物) 大原駅(11:55 頃発)⇒(車内にて地酒の試飲)⇒浜金谷駅(14:28 頃着)
ザ・フィッシュ(お買い物) 浜金谷駅(16:05 頃発)⇒⇒⇒⇒両国駅(18:28 頃着)
【募集人員】100 名
【旅行代金】両国駅発着おとなおひとり様 15,000円
※記載の発着駅以外にも設定駅があります。
こどもの設定はありません。
【食 事】おつまみ弁当

 

【旅行代金に含まれるもの】行程区間のJR 乗車券・グリーン料金・おつまみ弁当
おつまみセット・酒蔵見学・びゅうオリジナルボトル(清酒300ml)・モカソフト
【申 込 先】びゅうプラザ(旅行カウンター)、またはびゅう予約センター(電話申込)
※詳しくは、主な駅に掲出される専用パンフレットまたは千葉支社ホームページをご覧ください。

  http://www.jreast.co.jp/chiba/

  http://www.jreast.co.jp/chiba/news/pdf/pre1702_jizake.pdf

  http://www.jreast.co.jp/chiba/view/pdf/a6557.pdf

   (引用おわり)

 

 「ゆう」の大原発は11:55、館山までは直行します。

 時間があるな・・・・、土曜だし、いすみ鉄道へキハでも撮りに行ってちょこっと時間をつぶし、その後鴨川あたりへ下って太海~江見間等へ向かう予定を組み、いすみ鉄道へ。

 ところが、キハは大多喜以遠に入っていて、大多喜行きで上ってくる時間。

 そこで、大多喜の先へ向かいます。上総中野→黄和田畑→亀山湖→鴨川と短絡すれば間に合うかも。

  (以下次号で)

 

 

 

913) 「ゆう」の後、菜の花とコイノボリのいすみ鉄道へ

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 912) の続きです。

 

 三門付近で「ゆう」の回9237Mを撮ったのが10:45ごろ。

 そのあと1か所下見(大原の北側にできた陸橋)をして、大原付近で時間ができたらまず行きたくなる いすみ鉄道へ。

 キハ52+キハ28はこの時間、大多喜の先で往復しています。

 

 大多喜の先へ直行するのに 久我原や総元まで入るなら、上総東の西側の山田交差点からまっすぐ西(新田野・国吉方向ではない)へ進み、県道82号線を西~南へ短絡。市野郷から佐野交差点で国道297号線へ出ると、ちょっと戻れば三又交差点で、総元はまもなくです。

 

 

 総元のすぐ東側の踏切。

 もう小さなコイノボリが泳いでいました。

 

 102D(大多喜11:07)には間に合わないのはわかっていましたので、その折り返し103Dを待ちます。

 外房線にいた時とはうって変わって、時間が流れるのがゆっくりしていて、まるで別世界に来たよう。たまて箱にはいったようです。

 

 これを撮っていたら、通りかかったおばちゃんが 「この先の不動滝に行ってみなさいな。コイノボリが川を渡って42匹もかかっていますよ。歩いてすぐです」と声をかけてくれました。

 103Dを撮ったら行ってみよう。

 

 

 向こうにも大きなコイノボリ

 

 11:52 103D

 

 

 

 

 

 

 歩いて5分もかからない黒原不動滝へ。

 薫風わたる・・・とはいかず、風がほとんど無かったのが残念。

 

 

 

 たまて箱に入ってのんびりしていたものだから、ふと気づくと、「ゆう」の9142Mを房州大橋あたりで、というのはもう間にあわなくなってきました。内房線区間はもういいや。

 

 というわけで、103Dの折返しの104Dを西畑付近でねらう作戦へ。というのは、もしかして、西畑の有名なコイノボリがもうかかっていれば・・・と思ったからで。

 

 

 12:17 104D 大多喜から「急行2号」

 菜の花はどこも盛んですが、コイノボリはまだでした。

 

 4月1日は雨の予報(3月29日現在)なので、2日に沿線の桜(ソメイヨシノ)が間に合うかどうか。無理だろうなあ。

 あるいは8・9日までもつか、というのが微妙なところ。

 

 

 

 

 

 

 

914) 遅くて長持ちな今年の桜 小湊鉄道月崎・上総大久保(昨日13日)

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 東京の桜はほぼ散ってきたようですが、今年全国で最速の開花・満開となった東京の桜に比べて、山間部に位置する小湊鉄道やいすみ鉄道沿線はまだ満開状態。

 

 十年前ごろだったら、房総の平地の桜(ソメイヨシノ)は東京よりも2~3日早いと思っていましたが、ここ数年は東京のほうが早いことが続いています。

 さらに山間部となると、平地や沿岸部よりも数日遅く、15~16日の週末でもまだ十分見れそうです。

 

 2月1日からの毎日の最高気温を積算して、それが600℃をこえたときに、開花がはじまるそうです。東京の都市気温の温暖化でそうなったきたのかもしれません。

 

 8~9日の週末は天候が悪く雨。(その前の週末も天候悪いかった)

 したがっていすみには行きませんでしたし、その後もなかなか天気のいい日と時間がとれそうな日が合致しない。やっと13日(木曜)に、晴れそうだったし、夜勤明けではあるものの 夜まで時間がとれたので小湊鉄道沿線へ。

 

 13日の月崎。

 上総大久保よりもここの方が花付きが今は豊満のようです。

 撮影者が多くなってきたのか、かつてほど自由に歩き回れなくはなりました。線路内立ち入り禁止、まあ当然です。かつてがゆるすぎたのかもしれません。対向ホーム跡にはロープが張られ、さらに駅ホームから南側にはいっさい行けなくなっています。これは数年前からか。南側の踏切へはぐるっと回ってくださいとのこと。

