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924) 583系の引退によせて(その4) 絵幕定期列車の時代 東日本編

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 922)の続きです。

 

 最近いろいろと仕事が忙しく、先週土日の「よこすかYYのりものフェスタ2017」 にも行きそびれてしまいました。

 189系国鉄色M51編成の「かいじ」 (および「カイジ」:漫画カイジ、海自(海自カレー)見て食べたかったな。

 

 かなり間があいてしまいましたが、922)の続きで、東日本編の定期特急(絵幕) をまとめてみます。

 

 583系が定期昼行特急で上野まで来ていたころ。

 「ひばり」の、上野10:00発とその折り返し上り 1往復 と 「はつかり」の半分が583系でした。(S50.3改正以前のころ)

 

 1979(S54).7.31 17:56 上野15番線

 22M「はつかり4号」 所定17:10着が45分ほど遅れて到着したところで、乗客の下車が続いています。

 青森8:20発~盛岡10:46発~仙台12:53発~17:10着(所定では)

 「はつかり」が上野まで来ていた時代の「はつかり」としては、最大本数の6往復に達していました。 1・5・7・4・6・12号が583系です。「ひばり」に1往復あった583系は、この時にはもう485系に置き換えられていました。

 

 そして、S57年6月に東北新幹線先行開業(盛岡まで)。上越新幹線に先行してということのようで、暫定のさらに「先行」です。

 この年の11月に上越新幹線大宮~新潟開業は「暫定開業」と呼ばれました。将来の上野開業になるまでの「暫定開業」です。したがって上野~大宮開業で「本開業」となったということのようですね。

 

 新幹線が開業すると、当然のごとく、「はつかり」は盛岡~青森間に封じ込められました。本数はおおむね1時間ヘッドの12往復にまで増えました。

 

 1983(S58).5.4 青森2番線で。14:35の発車前の「はつかり20号」 13連

  クハネ583-26(上り方1号車)。 向う側13号車はクハネ583-22でした。

 12往復中、583系は 7・9・11・15・23号(下り)、2・6・10・14・18号(上り)の合計5往復。そのほかの7往復は秋田への「たざわ」と共通運用の485系6連です。

 

 北海道旅行の帰りに乗った「はつかり」で、強行軍だったせいか車内ではかなり眠かったです。暖房もほかほか。

 ボックスの座席がロックされていなかったので、ついつい引っぱり出して簡易的に寝台の下段のようにして 友人と うとうとしていました。しばらくすると通りかかった車掌氏に注意されてしまい、座席状にもどしたことを思い出します。そういう人多かったのかな?

 

 そのまま17:00着の盛岡で街を散策し、盛岡20時台発の最終「やまびこ」に乗り継いだと思います。その列車に限って、大宮での「新幹線リレー号」接続は無く、一般の混雑した115系に揺られてようやく上野に帰着しました。それが「新幹線リレー号」への乗りそびれとして残念な記憶となっています。

 

 その後、583系は9連(繁忙期は12連)に短縮されてゆきます。

 

 

 東北新幹線開業後には、夜行列車でしか上野では見ることはできなくなりました。

 「はくつる」と「ゆうづる」の2種のみです。

 

 1988(S63).9.12 上野15番線の 11M「はくつる」 回送で入線してきたところです。 

 9号車のクハネ583-15 。もう9連が基本になってしまいました。

 向こう16番線は「ひたち53号」 クハ481-313

 

 こうしてホームにたたずむだけで旅情がただよう583系。名車の証し。

 この夜、八戸まで乗車しました。

 「指定席」というサボがささっていて、「おや、かつての終夜座席指定席」が復活したか??」と誤解してしまいそうですが もちろんそうではなく、寝台車としての運行です。

 

 

 そして、両雄のもう一方「ゆうづる」、常磐線経由で上野~青森間を結びます。

 この日は、青森まで乗車しました。

 1989(平成元年)1月9日 上野18番線21:30発の 6001M ゆうづる1号

 9号車クハネ583-25  青森6:18着

 列番6000番台の季節列車ですが、運転日は多かったと思います。繁忙期の周辺期間には毎日運転。  

 青森での接続も良く、奥羽本線の弘前方面への普通列車1番の622レ弘前行きに3分の好接続。冬季の遅れが心配なくらいですが、少々なら接続待ちをするのでしょう。 

 この日は622レに乗り継いで、川部で五能線へ乗り換え津軽鉄道へ。今よりも便利だったことは明らかです。

 

 このころの「ゆうづる」は2往復+臨時1往復

 6001M ゆうづる1号 上野 21:30→6:21 青森

 9041M ゆうづる81号 上野22:36→8:09 青森

   3M ゆうづる3号 上野 23:03→8:21 青森

 9042M ゆうづる82号 青森 19:18→5:52 上野16番

 6002M ゆうづる2号 青森 20:55→6:36 上野17番

   4M ゆうづる4号 青森 21:18→6:40 上野18番

 上りが4分の雁行で上野に到着するあたり、かつての栄光を彷彿とさせますね。

 

 1989.1.9 6001M  ゆうづる1号

 クハネ583-1 Mn’Mn-104 Mn’Mn-58 Ts-6 Mn’Mn-56 クハネ583-25→青森方 

 

 

 青森1番線に着いた 6001M クハネ583-1。

 かつて青函連絡船への貨物が停車していた向かって右側のスペース。連絡船廃止から10か月もたっていない時期ですが、線路ははがされ、このように整理されています。

 

  (続きます)

 

 

 

 

 

 

 


925) 鵜原臨海学校臨3回目 西703復路 回9223M→9232M(7月28日)

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 前回からだいぶ期間があいてしまいましたが、28日に鵜原臨海学校臨を撮りに行ってみました。

 もう鵜原臨海学校臨は185系になってしまって数年がたちます

 

 さて、いつから185系だったかな?と調べてみると、2013年の2回目(2013年7月14日に往路運転)の西702からでした。今年は185系になって5年目。183・189系の頃に比べてすっかり撮影回数が減ってしまいました。

 

 今年は、

1回目=西602 往路6月21日(水)、復路は珍しく鴨川乗車で23日(金)の2泊3日、発着は東京駅(京葉)11:15発9231M、15:45着9232M

2回目=西702 往路7月17日(月)、復路は21日(金)の4泊5日、発着は東京駅(京葉)10:35発9231M、15:45着9232M

3回目=西703 往路7月24日(月)、復路は28日(金)の4泊5日、発着は東京駅(京葉)11:15発9231M、15:45着9232M、でした。

 この3回目、7月28日の復路分が今年の最終となるようです。

 車両は全部185系6連でした。

 

 なお、内房線でも館山臨海学校臨が1往復ありました。185系8連使用で、

 東747 往路7月21日 9153M 東京(総武)10:10→12:35 館山

      復路7月26日 9158M 館山13:25→15:54東京(総武)

 鵜原・館山とも 往路と復路の日は同じではないので、いちいち東大宮までの回送が走ります。

 

 さて、28日の鵜原臨。185系B6編成でした。

 2017.7.28(金) 11:36 回9223Mが東大宮から回着。安房小湊

 最初ほかの所に行ったのですが、夏場は草が高く、あきらめてここにしました。

 往路で生徒たちが下車してゆくところか、鵜原で乗車するところもいいのですが、時間が無く今回 回送の到着のみとなりました。

 

 

 下り回送を運転してきた運転士氏が上り方の先頭車まで歩いてきて、折り返し準備をしたあと戸締り。

 折り返しの発車まで1時間40分ほどあり、昼食タイムかも?