 駅待合室には臨時売店が出張中。

 

 

 

 

 

 

 キハ214+208←中野方

 15:26の38列車です。

 

 

 

 

 月崎~上総大久保へ移動

 

 

915) 小湊鉄道 上総大久保の菜の花と 飯給の桜

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 914) の続きです。

 

 月崎~上総大久保で。

 

 15:49ごろの29列車。キハ210+?→養老渓谷方

 

 

 

 上総大久保駅付近にも桜は咲いていますが、この時間になるとあまり光線の向きが思わしくなく、駅付近での撮影はパスしました。陰になる部分が多くなっています。

 

 次には里見へ向かうか 飯給へ向かうか迷うところですが、飯給の今日の集客状況はどうかな?と先に寄ってみると、なんと駅付近はもうクルマでがいっぱい!!16時少し過ぎた時刻です。

 違法駐車を見張るミニパトもまわっていて、さぞや撮影地は満員だろうなと思われます。もちろんライトアップの桜が目当ての人ばかりと思われ、これは里見へ寄っている時間なぞもう無い、と飯給のみに絞りました。

 

 さて駐車場。

 幸い「いちはらアートミックス」(4月8日から開催中)目的と思われる無料駐車場が、離れたところですが増設されていて、その養老川を渡った右岸の駐車場に置いて駅まで4~5分ほどゆるい坂道を上って歩くことにしました。それが一番安心ですが、その駐車場も私が入るともう満車状態。

 ここは駅至近だし、広報されているように列車で来るのが便利です。遠方から車できてしまったときも、遅めの時間なら付近の小湊鉄道のほかの駅に駐車して数駅乗ってくるとよいと思われます。

 

 40列車が上るのを踏切手前で見送り 撮影地に着くと、もう100人近いかと思われる撮影者が集結していました。大阪をはじめ、遠隔地からのナンバーも。

 

 なんとかいい地点を確保できましたが、駅対向側での最前列はもう私で最後、といったところ。16:20ごろです。田んぼのサイド側には少しだけ余裕が残り、駅向かい側はそのあと人垣が二重になってゆきました。

 ライトアップ目当てなので、みなさん三脚が必須。従ってあまり間隔を詰められません。

 

 31列車 16:29 

 この時間帯は、平日のほうが列車は多いです。

 幸い風が無く 水鏡くっきり。

 

 

 

 17:36 44列車

 日没が近く、色が失せてゆきます。

 時折りカエルが頭を出して水面を進んでゆきます。「列車が来るときに水鏡を乱さないでね、お願い!」と念じていました。

 

 

 18時ごろのようす。

 暗くなってきても、人は減るどころか 徐々に増えてきます。もちろん桜のライトアップが目当てなので。

 なかには、いい場所確保のために朝イチから来ていた人もいる(近くにいたひとの話)そうで、お疲れ様です。

 

 以下、次号で。

 

 

 

 

 

916) 飯給の桜・・・夕景から夜景への変化を楽しむ(13日)

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 915) の続きです。

 

 4月13日(木)の小湊鉄道飯給。

 日没時刻が近づいてきました。

 

 4月13日の現地市原市(市役所の位置基準)での 日の入り時刻(太陽の上辺が 計算上地平線に消える瞬間)は標高0m地点で18:11です。(参照→国立天文台の「こよみの計算」)

 

  17:37 44列車 キハ201+205←上総中野方

 

 

 17:46 35列車 キハ214+208→養老渓谷方

 キハ214は「市原アートミックス」のPR車。

 

 

 18:26 46列車 キハ214+208←養老渓谷方

 

  ISO=400、f=3.5、1/15秒、露出補正-1.7、WB=オート

 

 18:37 37列車 キハ210+?→上総中野方

  ISO=400、f=4.5、1秒、露出補正-0.3、WB=オート

  (PCへとりこんだあとに、明るい方へ若干補正しました)

 わずかな停車時間のあいだに、露出補正 -1.7~+0.3くらいしながら数枚撮りました。そのうちの1枚です。暗くなってすぐのころの時刻には、モニターの明るさに惑わされることが多いので。

 

 ISO=400、f=3.5、1/2秒、露出補正-0.3、WB=オート

 

  19:32  50列車 キハ210+?←上総中野方

  ISO=640、f=4.0、1.3秒、露出補正0、WB=オート

 

 おなじみの構図です。しかし、左のほうに続く桜には光があたっていないのでこの時間にはもう真っ暗。したがって真っ暗になるとこの構図以外はそう簡単には撮れないのです。

 

 隣にいらっしゃった京急の鮫洲から電車で来た老夫婦は、この暗くなってからの夜景も撮りたそうでしたが、この50列車に乗らないと帰りがかなり遅くなるようで、残念ながら乗ってゆかれました。

 この次の上りは、1時間35分後の21:06発の54列車となり、五井着で21:58となってしまいます。

 

 このあとは2~3割くらいのかたは撤収開始。

 しかし最終までねばるのか、全く動かないかたも2~3人組中心に結構いたのには驚き。

 

 私は・・・帰途につきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

917) 1992年5月の大宮にて。つばさ・白山・あさま・新特急草津など

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 900) の記事を書いた際に、当日の大宮付近での画像をいろいろまとめていました。

 この際 続きを書いてみます。

 

 あらためてこの頃(JR発足初期) をとりあげたいな、と思ったのにはわけがあります。

 それは、JR発足30周年記念ということで、JTBの(大判)時刻表が復刻発売されていて、1987年4月号、つまり JR発足のときの時刻表を買ってしまったからなのです。

 う~ん、あのころがよみがえってくるな、リアルに。

 ずっと読んでいられる・・・。

 