 

 

 B6 クハ185-212 M’M-224 M’M-223 クハ185-312(6号車)→東京方

 

 

 

 しばらくすると、上下の特急の案内が構内に流れます。そうそう、255系とE257-500 の交換がこの時間にあること忘れていた。

 

 11:46着 1062Mわかしお12号 Be-01 クハ254-1

 2番線で乗車を待っていたのはおよそ8人くらい。

 

 続いて 11:46着 1055Mわかしお5号 NB-13 クハE256-513

 10~12人くらいが下車。

 3日ほど続いた曇りから変わって、今日は蒸し暑い夏日だし 好天の海水浴日和。駅前海側のPもほぼ満車です。

 ただ、臨海学校の生徒たちは、「せっかくやっと晴れたのに今日で帰っちゃうの~?」と日程に不満をもらしているかもしれませんね。

 

 1062M発車

 

 

 静まり返ったホームには、1月のD51 498 の痕跡がいまだにしっかり残っています。ふつうなら終わったら撤去するはずなのにそのケもないってことは、また来年か再来年かにSL運転の話があるのかも?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

926) 今年の快速「ブルーオーシャン外房」9221M~9222M 185系B6

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 もう先週の話題となってしまいましたが、快速「ブルーオーシャン外房」号です。

 185系6連だし、何を今頃になって・・・というむきもあるでしょうが、来年になって、「さて、前年はどうだったかな?」と思うのにちがいないので、一応記録ということで載せておきます。

 

 数年前には勝田のE653系7連 のときもありましたし、昨年2016年まではJT車「ニューなのはな」使用でした。

 しかし2016年9月の「ニューなのはな」引退にともなって、今年は185系になってしまいました。6連の全車指定席快速です。

    (注・・・E653系時は列車名「マリンブルー外房」で2013年の夏。この時はE653系は新潟への転属前で、高崎発着 外房経由安房鴨川まで。回送が安房鴨川⇔館山間を走りました)

 

 

 2017年の要所の時刻は、

  9221M 大宮 7:37~8:38 西船 8:39~8:59 蘇我 9:01~10:09 勝浦 10:10~10:38 安房鴨川①

 回9120M 安房鴨川 10:47~11:11千倉11:23~11:35 館山

 回9121M 館山 15:15~15:32 南三原 15:38~15:56 安房鴨川

  9222M 安房鴨川②16:00~16:31 勝浦 16:34~17:44 蘇我 17:45~18:10 西船 18:11~19:06 大宮

 運転日:7月22・23・29・30日・・・・2週の土日の4日間のみ、少なくなったものです。

 ちなみに、昨年2016年は7月16~18日が海の日を含む3連休(18日が海の日)だったので同じ2週でも5日間走りました。

 

2017.7.30(日) 10:35  9221M 快速「ブルーオーシャン外房」 B6

 クハ185-212 M’M-224 M’M-223 クハ185-312 (6号車) ←大宮方

 最後の停車駅 安房天津を発車したあとなので、もう幕は「回送」に転換済みとなってしまいました。

 

 2017.7.29(土) 16:03  9222M 快速「ブルーオーシャン外房」 B6

 安房鴨川 16:00→19:06 大宮

 この前の週は目撃しませんでしたが、知り合いによると、やはりB6編成だったそうで。つまり4日間全部B6でした。

 

 

 この15分後には「新宿わかしお」が、そしてさらに約20分後には 1068M「わかしお18号」が上ります。

 

 16:17  9056M~9058M「新宿わかしお」 Be-01 クハ254-1

 

 この日はたまたま鴨川市観光協会の花火大会の日。この3時間くらいあとには打ち上げタイムになります。つまり観光に来た方々がこんな土曜の夕方に帰ってしまうのはかなり少数派のはず。

 これゆえかどうか、2列車とも車内はかなりがらがらのように見えました。

 

 

 

 

 

 

927) 583系の引退によせて(その5) 急行・普通列車に格下げ いろいろ

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924) の続きです。(また だいぶ時間がたってしまった・・・)

 

 昭和50年の新幹線博多開業後には、まだまだ581・583系使用の夜行寝台特急は山陽線にもそこそこ残っていましたが、徐々に新幹線への移行が進み、夜行列車の削減が改正ごとに行われるようになりました。

 そして、昭和57年の東北新幹線盛岡開業後のころには夜行列車の削減と、さらに乗り心地・アコモデーションの点で2段寝台客車化が進行。両方のあおりをくった形で583系に多くの余剰車が発生しました。

 国鉄末期の財政状況逼迫のなか、地方の交流電化幹線に残る客車普通列車を効率的に置き換え、さらにスピードアップの目的で、581・583系がブツ切りの短い編成に改造され普通列車化改造されました。

 そうして誕生したのが715系・419系でした。

 715系0番台は4連で主に長崎・佐世保線向け、715系1000番台は同じ4連ですが東北本線交流区間向け(防寒・防雪対策と、電動車は50・60Hzのモハネ582・583が種車)、419系は3連で北陸本線向けでした。

 

 715系0番台は撮ったことがありません。調べてみると、12本48両が南福岡電車区配置。クリーム1号に当初は緑14号の帯で、東北向けと同じ色。のちにJR九州に移管され、JR九州色、白地(クリーム10号)に青帯(青23号色)に変わりました。

 12本のうち、2本だけは両方とも切妻形(下り偶数方はクハ714-0番台、上り奇数方はクハ715-100番台)、残る10本は上り方は同じクハ715-100番台切妻形ですが、下り方は原型のクハ715-0番台だったとのこと。

 中間のモハ715-0番台+モハ714-0番台は、全車が581系(モハ581+モハ580)からの改造。

 

 

 