 なお、1987年3月号(国鉄最後の3月)も同時発売されていますが、中身はどちらもほぼ同じ1986(S61)年11月改正版。当時、国鉄監修JR時刻表(弘済出版社)や国鉄最後の時刻表も買っているので、今回4月号にしました。税込み1890円です。復刻版としては安いです。

 かつて交通公社の5冊セットが発売されましたが、5冊で14000円(+税)でした。

 

 1992年5月の大宮。JR発足5年1か月です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

918) 1992年5月の上野 あいづ・あさま・ひたちなど

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 917) の続きです。

 

 与野で撮ったあと、上野へ。

 当時、「あさま」・「白山」の信越特急と、「スーパーひたち」・「ひたち」の常磐特急が毎時00分、30分発で同時発車が見られました。

 00分発は常磐特急は651系になることが多かったですが、30分発は「ひたち」の485系と信越特急の同時発車。そちらがねらい目でした。

 

 1992.5.12 上野15番線 15:15発  17M「あいづ」

 クハ481-1508 M'M Ts M'M M'M-1016 クハ481-1019←上野方

 

 大宮で13:40ごろに撮った上り22M「つばさ2号」がここ15番線で 17M「あいづ」となって折り返してゆきます。今まさに発車してゆくところ。

 16番線では上り3042M「白山2号」が 折り返し「あさま25号」となる整備中。

 幕回しをしていて、「しらさぎ」が見えます。金沢車らしい幕です。

 

 クハ489-702 の幕回し。「シュプール信越」

 

 続いて「スーパー雷鳥」

 最終的には、15:30発「あさま25号」となります。

 

 「あさま」には2往復の489系金沢車の運用があり、もちろん「白山」との共通運用組です。

 当時、長野車セにも489系9連が2~3本配置されており、そちらは「あさま」色で489系200番台の貫通車でした。末期はかなり傷んでいて、運用も 限られたもの+臨時中心だったような。

 

 

 15:30同時発車の2本が並んでいます。

 16番線:3025Mあさま25号 クハ489-302・・・・・クハ489-702(上野方)

 17番線:1065Mひたち115号 勝田の485系モノクラス7連。上野方1号車はサロ481の先頭化改造車が組み込まれていて、小窓が目立っていました。

 18番線は16:00発1023M「スーパーひたち23号」の651系4+7連です。

 

 00分発「スーパーひたち」651系が17番線の方にくる時間のほうが多く、そのときは30分発は18番線。従って同じホームの両側から同時発車、しかも両者が旧国鉄車という組み合わせは貴重だったと思います。

 

 15:30発車の両特急「あさま」と「ひたち」の後追い。

 「あさま」は、常磐線の高架ホーム発着上下線と高崎線の高架ホーム行き上り線をくぐるので、すぐに両者は分かれてしまいます。

 鶯谷の陸橋からもねらってみよう、と思っていましたが、間隔がはなれてしまうし、なかなか機会がないまま終わってしまいました。

 

 そして、この時から四半世紀もの時は流れ 2017年、485系自体も、最後の新潟3000番台R編成(R28)編成が3月に引退してしまいました。

 これで 485系は ジョイフルトレインを除いて全廃となりました。大きく時代はかわりました。

 最後は2017年3月18日の「ありがとう485系羽越」の新潟~酒田、19日の「ありがとう485系信越」の新潟~直江津でした。本当に長いあいだ、お疲れ様でした。ううっ・・・(涙)

 

 また、追いかけるように4月に引退してしまった583系の画像も、お別れ特集とすべく集合させています。しばらくおまちください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


919) 583系の引退によせて(その1) 定期特急 字幕の時代

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 とうとう名車583系が引退してしまいました。

 

 この4月8日(土)に「さよなら583系 日帰りの旅」の団体臨(秋田~弘前間2往復、秋田発と弘前発の各ツアーを設定)がN1+N2編成(6連)で運転され、それが最後となりました。4月9日には秋田駅で同編成の展示会も行われたようです。

 

 4月2日・8日のツアーの募集パンフ→ http://www.jreast.co.jp/akita/press/pdf/20170217-2.pdf

 4月9日の車両展示会の案内→ http://www.jreast.co.jp/akita/press/pdf/20170314.pdf

 

 その後、4月27日には土崎駅へ自力回送され、秋田総合車両センターに入場となったようです。

 

 初めて寝台特急に乗ったのが 昭和49年3月の583系「ゆうづる2号」、それ以来の長い長い思い出をありがとうございました。(簡単には言い尽くせない・・・)

 

 今回、惜別の想いをこめて、昭和49年からの583系の写真を少々あつめてみました。

 

 

 昭和49年、にぎやかだった上野駅地平ホーム。夜行列車が出発する時間帯がはじまりました。

 s49.3.23 19:20ごろ 上野19番線の5013M「ゆうづる1号」 上野19:50発→5:03青森

 このあと、手前側20番線のは続行の「ゆうづる2号」(上野20:00発)が入ってきます。その2号に乗車しました。

 向こう18番線には 8103レ「八甲田52号」がEF57牽引で待機中。

 上野19:24発→(仙台は東北新幹線工事で夜間は経由せず、長町から宮城野貨物線経由)→6:47青森

 EF57にはパンタが中央に寄ったタイプと、このように前後に離れたタイプがありました。

 その向こうの17番線にちらりと見えるキハ58は 1104D「いいで・ざおう2号」

 新潟12:02発→(磐越西線経由)→14:14 会津若松 14:21→15:33郡山 (山形12:40発の7404Dざおう2号を併結)郡山15:56発→19:08上野

 

 

 s49(1974).3.30 青森1番線で。7:10着の 5M「はくつる」

手前上野方より クハネ583-9 サロ581-3 モハネ582-9 モハネ583-9 M’M-96 サシ581-14 M’M-65 M’M-94 サハネ581-17 クハネ583-?(13号車)→青森方(盛アオ車)

 

 昭和50年代初期より以前は北海道連絡はまだ鉄道が主流。航空機はシェア5%以下だったと思います。青森駅の東側には連絡船へ押し込まれるか出てきたかの貨車が止まっていました。

 連絡船の乗船口は一番前のほうだったので、上野寄りの号車から下車した客たちは、混雑時は急ぎ足で乗船口へ急いでいました。多くの客は桟敷(さじき)スペースです。

 グリーン車は上野駅の都合で2号車なのですが、グリーン車から下車した客は13号車の先までが遠くてたいへんだったと思います。まあ、グリーン客は連絡船でも(急がなくても間に合えばいい)グリーン(\400)か 寝台(上段\1000、下段\1100) だったでしょうが。

 

 このころ、「ゆうづる」は5往復中の3往復が583系。下り1・2・3号(順に5013M・13M・15M)、上り3・4・5号(順に14M・5014M・16M)です。そのほかの2往復はまだ20系で、そちらは足が遅く、北海道連絡というよりも、盛岡付近~青森間と東京を結ぶ役割が大きかったと思います。

 なお、列車番号の下2桁が同じものは、青森の時点で3・5・10分の間隔で雁行します。15Mは5M「はくつる」と、16Mは6M「はくつる」と雁行し、それぞれのペアは青函連絡船では同じ便に接続となります。

 「ゆうづる」の5往復(以後7往復まで成長しました)と比べて、「はくつる」は北海道連絡に特化した583系の、孤高の5M・6M(1往復)時代が長く続きました。

 

 その後、定期寝台特急としては居住性向上のため2段化が進み、3段寝台の583系は24系25形や14系15形に徐々に置き換えられてゆきます。

 定期寝台特急としての583系最後の時代、1993年12月改正で急行「八甲田」を格上げし、583系「はくつる」は2往復となりました。しかしそれもつかの間、翌1994年12月改正で1往復は臨時に格下げされてしまいました。

 その残った1往復もこの1994年12月改正で24系25形になってしまいました。これにて定期583系寝台特急は消滅となりました。(臨時は「日本海」や「あけぼの」にあり)

 

          ◆            ◆            ◆

 

 さて、そのころ581・583系の西の基地:南福岡車は・・・

 581系がまだまだ活躍していました。

 s51(1976).5.14 8:36 舞子にて。3004M「彗星3号」 宮崎19:06発→9:36新大阪

 クハネ581他12連(6M6T)、発車してゆく東海道山陽線の103系各停をぬいてゆきます。

 タイフォンカバーがシャッター式でないクハネを見たらまずクハネ581形です。しかしクハネ581形にはシャッター式もあり、シャッター式を見た場合、581か583かは前面からはわかりません。

 

 

 1976.5.14 8:48 28M「明星6号」  舞子~垂水で。

 西鹿児島19:19発→10:22京都

 こちらのクハネ581はシャッター式のタイフォンを備えています。

 

 松林と砂地に癒される舞子公園でしたが、今やこのバックには大きな明石架橋とその取り付け部がど~んとそびえ、風景は一変してしまいました。

 

 

 1976.5.14 9:48 36M「明星7号」

 西鹿児島19:50発→10:46新大阪

 クハネ581他12連。進行方向右側の窓が5枚なのがクハネ581の証。クハネ583形は機器室を改善して定員を増加したため、この右側大窓が7枚あります。

 

 6号の次の7号なのに、なぜ28Mの次が36Mなのか不思議でした。季節列車や臨時列車に 「明星5号」6030レやら、「金星51号」9032レもあり、列番はそちらと通しで振られていたのかもしれません。そしてかつてあった列車は廃止されて空番になったナンバーが存在したのかも?なお、34レは熊本・長崎発の「明星4号・あかつき3号」でした。

 付属でなく本編成が「あかつき」の系統には41・43・8045・8047、42・44・8046・8048があり、すべて客車(14系が中心)となっていました。

 なお、このころの年末やお盆等に「夕月」が581系で運転されていましたが、とうとう撮れずじまいでした。

 夕月 8001M 岡山19:00→9:00宮崎 (全車座席指定、G車あり)

     8002M 宮崎20:38→8:30岡山 (全車座席指定、G車あり) 以上s50年11月訂補の時刻

 

 

 1976.9.16 8:46 28M「明星6号」

 西鹿児島発京都行 右側窓5枚のクハネ581 朝霧にて

 

 この2年後には絵幕の時代がやってくるとは全く思っていませんでした。

 「ひばり」や「はつかり」のリバイバル運転で黄緑色の字幕が登場したことがありましたが、私は西でも東でも、いつも現役時代は黄色の文字しか見た記憶がありません。

 

  ( 続く )

 

 

 

 

 

 

 

                               

 

920) 恒例のG.W.お座敷臨時 今年は「お座敷外房」に「華」使用 (5月3日)

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 「ニューなのはな」が引退してしまって初めての大型連休です。

 今年、「お座敷内房」(4月29・30日運転)は「リゾートEXP. ゆう」でしたが、「お座敷外房」(5月3・4日運転)と「お座敷水郷」(5月5・6日運転)は、今は高崎へ移っている 485系和式電車「華」使用となりました。

 

 3日、外房の太平洋は、高いところに少しある層雲らしき雲(いわゆる高曇り)のせいか、思ったほどに青くない。そこでサイド逆光をさけて 山生橋梁ではなく、ほかのところにしました。

 

 回9164M 太海~江見

 

 