 715系1000番台は仙台運転所に4両編成を15本配置。こちらはモハ車は全車モハ583+モハ582からの改造です。

 1000番台のクハはスッキリと下り方は全車クハ715-1100番台(切妻形)、上り偶数方は全車クハ715-1000番台(クハネ581改造の原型)で、撮影された画像を見ればどっち方向なのか判別できるのでした。

 種車のクハネ583形はやや新しいうえに定員が多いためか、優等列車用に残存とされたのでした。

 

1991(H3).11.12 東北本線石越 7:18

 仙台から乗ってきた715系1000番台の521M(岩沼5:37発の一ノ関行き)が発車してゆきます。

 521M クハ715-1109 モハ715-1010 モハ714-1010 クハ715-1010←岩沼方

 向こう側 一ノ関方クハ715-1100番台は切妻形です。

 右の上りは、522M(一ノ関6:57→10:08福島)の719系でまだ投入されて間もない新車でした。

 

 石越に朝方に降り立ったのは栗原電鉄を訪問するためで、このあたりに朝に着くには、青森行きの各列車では未明の早すぎる時間に仙台あたりに着いてしまいますが、この夏から急行「津軽」が仙台~仙山線経由~山形~青森、と経由するようになったので、さっそく仙台まで「津軽」を利用してきました。

 

 1991.11.12 仙台で下車した時の401M「津軽」 クハネ583-17(9号車)

 上野(16番線)22:37発~2:38 福島 2:56~4:00 仙台 4:04~仙山線経由~4:52 山形(1401Mに) 5:02~8:26 秋田 8:30~11:26 青森

山形で方向転換する列車なので、編成全体を記しておきます

 401M クハネ583-17 (9号車)    ↑山形方

      モハネ583-94

      モハネ582-94

      サロ581-32

      モハネ583-100

      モハネ582-100

      モハネ583-106

      モハネ582-106

      クハネ583-8 (1号車)    ↓上野・青森方

 この編成、最後まで残った秋アキ(秋田車両センター)の6両編成になってゆきます。9連から8~6号車の3両をぬいたかたちで。

 

          ◆           ◆           ◆

 

 北陸本線向け419系は3両編成。15本が金沢運転所に配置されました。

 登場当初、真っ赤というか、くすんだ赤紫?でびっくりしました。赤2号、それにクリーム10号の細い帯です。そういえば、身延線115系に一時存在した色と同じなのかな??

 下り直江津方から クモハ419+モハ418+クハ(419または418)の3両なのですが、クモハ419+モハ418は モハネ583+モハネ582からの改造なので、下り方は全部切妻形。上り米原方のクハですが、原型のクハ419が第10~15編成(クハ419-1~クハ419-6)の6本(種車はいずれもクハネ581)、第1~9編成が切妻形のクハ418-1~9(種車はサハネ581)なのでした。

 つまり、米原方が原型にあたる確率は 15分の6=40%です。

 

 1989.4.11 金沢 クハ419-3

 福井鉄道や京福電鉄を訪問したあと、北陸線の普通電車を乗り回して夜に金沢着。

 343M(小松20:02→20:36金沢)

 クモハ419-13 モハ418-13 クハ419-3←米原方

 

 東北の715系1000に比べて、窓は1重窓になったのですが、そこに横引きのカーテンがつき、アコモではこちらの方がよくなっているようです。

 車内はBOX席が4列の8組、クモハはWCや洗面所の跡もなくロングシート部分がすっきりしていてぎごちない感じがありませんでした。

 クモハ車が一番手が入っているようで、車両(モハ418)によっては洗面所だった部分にふさぎ板が張られた状態で、もう1か所の機械室とともに島状に残った部分もあり、モハ418はBOX席が3列6組しかありません。

 車端側はどの車両もロングシート。WCはクハ419後位にのみ残っています。

 

 

 同日。右は1006Mかがやき6号 全指

 長岡 17:46発→20:19 金沢

 金沢運転所へ回送のため折り返すので、もうこちら側のテールライトが点灯しています。

 

 クモハ419-13 (343M)と、右側は572Mの413系

 572M:泊 18:17→20:15金沢

 419系は折り返しの320M(金沢20:52→23:08敦賀)になり、これから敦賀まで遠路向かうようです。

 

 21:03、4001レ日本海1号

 大阪17:35発→21:03金沢21:11→11:16函館

 EF81 102+オハネフ25 34・・・・(25形10連)+カニ24 11

 

 このあと、2番線に21:10頃入線してきた「北陸」を撮影。

 21:26に4番線に入線してきた602レ「能登」(14系8連)に乗り帰京。

 

 

 1997.9.15 糸魚川 535M 

 富山始発直江津行きのロングラン列車で、糸魚川を通過してゆく「はくたか」越後湯沢行きを待避中。

 クモハ419-6 モハ418-6 クハ418-6 (金フイ)←米原方

 

 赤2号から、このオイスターホワイトにライトコバルトブルーの帯といういわゆる「北陸色」に1988~1991年にかけて変更されました。この色で最後まで活躍し、2011年3月12日のダイヤ改正で521系に道を譲って定期運用が消滅しました。

 第一編成のD01編成(Mc-1+M’-1+Tc-1)が2012年まで保留車として残っていましたが、2012年9月に解体、廃形式となりました。クハ418-1 のみが解体をのがれて日本車両リサイクル社の構内に残っているそうです。

 

 次回、北陸の419系をまとめてみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

919) 583系の引退によせて(その1) 定期特急 字幕の時代

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 とうとう名車583系が引退してしまいました。

 

 この4月8日(土)に「さよなら583系 日帰りの旅」の団体臨(秋田~弘前間2往復、秋田発と弘前発の各ツアーを設定)がN1+N2編成(6連)で運転され、それが最後となりました。4月9日には秋田駅で同編成の展示会も行われたようです。

 

 4月2日・8日のツアーの募集パンフ→ http://www.jreast.co.jp/akita/press/pdf/20170217-2.pdf

 4月9日の車両展示会の案内→ http://www.jreast.co.jp/akita/press/pdf/20170314.pdf

 

 その後、4月27日には土崎駅へ自力回送され、秋田総合車両センターに入場となったようです。

 

 初めて寝台特急に乗ったのが 昭和49年3月の583系「ゆうづる2号」、それ以来の長い長い思い出をありがとうございました。(簡単には言い尽くせない・・・)

 

 今回、惜別の想いをこめて、昭和49年からの583系の写真を少々あつめてみました。

 

 