  来年以降の参考に時刻を・・

 9221M 新宿8:05発→8:53千葉8:54→9:56大原→10:11勝浦10:17→10:42安房鴨川①

 回9164M 安房鴨川①10:47→11:13千倉11:23→11:34館山

 回9163M 館山15:17→15:57安房鴨川

 9222M 安房鴨川16:03→16:14安房小湊16:32→勝浦16:55→大原17:09→18:34千葉18:36→19:28新宿

 

 回送は千倉で10分止まるので、もし先行できれば、と思い追っかけ。数分前に着きました。

 

 

 3両目の向こうあたりにコイノボリがはためいていましたが、隠れてしまいました。

 館山電留には行かずに撤収。

 

 最後に、この春2月頃~G.W.までの、房総・北総・および千葉県西部へ入線した臨電の状況(主なもの)を記録しておきます。(一部業務ネタ)

 2017.2.6~7、9~10 「宴」 郡山発の団臨で2回木更津へ 

 2017.2.11(土) 「華」 団臨 浜202で房総一周(外房→内房) 

 2017.2.18(土) No.Do.Ka. 五井へ 回で姉ヶ崎まで

 2017.2.25 長野189系N102 長203 舞浜臨

 2017.2.25~3.5の土日 「かつうらひな祭り」関連で、「やまどり」とオオの253系1000番台 勝浦へ

       ”       「房総の休日」で「ゆう」、内房線経由で勝浦へ

 2017.3.11(土) HOKUSO スイーツトレインで No.Do.Ka. 佐原経由で銚子へ

 2017.3.11~3.25の土曜ほか(3連休の週は最後の日以外の2日) 185系6連「南房総満喫号」

 2017.3.18 新潟から舞浜臨で E653系7連

 2017.3.19~20 勝田からの舞浜臨 651系7連

 2017.3.25 「ゆう」外房線→内房線で房総一周 団臨呑兵衛列車 

 2017.3.30 ミツE231系7B(B22短縮)転属のためアオへ 新習1620③発 配9751レEF81牽引

 2017.4.1 185系8連 団臨 東448  ヒソ~オオ~シナ~トウ~0824錦糸町(0)0835~レウ0912・・・

        両国駅・錦糸町電留・新金線などに入線

 2017.4.10 マリC415 大宮入場

 2017.4.12 ナハ209系6B(ナハ53) ナハ→マリ転属 サイクリングトレイン(マリJ1編成)に改造へ

 2017.4.14 マリC617 大宮出場

 2017.4.15 185系10連(下り方からB4+B7) 団臨で木更津へ・・・潮干狩り臨?

 2017.4.21 マリC415 大宮出場

 2017.4.25 マリC611 大宮入場

 2017.4.29 185系8連(B2)  団臨で木更津へ・・・潮干狩り臨

 2017.4.30 185系10連(下り方からB7+B4) 団臨で木更津へ・・・潮干狩り臨

 2017.4.29・30 全ロザ指 多客臨快速「お座敷内房」 リゾートEXPゆう 

 2017.5.1 209系4連の多客臨快速「青い海」運転 2日ともC405 HM無しだが両国駅では横断幕

       9131M 両国9:13→11:21館山、 9132M 館山14:46→16:59両国  

 2017.5.3・4 全ロザ指 多客臨快速「お座敷外房」 華

 2017.5.5・6 全ロザ指 多客臨快速「お座敷水郷」(佐原経由) 華

 

 2012年までは「ニューなのはな」使用だった G.W.の「お座敷~」号。

 2013年からは連続して「ゆう」使用となっていました。「ニューなのはな」が 臨快「リゾートあわトレイン」に充当されるようになったためです。

 そして今年は「お座敷内房」のみが「ゆう」使用、その他は「華」使用となりました。「あわトレイン」は廃止されました。

 

 「ニューなのはな」の引退以後、団臨も含めて「ゆう」「華」の房総への入線が多くなっているようです。加えて頻度は低いですが、「宴」「No.Do.Ka.」「やまどり」も。

 

 

 さらに最後に、5月4日(木)の 多客臨快速「お座敷外房」

 2017.5.4 9221M 「お座敷外房」 安房天津~安房鴨川

  昨日に引き続き、偶然またK氏と一緒になりました。

921) 583系の引退によせて(その2) 「ゆうづる」「はくつる」の夜間の車内

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 919)の続きです。

 

 なつかしい583系の夜間の車内の様子を古いネガからさがしてみました。

 S49(1974)年3月の上野駅、まずは外観

 S49.3.23 5013Mゆうづる1号 上野19番線に19:24に入線したところを20番線から撮っています。

 2号車がグリーン車なのがわかります。

 東大宮→上野の回送は 回5063Mと+50のナンバーが付番されていました。

 5013M 上野(19番)19:50発→5:03 青森

 

 むこうの旧客は、回5063M到着と入れちがうように 19:24に発車の8103レ「八甲田52号」 EF57牽引。

 

 5013M ゆうづる1号

 13両編成(8M5T)のうち、10・8・5・3号車には モハネ582形が連結されており、パンタ部の屋根高さがこんなに違います。

 10号車は11号車とユニットを組んでいました。サハネ581形が12号車に、サロ581形は2号車に、サシ581形は7号車、計13両編成です。

 モハネ582形の後位にはごらんのようにドアおよびデッキがありますが、前位(奇数方)はドアは無し。従ってそのパンタ下部の2区画は2段構造で上段が無い。その分中段の上下が高く、2段寝台の広さに3段寝台の料金で乗れるので、お値打ちでした。

 

 正方形が特徴の方向幕は明るくとんでいますが、「青森」がかろうじてわかります。

 

 20:00発の13M「ゆうづる2号」は19:12に20番線に入線、と S49.3.25改正の時刻表(4月号)には載っているのですが、当日は「ゆうづる1号」が発車して動き出したときに20番線に到着したようで、静止状態での2本の並びは撮れませんでした。動いてしまっています。25日の前々日だったので、49.3.25改正前は19:50入線だったのでしょうか?