 昭和49年、にぎやかだった上野駅地平ホーム。夜行列車が出発する時間帯がはじまりました。

 s49.3.23 19:20ごろ 上野19番線の5013M「ゆうづる1号」 上野19:50発→5:03青森

 このあと、手前側20番線のは続行の「ゆうづる2号」(上野20:00発)が入ってきます。その2号に乗車しました。

 向こう18番線には 8103レ「八甲田52号」がEF57牽引で待機中。

 上野19:24発→(仙台は東北新幹線工事で夜間は経由せず、長町から宮城野貨物線経由)→6:47青森

 EF57にはパンタが中央に寄ったタイプと、このように前後に離れたタイプがありました。

 その向こうの17番線にちらりと見えるキハ58は 1104D「いいで・ざおう2号」

 新潟12:02発→(磐越西線経由)→14:14 会津若松 14:21→15:33郡山 (山形12:40発の7404Dざおう2号を併結)郡山15:56発→19:08上野

 

 

 s49(1974).3.30 青森1番線で。7:10着の 5M「はくつる」

手前上野方より クハネ583-9 サロ581-3 モハネ582-9 モハネ583-9 M’M-96 サシ581-14 M’M-65 M’M-94 サハネ581-17 クハネ583-?(13号車)→青森方(盛アオ車)

 

 昭和50年代初期より以前は北海道連絡はまだ鉄道が主流。航空機はシェア5%以下だったと思います。青森駅の東側には連絡船へ押し込まれるか出てきたかの貨車が止まっていました。

 連絡船の乗船口は一番前のほうだったので、上野寄りの号車から下車した客たちは、混雑時は急ぎ足で乗船口へ急いでいました。多くの客は桟敷(さじき)スペースです。

 グリーン車は上野駅の都合で2号車なのですが、グリーン車から下車した客は13号車の先までが遠くてたいへんだったと思います。まあ、グリーン客は連絡船でも(急がなくても間に合えばいい)グリーン(\400)か 寝台(上段\1000、下段\1100) だったでしょうが。

 

 このころ、「ゆうづる」は5往復中の3往復が583系。下り1・2・3号(順に5013M・13M・15M)、上り3・4・5号(順に14M・5014M・16M)です。そのほかの2往復はまだ20系で、そちらは足が遅く、北海道連絡というよりも、盛岡付近~青森間と東京を結ぶ役割が大きかったと思います。

 なお、列車番号の下2桁が同じものは、青森の時点で3・5・10分の間隔で雁行します。15Mは5M「はくつる」と、16Mは6M「はくつる」と雁行し、それぞれのペアは青函連絡船では同じ便に接続となります。

 「ゆうづる」の5往復(以後7往復まで成長しました)と比べて、「はくつる」は北海道連絡に特化した583系の、孤高の5M・6M(1往復)時代が長く続きました。

 

 その後、定期寝台特急としては居住性向上のため2段化が進み、3段寝台の583系は24系25形や14系15形に徐々に置き換えられてゆきます。

 定期寝台特急としての583系最後の時代、1993年12月改正で急行「八甲田」を格上げし、583系「はくつる」は2往復となりました。しかしそれもつかの間、翌1994年12月改正で1往復は臨時に格下げされてしまいました。

 その残った1往復もこの1994年12月改正で24系25形になってしまいました。これにて定期583系寝台特急は消滅となりました。(臨時は「日本海」や「あけぼの」にあり)

 

          ◆            ◆            ◆

 

 さて、そのころ581・583系の西の基地:南福岡車は・・・

 581系がまだまだ活躍していました。

 s51(1976).5.14 8:36 舞子にて。3004M「彗星3号」 宮崎19:06発→9:36新大阪

 クハネ581他12連(6M6T)、発車してゆく東海道山陽線の103系各停をぬいてゆきます。

 タイフォンカバーがシャッター式でないクハネを見たらまずクハネ581形です。しかしクハネ581形にはシャッター式もあり、シャッター式を見た場合、581か583かは前面からはわかりません。

 

 

 1976.5.14 8:48 28M「明星6号」  舞子~垂水で。

 西鹿児島19:19発→10:22京都

 こちらのクハネ581はシャッター式のタイフォンを備えています。

 

 松林と砂地に癒される舞子公園でしたが、今やこのバックには大きな明石架橋とその取り付け部がど~んとそびえ、風景は一変してしまいました。

 

 

 1976.5.14 9:48 36M「明星7号」

 西鹿児島19:50発→10:46新大阪

 クハネ581他12連。進行方向右側の窓が5枚なのがクハネ581の証。クハネ583形は機器室を改善して定員を増加したため、この右側大窓が7枚あります。

 

 6号の次の7号なのに、なぜ28Mの次が36Mなのか不思議でした。季節列車や臨時列車に 「明星5号」6030レやら、「金星51号」9032レもあり、列番はそちらと通しで振られていたのかもしれません。そしてかつてあった列車は廃止されて空番になったナンバーが存在したのかも?なお、34レは熊本・長崎発の「明星4号・あかつき3号」でした。

 付属でなく本編成が「あかつき」の系統には41・43・8045・8047、42・44・8046・8048があり、すべて客車(14系が中心)となっていました。

 なお、このころの年末やお盆等に「夕月」が581系で運転されていましたが、とうとう撮れずじまいでした。

 夕月 8001M 岡山19:00→9:00宮崎 (全車座席指定、G車あり)

     8002M 宮崎20:38→8:30岡山 (全車座席指定、G車あり) 以上s50年11月訂補の時刻

 

 

 1976.9.16 8:46 28M「明星6号」

 西鹿児島発京都行 右側窓5枚のクハネ581 朝霧にて

 

 この2年後には絵幕の時代がやってくるとは全く思っていませんでした。

 「ひばり」や「はつかり」のリバイバル運転で黄緑色の字幕が登場したことがありましたが、私は西でも東でも、いつも現役時代は黄色の文字しか見た記憶がありません。

 

  ( 続く )

 

 

 

 

 

 

 

                               

 

920) 恒例のG.W.お座敷臨時 今年は「お座敷外房」に「華」使用 (5月3日)

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 「ニューなのはな」が引退してしまって初めての大型連休です。

 今年、「お座敷内房」(4月29・30日運転)は「リゾートEXP. ゆう」でしたが、「お座敷外房」(5月3・4日運転)と「お座敷水郷」(5月5・6日運転)は、今は高崎へ移っている 485系和式電車「華」使用となりました。

 

 3日、外房の太平洋は、高いところに少しある層雲らしき雲(いわゆる高曇り)のせいか、思ったほどに青くない。そこでサイド逆光をさけて 山生橋梁ではなく、ほかのところにしました。

 

 回9164M 太海~江見

 

 

  来年以降の参考に時刻を・・

 9221M 新宿8:05発→8:53千葉8:54→9:56大原→10:11勝浦10:17→10:42安房鴨川①

 回9164M 安房鴨川①10:47→11:13千倉11:23→11:34館山

 回9163M 館山15:17→15:57安房鴨川

 9222M 安房鴨川16:03→16:14安房小湊16:32→勝浦16:55→大原17:09→18:34千葉18:36→19:28新宿

 