 

 20:00に 20番線から発車する 13M「ゆうづる2号」に乗車しました。

 以下、その車内です。

 

 13M車内検札のようす。上段のかたの切符を受け渡しているところです。

 私も上段から撮っていますが、隣の区画のかたのコートにちょっとさえぎられてしまいました。

 

 津軽弁と思われるなまりが混じった車内アナウンスだったので、車掌は青森車掌区の担当だったと思われます。

 

 この日の車内アナウンスをカセットテープに録音していて、その後にMDにダビングしてあるので、今でも聞くことができます。「汽笛一声」のオルゴールのあとに続く 長~いアナウンスをかいつまんで紹介すると・・・・

 ・「水戸、平停車の青森行き 全車指定『ゆうづる2号』です。上野を発車すると水戸まで止まりません。くれぐれもお間違いのなきよう 今一度切符をご確認ください」と繰り返し言っていること。

 ・「高速で運転しますので揺れることもあります。上段・中段に乗り降りするときは転落しないよう十分ご注意ください。ご旅行中にケガをされますと大変でございます」と繰り返し言っていること。

 ・「車内が混んでおりますので、スリ、置き引き、すり替えには十分ご注意ください。とくにハンガーに掛けたオーバーの内ポケット、ご婦人のハンドバッグなどに貴重品を入れないように十分ご注意ください。貴重品は、寝るときは体に身に着けるか体のそばに置いてお休みください。ご旅行中に盗難にくれぐれも会わないようにご注意ください。万一盗難、置き引きに会われたかたはすぐに車掌までお知らせください。3両に1名 担当の車掌がおります。車掌室は2号車、3号車、7号車・・・・にございます」

 ・「連絡船で北海道へ渡るかたは、車掌が乗船名簿をお配りしております。ご記入のうえ、連絡船乗船口で係員までお渡しください。青森での連絡船乗船口は前の方になります」

 ・「洗面所に眼鏡・腕時計などの忘れ物が大変多くなっております。お忘れなきよう充分ご注意ください」

 ・「水戸、平を発車すると青森まで止まりません。青森では2番線の到着で、お出口は右側です。連絡船は5:25出航の十和田丸です。連絡船乗船のかたは前13号車のほうへお進みください。青森下車のかたは反対側1号車のほうへお進みください」

 ・「青森での接続は、津軽線油川・蟹田・三厩方面は6:05発の三厩行き、浪岡・川部・弘前方面弘前行きは6:30発の弘前行き、急行『しらゆき・きたかみ2号』金沢行きと奥羽・北上線周りの仙台行きは6:50発車です。お時間がございますので、待合室の方でお待ちください」

 

 津軽弁まじりの素朴で温かみのある車内アナウンスは10.分以上続きます。

 

 

 深夜の7号車。食堂車は営業休止中。サシ581-28。

 サシ481などと違って、天井が高いです。

 昼行特急の「はつかり」「ひばり」ではサシ581が営業していましたが、夜行列車では非営業。

 このころ、夜行特急で食堂車が営業しているのは、もう東海道・山陽スジのみとなっていましたが、そちらは客車列車。

 

 

 サシ581の厨房部の片側通路。

 583系は左右両側が寝台なので、20・14系でおなじみのこのような通路はここにしかありません。しかし通路然としていて、おりたたみ式の腰掛けはありません。窓のすぐ下に手すりがあります。

 ここまでは、おそらく常磐線水戸~平間で撮ったものと思います。平停車時はベッドにいたと思います。

 

 軽い興奮で覚醒してしまってなかなか眠れなかったし、眠ってしまってはもったいない気もしていました。

 寝台区画の一方に、小さい、カバーのかかった蛍光灯の灯具がありました。ボタンを押すと点灯するので、ふつうはそちら側を頭側に横になるのでしょうが、私はそちらを足元側に、反対になって横になっていました。そうすると小窓が目の前に来るからでした。

 中段ではこの小窓が寝台区画の上のほう(1区画の天井付近)にくるのですが、上段で寝そべると目の前に来ます。私は上段でした。

 

 ずっと飽きずに外を眺めていました。目が慣れると、真っ暗な野ずらにかすかに山の稜線が見えたり、田んぼの雪が徐々に増えてゆきました。

 常磐線内でも結構速く、踏切のカンカン・・という音が1つだけ聞こえるときと、2つ聞こえるときがあり、速度の違いがわかりそうな感じです。普通に座って、あるいは寝そべっていては踏切の音は聞こえなかったとおもいますが、小窓に顔をぴったり接近させているとわずかに聞こえたと思います。

 

 単線から、丈夫な複線に進入するといっそう速くなったようでした。岩沼を通過したのでした。

 

 時刻表によると、上野19:50発の 5013M「ゆうづる1号」は仙台に0:32着、0:34発。上野→仙台間は常磐線経由で 4時間42分。一方「ゆうづる2号」は仙台は運転停車で、時刻表上は平→青森間はノンストップです。

 ただし、この頃(s49年)には東北新幹線の仙台駅工事が始まっており、乗車した3月23日(暦日で3月24日の未明)までは、深夜は上下とも仙台駅を通らないダイヤに変更されていました。「ゆうづる1号」は長町(仙台の1駅手前)を0:30発、とあります。「ゆうづる2号」の運転停車も、おそらく長町で0:35ごろとなっていたと思われます。その後、仙台駅の東部を迂回(というかショートカット)の宮城野貨物線に入ってゆきました。初めて通ったので、どこをどう走ったのか、いつ東北本線に合流したのか、よくわかりませんでした。

 翌日からは深夜の仙台停車は一時復活しますが、春休みの混雑期間に深夜の工事を中断して客をさばいたものと思われます。のちにまた工事で長町停車に変更されました。ほかの列車も同様です。仙台~長町間には連絡バスが23:30から5時ごろまで、接続列車に合わせて運行されました。所要12分です。

 

 東北本線特有のタテ長のあんどん式駅名票が たまに窓外を飛んでゆきますが、高速で通過しているので、どうしても小駅のは読み取れません。「今のは何駅?」と予想するのにしばらく興じていました。時折聞こえる「ピーーッ」というホイッスル。そして明るい大駅(一ノ関とか北上とか)を通過するときに答えあわせをするのです。

 

 盛岡では2分くらい運転停車したと思います。また高速に戻り、「今のは御堂?奥中山?」と想像しつつ、そのあたりで眠ってしまったような気がします。3月24日というのに、窓の外は真っ白になりました。のみならず降ってきました。

 

 

 「どなたさまもお目覚め願います。どなたさまもお目覚め願います。」という津軽なまり混じりのアナウンスがして、まもなくゆっくりと青森2番線に到着。

 

 青森2番線には10分ほど遅れて着きました。途中の雪のせいだったようです。

 4番線に見える583系は、ダイヤどおりなら5分前に青森に到着した 5013M「ゆうづる1号」のようです。1号との上野での10分差を青森では5分に縮めます。

 

 このあと、十和田丸が出航して、津軽湾での朝日を甲板で撮ったあと、爆睡。

 函館で 9:35発の3D「おおぞら2号」を皮切りに北海道旅行(ほぼSL撮影)は続きます。

 

          ◆           ◆           ◆

 

 次は、S63年9月12日の11M「はくつる」

 

 モハネ582のパンタ下は番号をいくつも書き出して申し込みましたが取れませんでした。この日も満席だったようです。

 サシ・サハとMM’ユニットの1組、計4両を抜いて、9両編成となっていました。モハネ582である 2・4・7号車の上野寄り1列(1・2番) と青森寄り2列(11~14番)が上段が無く中段の上下方向が広いのです。

 

  3号車モハネ583-97。進行右側の13番上段に乗車。

 濃紺だったか濃い緑だったかの分厚いカーテンがうす紫色に替わって、雰囲気が明るくなっていましたが、他は特に変化は無いようです。特徴的な階段の形状もそのまま。上段に居ると 音がややうるさいエアコンの吹き出し口もそのまま。

 浴衣の色が紺色の柄からこれ(紫色?)に替わったかな。

 

 

 s63(1988).9.12  上野17番線 11M「はくつる」 こちら側 9号車クハネ583-15。

 向こう18番は「ひたち53号」 9連 クハ481-313。

 

 

 1988.9.13  八戸に6:07定着。

  6:09に発車してゆく11M「はくつる」  1号車クハネ583-16。  

 目的地は三沢(古牧温泉)から西へ出ている「十和田観光電鉄」だったのですが、「はくつる」は盛岡、八戸、つぎは終着青森なので、八戸から三沢までは12系客車の鈍行に乗換えたのでした。

 

   (つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

922) 583系の引退によせて(その3) 絵幕定期列車の時代 西日本編

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 921)の続きです。

 

 昭和53年10月改正で、全国の特急は絵幕(イラスト幕)になりました。

 

 電車特急は前後に絵幕を掲出。

 客車の寝台特急は少し遅れて客車に絵幕。機関車へのヘッドマークは東京発着の九州・山陰方面(山陰方面は「出雲」のみ、「いなば」には無し)には伝統的にずっと掲出され続けていましたが、関西発着九州方面への列車には当初は掲出されませんでした。大阪から北陸方面に向かう「日本海」「つるぎ」にも付きませんでした。

 昭和50年代前半のころ、学生として神戸に住んでいた私は、通常大阪付近で見かける寝台特急ではヘッドマークを見かけることは無く、ごくまれに大阪で遊んだ帰りに、普通電車と「さくら」なり「みずほ」なりが並走したり、深夜~未明に近くの公園で、豪速で通過する EF65「あさかぜ」・「富士」・「瀬戸」を見かけるにつけ、ヘッドマークに対するあこがれが増幅してゆきました。

 客車の絵幕も、東京~九州・山陰スジにはすぐに付きましたが、「日本海」や関西~九州スジはしばらく字幕のままだったと思います。

 

 583系に戻ります。

 

 ある好天の予想される日、早朝から須磨浦の海岸に出かけました。

 

 EF65+24系25形(明星・彗星等)や EF65+14系15形(あかつき等)はマークが無いので、画像からはどの列車かはわかりにくく、583(581)系の方がいっそう魅力的に見えました。

 

 S54(1979)年7月9日 6:33  34M「なは」 塩屋~須磨

 西鹿児島16:50発~博多21:50~小倉22:41~下関22:56~小郡23:55~4:38岡山~7:09大阪~7:50京都  クハネ583-27他12連 

 進行右側の大窓が7枚なのでクハネ583が先頭。西の581・583系にあってはクハネ583は少数派。

 

 鹿児島までしか行かないのに「なは」なのは、たしか沖縄返還記念(返還がなったのは、今日からちょうど45年前の今日、1972年5月15日)で命名されたとか。

 当初はキハ80系による新大阪~西鹿児島間の昼行特急でしたが、新幹線の博多延伸で夜行寝台特急の名前にコンバートされました。

 そんないきさつから、今後「明星」が無くなっても、「なは」だけは無くならないだろうと、このころ思っていたことを思い出します。京都行き、というのも特別な感じ。京都着のあとはそのまま上って、野洲に入庫したように記憶します。