 回送は千倉で10分止まるので、もし先行できれば、と思い追っかけ。数分前に着きました。

 

 

 3両目の向こうあたりにコイノボリがはためいていましたが、隠れてしまいました。

 館山電留には行かずに撤収。

 

 最後に、この春2月頃~G.W.までの、房総・北総・および千葉県西部へ入線した臨電の状況(主なもの)を記録しておきます。(一部業務ネタ)

 2017.2.6~7、9~10 「宴」 郡山発の団臨で2回木更津へ 

 2017.2.11(土) 「華」 団臨 浜202で房総一周(外房→内房) 

 2017.2.18(土) No.Do.Ka. 五井へ 回で姉ヶ崎まで

 2017.2.25 長野189系N102 長203 舞浜臨

 2017.2.25~3.5の土日 「かつうらひな祭り」関連で、「やまどり」とオオの253系1000番台 勝浦へ

       ”       「房総の休日」で「ゆう」、内房線経由で勝浦へ

 2017.3.11(土) HOKUSO スイーツトレインで No.Do.Ka. 佐原経由で銚子へ

 2017.3.11~3.25の土曜ほか(3連休の週は最後の日以外の2日) 185系6連「南房総満喫号」

 2017.3.18 新潟から舞浜臨で E653系7連

 2017.3.19~20 勝田からの舞浜臨 651系7連

 2017.3.25 「ゆう」外房線→内房線で房総一周 団臨呑兵衛列車 

 2017.3.30 ミツE231系7B(B22短縮)転属のためアオへ 新習1620③発 配9751レEF81牽引

 2017.4.1 185系8連 団臨 東448  ヒソ~オオ~シナ~トウ~0824錦糸町(0)0835~レウ0912・・・

        両国駅・錦糸町電留・新金線などに入線

 2017.4.10 マリC415 大宮入場

 2017.4.12 ナハ209系6B(ナハ53) ナハ→マリ転属 サイクリングトレイン(マリJ1編成)に改造へ

 2017.4.14 マリC617 大宮出場

 2017.4.15 185系10連(下り方からB4+B7) 団臨で木更津へ・・・潮干狩り臨?

 2017.4.21 マリC415 大宮出場

 2017.4.25 マリC611 大宮入場

 2017.4.29 185系8連(B2)  団臨で木更津へ・・・潮干狩り臨

 2017.4.30 185系10連(下り方からB7+B4) 団臨で木更津へ・・・潮干狩り臨

 2017.4.29・30 全ロザ指 多客臨快速「お座敷内房」 リゾートEXPゆう 

 2017.5.1 209系4連の多客臨快速「青い海」運転 2日ともC405 HM無しだが両国駅では横断幕

       9131M 両国9:13→11:21館山、 9132M 館山14:46→16:59両国  

 2017.5.3・4 全ロザ指 多客臨快速「お座敷外房」 華

 2017.5.5・6 全ロザ指 多客臨快速「お座敷水郷」(佐原経由) 華

 

 2012年までは「ニューなのはな」使用だった G.W.の「お座敷~」号。

 2013年からは連続して「ゆう」使用となっていました。「ニューなのはな」が 臨快「リゾートあわトレイン」に充当されるようになったためです。

 そして今年は「お座敷内房」のみが「ゆう」使用、その他は「華」使用となりました。「あわトレイン」は廃止されました。

 

 「ニューなのはな」の引退以後、団臨も含めて「ゆう」「華」の房総への入線が多くなっているようです。加えて頻度は低いですが、「宴」「No.Do.Ka.」「やまどり」も。

 

 

 さらに最後に、5月4日(木)の 多客臨快速「お座敷外房」

 2017.5.4 9221M 「お座敷外房」 安房天津~安房鴨川

  昨日に引き続き、偶然またK氏と一緒になりました。

921) 583系の引退によせて(その2) 「ゆうづる」「はくつる」の夜間の車内

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 919)の続きです。

 

 なつかしい583系の夜間の車内の様子を古いネガからさがしてみました。

 S49(1974)年3月の上野駅、まずは外観

 S49.3.23 5013Mゆうづる1号 上野19番線に19:24に入線したところを20番線から撮っています。

 2号車がグリーン車なのがわかります。

 東大宮→上野の回送は 回5063Mと+50のナンバーが付番されていました。

 5013M 上野(19番)19:50発→5:03 青森

 

 むこうの旧客は、回5063M到着と入れちがうように 19:24に発車の8103レ「八甲田52号」 EF57牽引。

 

 5013M ゆうづる1号

 13両編成(8M5T)のうち、10・8・5・3号車には モハネ582形が連結されており、パンタ部の屋根高さがこんなに違います。

 10号車は11号車とユニットを組んでいました。サハネ581形が12号車に、サロ581形は2号車に、サシ581形は7号車、計13両編成です。

 モハネ582形の後位にはごらんのようにドアおよびデッキがありますが、前位(奇数方)はドアは無し。従ってそのパンタ下部の2区画は2段構造で上段が無い。その分中段の上下が高く、2段寝台の広さに3段寝台の料金で乗れるので、お値打ちでした。

 

 正方形が特徴の方向幕は明るくとんでいますが、「青森」がかろうじてわかります。

 

 20:00発の13M「ゆうづる2号」は19:12に20番線に入線、と S49.3.25改正の時刻表(4月号)には載っているのですが、当日は「ゆうづる1号」が発車して動き出したときに20番線に到着したようで、静止状態での2本の並びは撮れませんでした。動いてしまっています。25日の前々日だったので、49.3.25改正前は19:50入線だったのでしょうか?

 

 20:00に 20番線から発車する 13M「ゆうづる2号」に乗車しました。

 以下、その車内です。

 

 13M車内検札のようす。上段のかたの切符を受け渡しているところです。

 私も上段から撮っていますが、隣の区画のかたのコートにちょっとさえぎられてしまいました。

 

 津軽弁と思われるなまりが混じった車内アナウンスだったので、車掌は青森車掌区の担当だったと思われます。

 

 この日の車内アナウンスをカセットテープに録音していて、その後にMDにダビングしてあるので、今でも聞くことができます。「汽笛一声」のオルゴールのあとに続く 長~いアナウンスをかいつまんで紹介すると・・・・

 ・「水戸、平停車の青森行き 全車指定『ゆうづる2号』です。上野を発車すると水戸まで止まりません。くれぐれもお間違いのなきよう 今一度切符をご確認ください」と繰り返し言っていること。

 ・「高速で運転しますので揺れることもあります。上段・中段に乗り降りするときは転落しないよう十分ご注意ください。ご旅行中にケガをされますと大変でございます」と繰り返し言っていること。