 

 

  同日、8:43 3002M 彗星6号

  クハネ581-39他 (サロ1両の他に座席指定車1両運用中)

 宮崎19:06発→大分22:34→小倉0:40→下関 0:57→4:11広島→6:38 岡山→9:36新大阪

 

 関西(西日本)系統一編成の581系は6M6Tの12連。

 2号車サハネ581、3号車サロ581、6号車サシ581、7号車サハネ581を含みます。座席指定車はたしか2号車のサハネ581だったような。外観からはどれだかはわかりません。

 このような、指定席特急券で全区間利用できる寝台特急(と呼べるかどうか)は、S54年時点で

   23M 明星1号 新大阪17:55→8:35 西鹿児島

  3001M彗星1号 新大阪18:22→8:26 宮崎

  3002M彗星6号 宮崎 19:06→9:36 新大阪

   24M 明星8号 西鹿児島19:21→9:45 新大阪  の2往復がありました。

 当時、寝台セット・解体の乗務員が不足し始めており、一部の寝台列車には、一部の車両を終夜座席指定車として運用する列車が設定されはじめました。上野発着の583系「ゆうづる」にものちにそのような列車が登場し、最大はたしか4両くらいが座席指定車になったときもあったと思います。

 
 

  同日 8:54 24M明星8号

 クハネ581-35ほか12連、座席車1両運用中

 西鹿児島19:21発→熊本22:27→博多0:07→小倉0:57→下関 1:13→4:19広島→6:51岡山→9:45新大阪

 福岡中州あたりで遅くまで飲んでも、座席指定で気軽に関西へ帰ってこれるという便利さ!!

 

 「彗星6号」とともに、宮崎なり鹿児島なり博多なりを発車する最終の関西行き夜行列車となります。

 並走する向こうの113系快速は 746M。備前片上6:40発→11:13米原着。

 

 

 

 昼行列車で581系といえば、最も多かったのが「雷鳥」。(再掲の画像もあり)

 

 S55(1980)年2月2日  11:39  4017M雷鳥9号

  クハネ581-29他12連6M6T  新疋田にて

  大阪10:05→13:17金沢

 

 この頃、「雷鳥」の16往復中、581系は 9・11・19・31、6・18・26・30号の計4往復を占めていました。ほかは485・489系12連(向日町車と金沢車)

 

 この少し前までは、489系12連(白山との共通の金沢車)、485系11連(関西系統一編成の向日町車)の2種で、11連と12連の違いで所属の区別がつきましたが、485系11連はサハ481を9号車に挿入し 12連化、さらに関西~九州間の寝台特急の減少で581系12連は向日町へ転属。「雷鳥」運用に進出してきました。こうしてみな12連に増強となり、時刻表上からは簡単には車種・所属区の区別がつきにくくなってしまいました。

 

 かつて「しらさぎ」~「金星」・「月光」 で最初の歩みを始めた581系、発祥の地でもある北陸本線に今度は「雷鳥」として復帰です。

 

 

  同日 11:39  4017M雷鳥9号(後追い)

 クハネ581-10 ほか

 こりゃまた、最悪の位置に影が!がっかり。下見不足と反省。

 

 同日 13:10 4019M雷鳥11号 なぜか30分も遅れています。

 新疋田通過後、最初のトンネルで上下線は交差するので、右側をむこうへ進行する下りを後追いしたものです。

 

 (つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

923) 久留里線を East i_Dが検測する予定だった24日、しかし22日のわ鉄での脱線で。

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 5月15日ごろか DJ6月号を手にした頃、 East i_D の検測が24日に久留里線であるな、ちょうど当日は会議で木更津へ行く用事もあるし、その前に久留里線北部でひさしぶりに撮れそう・・・とひそかに楽しみにしていました。ところが・・・・

 

 みなさんご存知だと思いますが、5月22日(月)にJR東日本所有の総合検測車キヤE193系が、わたらせ渓谷鐡道に貸し出し検測中に脱線事故を起こしました。15時頃、水沼駅付近とのことなので、上り検測の 試9792Dだと思われます。

      ➡TBSニュース動画   (いつまで見れるかはわかりませんが)

 

 視聴者撮影、とありますが、まぎれもなく 鉄 でしょうね。貴重な動画です。多くのニュースでこの動画が流れました。(素材の提供料がどれくらいだったのか、気になる・・・)

 

 今まで、脱線事故における 「脱輪し、停車したあとの映像」は長年何度もニュース等で見てきましたが、脱線した車両が走行中の動画は(ほぼ?)初めて見ました。

 動画スタート時点で激しく茶色いホコリを巻き上げているので、もうこの時点ですでに落輪していたのでしょう。ガッツンとキヤE192(2両目)が衝撃でズレますが、おそらくこれは踏切の渡り板にぶつかった衝撃と思われます。撮影者も、もしバラストが多く飛散してきたら危なかったでしょう。

 

 車輛の台車の問題なのか、線路の狂いの問題なのか、双方の競合したものなのか、これから調査が進むのでしょう。

 現場に居残ったキヤは今日24日に撤去がはじまったそうです。大間々~間藤間の運転再開はあさって26日ごろの予定とのこと。

 

 どうやら、大きく脱線したのが電気検測車だったのでまだ不幸中の幸いだったそうですが、これが軌道検測車(1両目か3両目)がこのように脱線してしまったら、もう綿密で正確な検測が不可能になる、とのことで、廃車になってしまうそうです。

 今後の動きに注目です。

 

 もちろん今日久留里線で撮ることはできなくなりました。

 残念なので、終点上総亀山の画像を貼って終わりにします・・・・。

 

 

 この、ぶつっと途切れた感じ、今の心理に通じるものがあるな・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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