 ・「車内が混んでおりますので、スリ、置き引き、すり替えには十分ご注意ください。とくにハンガーに掛けたオーバーの内ポケット、ご婦人のハンドバッグなどに貴重品を入れないように十分ご注意ください。貴重品は、寝るときは体に身に着けるか体のそばに置いてお休みください。ご旅行中に盗難にくれぐれも会わないようにご注意ください。万一盗難、置き引きに会われたかたはすぐに車掌までお知らせください。3両に1名 担当の車掌がおります。車掌室は2号車、3号車、7号車・・・・にございます」

 ・「連絡船で北海道へ渡るかたは、車掌が乗船名簿をお配りしております。ご記入のうえ、連絡船乗船口で係員までお渡しください。青森での連絡船乗船口は前の方になります」

 ・「洗面所に眼鏡・腕時計などの忘れ物が大変多くなっております。お忘れなきよう充分ご注意ください」

 ・「水戸、平を発車すると青森まで止まりません。青森では2番線の到着で、お出口は右側です。連絡船は5:25出航の十和田丸です。連絡船乗船のかたは前13号車のほうへお進みください。青森下車のかたは反対側1号車のほうへお進みください」

 ・「青森での接続は、津軽線油川・蟹田・三厩方面は6:05発の三厩行き、浪岡・川部・弘前方面弘前行きは6:30発の弘前行き、急行『しらゆき・きたかみ2号』金沢行きと奥羽・北上線周りの仙台行きは6:50発車です。お時間がございますので、待合室の方でお待ちください」

 

 津軽弁まじりの素朴で温かみのある車内アナウンスは10.分以上続きます。

 

 

 深夜の7号車。食堂車は営業休止中。サシ581-28。

 サシ481などと違って、天井が高いです。

 昼行特急の「はつかり」「ひばり」ではサシ581が営業していましたが、夜行列車では非営業。

 このころ、夜行特急で食堂車が営業しているのは、もう東海道・山陽スジのみとなっていましたが、そちらは客車列車。

 

 

 サシ581の厨房部の片側通路。

 583系は左右両側が寝台なので、20・14系でおなじみのこのような通路はここにしかありません。しかし通路然としていて、おりたたみ式の腰掛けはありません。窓のすぐ下に手すりがあります。

 ここまでは、おそらく常磐線水戸~平間で撮ったものと思います。平停車時はベッドにいたと思います。

 

 軽い興奮で覚醒してしまってなかなか眠れなかったし、眠ってしまってはもったいない気もしていました。

 寝台区画の一方に、小さい、カバーのかかった蛍光灯の灯具がありました。ボタンを押すと点灯するので、ふつうはそちら側を頭側に横になるのでしょうが、私はそちらを足元側に、反対になって横になっていました。そうすると小窓が目の前に来るからでした。

 中段ではこの小窓が寝台区画の上のほう(1区画の天井付近)にくるのですが、上段で寝そべると目の前に来ます。私は上段でした。

 

 ずっと飽きずに外を眺めていました。目が慣れると、真っ暗な野ずらにかすかに山の稜線が見えたり、田んぼの雪が徐々に増えてゆきました。

 常磐線内でも結構速く、踏切のカンカン・・という音が1つだけ聞こえるときと、2つ聞こえるときがあり、速度の違いがわかりそうな感じです。普通に座って、あるいは寝そべっていては踏切の音は聞こえなかったとおもいますが、小窓に顔をぴったり接近させているとわずかに聞こえたと思います。

 

 単線から、丈夫な複線に進入するといっそう速くなったようでした。岩沼を通過したのでした。

 

 時刻表によると、上野19:50発の 5013M「ゆうづる1号」は仙台に0:32着、0:34発。上野→仙台間は常磐線経由で 4時間42分。一方「ゆうづる2号」は仙台は運転停車で、時刻表上は平→青森間はノンストップです。

 ただし、この頃(s49年)には東北新幹線の仙台駅工事が始まっており、乗車した3月23日(暦日で3月24日の未明)までは、深夜は上下とも仙台駅を通らないダイヤに変更されていました。「ゆうづる1号」は長町(仙台の1駅手前)を0:30発、とあります。「ゆうづる2号」の運転停車も、おそらく長町で0:35ごろとなっていたと思われます。その後、仙台駅の東部を迂回(というかショートカット)の宮城野貨物線に入ってゆきました。初めて通ったので、どこをどう走ったのか、いつ東北本線に合流したのか、よくわかりませんでした。

 翌日からは深夜の仙台停車は一時復活しますが、春休みの混雑期間に深夜の工事を中断して客をさばいたものと思われます。のちにまた工事で長町停車に変更されました。ほかの列車も同様です。仙台~長町間には連絡バスが23:30から5時ごろまで、接続列車に合わせて運行されました。所要12分です。

 

 東北本線特有のタテ長のあんどん式駅名票が たまに窓外を飛んでゆきますが、高速で通過しているので、どうしても小駅のは読み取れません。「今のは何駅?」と予想するのにしばらく興じていました。時折聞こえる「ピーーッ」というホイッスル。そして明るい大駅(一ノ関とか北上とか)を通過するときに答えあわせをするのです。

 

 盛岡では2分くらい運転停車したと思います。また高速に戻り、「今のは御堂?奥中山?」と想像しつつ、そのあたりで眠ってしまったような気がします。3月24日というのに、窓の外は真っ白になりました。のみならず降ってきました。

 

 

 「どなたさまもお目覚め願います。どなたさまもお目覚め願います。」という津軽なまり混じりのアナウンスがして、まもなくゆっくりと青森2番線に到着。

 

 青森2番線には10分ほど遅れて着きました。途中の雪のせいだったようです。

 4番線に見える583系は、ダイヤどおりなら5分前に青森に到着した 5013M「ゆうづる1号」のようです。1号との上野での10分差を青森では5分に縮めます。

 

 このあと、十和田丸が出航して、津軽湾での朝日を甲板で撮ったあと、爆睡。

 函館で 9:35発の3D「おおぞら2号」を皮切りに北海道旅行(ほぼSL撮影)は続きます。

 

          ◆           ◆           ◆

 

 次は、S63年9月12日の11M「はくつる」

 

 モハネ582のパンタ下は番号をいくつも書き出して申し込みましたが取れませんでした。この日も満席だったようです。

 サシ・サハとMM’ユニットの1組、計4両を抜いて、9両編成となっていました。モハネ582である 2・4・7号車の上野寄り1列(1・2番) と青森寄り2列(11~14番)が上段が無く中段の上下方向が広いのです。

 

  3号車モハネ583-97。進行右側の13番上段に乗車。

 濃紺だったか濃い緑だったかの分厚いカーテンがうす紫色に替わって、雰囲気が明るくなっていましたが、他は特に変化は無いようです。特徴的な階段の形状もそのまま。上段に居ると 音がややうるさいエアコンの吹き出し口もそのまま。

 浴衣の色が紺色の柄からこれ(紫色?)に替わったかな。

 

 

 s63(1988).9.12  上野17番線 11M「はくつる」 こちら側 9号車クハネ583-15。

 向こう18番は「ひたち53号」 9連 クハ481-313。

 

 

 1988.9.13  八戸に6:07定着。

  6:09に発車してゆく11M「はくつる」  1号車クハネ583-16。  

 目的地は三沢(古牧温泉)から西へ出ている「十和田観光電鉄」だったのですが、「はくつる」は盛岡、八戸、つぎは終着青森なので、八戸から三沢までは12系客車の鈍行に乗換えたのでした。

 

   (つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

922) 583系の引退によせて(その3) 絵幕定期列車の時代 西日本編

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 921)の続きです。

 

 昭和53年10月改正で、全国の特急は絵幕(イラスト幕)になりました。

 

 電車特急は前後に絵幕を掲出。

 客車の寝台特急は少し遅れて客車に絵幕。機関車へのヘッドマークは東京発着の九州・山陰方面(山陰方面は「出雲」のみ、「いなば」には無し)には伝統的にずっと掲出され続けていましたが、関西発着九州方面への列車には当初は掲出されませんでした。大阪から北陸方面に向かう「日本海」「つるぎ」にも付きませんでした。

 昭和50年代前半のころ、学生として神戸に住んでいた私は、通常大阪付近で見かける寝台特急ではヘッドマークを見かけることは無く、ごくまれに大阪で遊んだ帰りに、普通電車と「さくら」なり「みずほ」なりが並走したり、深夜~未明に近くの公園で、豪速で通過する EF65「あさかぜ」・「富士」・「瀬戸」を見かけるにつけ、ヘッドマークに対するあこがれが増幅してゆきました。

 客車の絵幕(テールマーク)も、東京~九州・山陰スジにはすぐに付きましたが、「日本海」や関西~九州スジはしばらく字幕のままだったと思います。

 

 583系に戻ります。

 

 ある好天の予想される日、早朝から須磨浦の海岸に出かけました。

 

 EF65+24系25形(明星・彗星等)や EF65+14系15形(あかつき等)はマークが無いので、画像からはどの列車かはわかりにくく、581(583)系の方がいっそう魅力的に見えました。

 

 S54(1979)年7月9日 6:33  34M「なは」 塩屋~須磨

 西鹿児島16:50発~博多21:50~小倉22:41~下関22:56~小郡23:55~(営業上はノンストップ)~4:38 岡山~7:09 大阪~7:50 京都  クハネ583-27他12連 

 進行右側の大窓が7枚なのでクハネ583が先頭。西の581・583系にあってはクハネ583は少数派。

 

 鹿児島までしか行かないのに「なは」なのは、たしか沖縄返還記念(返還がなったのは、今日からちょうど45年前の今日、1972年5月15日)で命名されたとか。

 当初はキハ80系による新大阪~西鹿児島間の昼行特急でしたが、新幹線の博多延伸で夜行寝台特急の名前にコンバートされました。

 そんないきさつから、今後「明星」が無くなっても、「なは」だけは無くならないだろうと、このころ思っていたことを思い出します。京都行き、というのも特別な感じ。京都着のあとはそのまま上って、野洲に入庫したように記憶します。

 

 

  同日、8:43 3002M 彗星6号

  クハネ581-39他 (サロ1両の他に座席指定車1両運用中)

 宮崎19:06発→大分22:34→小倉0:40→下関 0:57→(営業上はノンストップ)~4:11 広島→6:38  岡山→9:36 新大阪

 

 関西(西日本)系統一編成の581系は6M6Tの12連。

 2号車サハネ581、3号車サロ581、6号車サシ581、7号車サハネ581を含みます。座席指定車はたしか2号車のサハネ581だったような。外観からはどれだかはわかりません。

 このような、指定席特急券で全区間利用できる寝台特急(と呼べるかどうか)は、S54年時点で

   23M 明星1号 新大阪17:55→8:35 西鹿児島

  3001M彗星1号 新大阪18:22→8:26 宮崎

  3002M彗星6号 宮崎 19:06→9:36 新大阪

   24M 明星8号 西鹿児島19:21→9:45 新大阪  の2往復がありました。

 当時、寝台セット・解体の乗務員が不足し始めており、一部の寝台列車には、一部の車両を終夜座席指定車として運用する列車が設定されはじめました。上野発着の583系「ゆうづる」にものちにそのような列車が登場し、最大はたしか4両くらいが座席指定車になったときもあったと思います。

 
 

  同日 8:54 24M明星8号

 クハネ581-35ほか12連、座席車1両運用中

 西鹿児島19:21発→熊本22:27→博多0:07→小倉0:57→下関 1:13→(営業上はノンストップ)~

4:19 広島→6:51 岡山→9:45 新大阪

 福岡中州あたりで遅くまで飲んでも、座席指定で気軽に関西へ帰ってこれるという便利さ!!

 

 「彗星6号」とともに、宮崎なり鹿児島なり博多なりを発車する最終の関西行き夜行列車となります。

 並走する向こうの113系快速は 746M。備前片上6:40発→11:13米原着。

 

 

 

 昼行列車で581系といえば、最も多かったのが「雷鳥」。(再掲の画像もあり)

 

 S55(1980)年2月2日  11:39  4017M雷鳥9号

  クハネ581-29他12連6M6T  新疋田にて

  大阪10:05→13:17金沢

 

 この頃、「雷鳥」の16往復中、581系は 9・11・19・31、6・18・26・30号の計4往復を占めていました。ほかは485・489系12連(向日町車と金沢車)

 

 この少し前までは、489系12連(白山との共通の金沢車)、485系11連(関西系統一編成の向日町車)の2種で、11連と12連の違いで所属の区別がつきましたが、485系11連はサハ481を9号車に挿入し 12連化、さらに関西~九州間の寝台特急の減少で581系12連は向日町へ転属。「雷鳥」運用に進出してきました。こうしてみな12連に増強となり、時刻表上からは簡単には車種・所属区の区別がつきにくくなってしまいました。

 

 かつて「しらさぎ」~「金星」・「月光」 で最初の歩みを始めた581系、発祥の地でもある北陸本線に今度は「雷鳥」として復帰です。

 

 

  同日 11:39  4017M雷鳥9号(後追い)

 クハネ581-10 ほか

 こりゃまた、最悪の位置に影が!がっかり。下見不足と反省。

 

 同日 13:10 4019M雷鳥11号 なぜか30分も遅れています。

 新疋田通過後、最初のトンネルで上下線は交差するので、右側をむこうへ進行する下りを後追いしたものです。

 

 (つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


923) 久留里線を East i_Dが検測する予定だった24日、しかし22日のわ鉄での脱線で。

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 5月15日ごろか DJ6月号を手にした頃、 East i_D の検測が24日に久留里線であるな、ちょうど当日は会議で木更津へ行く用事もあるし、その前に久留里線北部でひさしぶりに撮れそう・・・とひそかに楽しみにしていました。ところが・・・・

 

 みなさんご存知だと思いますが、5月22日(月)にJR東日本所有の総合検測車キヤE193系が、わたらせ渓谷鐡道に貸し出し検測中に脱線事故を起こしました。15時頃、水沼駅付近とのことなので、上り検測の 試9792Dだと思われます。

      ➡TBSニュース動画   (いつまで見れるかはわかりませんが)

 

 視聴者撮影、とありますが、まぎれもなく 鉄 でしょうね。貴重な動画です。多くのニュースでこの動画が流れました。(素材の提供料がどれくらいだったのか、気になる・・・)

 

 今まで、脱線事故における 「脱輪し、停車したあとの映像」は長年何度もニュース等で見てきましたが、脱線した車両が走行中の動画は(ほぼ?)初めて見ました。

 動画スタート時点で激しく茶色いホコリを巻き上げているので、もうこの時点ですでに落輪していたのでしょう。ガッツンとキヤE192(2両目)が衝撃でズレますが、おそらくこれは踏切の渡り板にぶつかった衝撃と思われます。撮影者も、もしバラストが多く飛散してきたら危なかったでしょう。

 

 車輛の台車の問題なのか、線路の狂いの問題なのか、双方の競合したものなのか、これから調査が進むのでしょう。

 現場に居残ったキヤは今日24日に撤去がはじまったそうです。大間々~間藤間の運転再開はあさって26日ごろの予定とのこと。

 

 どうやら、大きく脱線したのが電気検測車だったのでまだ不幸中の幸いだったそうですが、これが軌道検測車(1両目か3両目)がこのように脱線してしまったら、もう綿密で正確な検測が不可能になる、とのことで、廃車になってしまうそうです。

 今後の動きに注目です。

 

 もちろん今日久留里線で撮ることはできなくなりました。

 残念なので、終点上総亀山の画像を貼って終わりにします・・・・。

 

 

 この、ぶつっと途切れた感じ、今の心理に通じるものがあるな・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

924) 583系の引退によせて(その4) 絵幕定期列車の時代 東日本編

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 922)の続きです。

 

 最近いろいろと仕事が忙しく、先週土日の「よこすかYYのりものフェスタ2017」 にも行きそびれてしまいました。

 189系国鉄色M51編成の「かいじ」 (および「カイジ」:漫画カイジ、海自(海自カレー)見て食べたかったな。

 

 かなり間があいてしまいましたが、922)の続きで、東日本編の定期特急(絵幕) をまとめてみます。

 

 583系が定期昼行特急で上野まで来ていたころ。

 「ひばり」の、上野10:00発とその折り返し上り 1往復 と 「はつかり」の半分が583系でした。(S50.3改正以前のころ)

 

 1979(S54).7.31 17:56 上野15番線

 22M「はつかり4号」 所定17:10着が45分ほど遅れて到着したところで、乗客の下車が続いています。

 青森8:20発~盛岡10:46発~仙台12:53発~17:10着(所定では)

 「はつかり」が上野まで来ていた時代の「はつかり」としては、最大本数の6往復に達していました。 1・5・7・4・6・12号が583系です。「ひばり」に1往復あった583系は、この時にはもう485系に置き換えられていました。

 

 そして、S57年6月に東北新幹線先行開業(盛岡まで)。上越新幹線に先行してということのようで、暫定のさらに「先行」です。

 この年の11月に上越新幹線大宮~新潟開業は「暫定開業」と呼ばれました。将来の上野開業になるまでの「暫定開業」です。したがって上野~大宮開業で「本開業」となったということのようですね。

 

 新幹線が開業すると、当然のごとく、「はつかり」は盛岡~青森間に封じ込められました。本数はおおむね1時間ヘッドの12往復にまで増えました。

 

 1983(S58).5.4 青森2番線で。14:35の発車前の「はつかり20号」 13連

  クハネ583-26(上り方1号車)。 向う側13号車はクハネ583-22でした。

 12往復中、583系は 7・9・11・15・23号(下り)、2・6・10・14・18号(上り)の合計5往復。そのほかの7往復は秋田への「たざわ」と共通運用の485系6連です。

 

 北海道旅行の帰りに乗った「はつかり」で、強行軍だったせいか車内ではかなり眠かったです。暖房もほかほか。

 ボックスの座席がロックされていなかったので、ついつい引っぱり出して簡易的に寝台の下段のようにして 友人と うとうとしていました。しばらくすると通りかかった車掌氏に注意されてしまい、座席状にもどしたことを思い出します。そういう人多かったのかな?

 

 そのまま17:00着の盛岡で街を散策し、盛岡20時台発の最終「やまびこ」に乗り継いだと思います。その列車に限って、大宮での「新幹線リレー号」接続は無く、一般の混雑した115系に揺られてようやく上野に帰着しました。それが「新幹線リレー号」への乗りそびれとして残念な記憶となっています。

 

 その後、583系は9連(繁忙期は12連)に短縮されてゆきます。

 

 

 東北新幹線開業後には、夜行列車でしか上野では見ることはできなくなりました。

 「はくつる」と「ゆうづる」の2種のみです。

 

 1988(S63).9.12 上野15番線の 11M「はくつる」 回送で入線してきたところです。 

 9号車のクハネ583-15 。もう9連が基本になってしまいました。

 向こう16番線は「ひたち53号」 クハ481-313

 

 こうしてホームにたたずむだけで旅情がただよう583系。名車の証し。

 この夜、八戸まで乗車しました。

 「指定席」というサボがささっていて、「おや、かつての終夜座席指定席」が復活したか??」と誤解してしまいそうですが もちろんそうではなく、寝台車としての運行です。

 

 

 そして、両雄のもう一方「ゆうづる」、常磐線経由で上野~青森間を結びます。

 この日は、青森まで乗車しました。

 1989(平成元年)1月9日 上野18番線21:30発の 6001M ゆうづる1号

 9号車クハネ583-25  青森6:18着

 列番6000番台の季節列車ですが、運転日は多かったと思います。繁忙期の周辺期間には毎日運転。  

 青森での接続も良く、奥羽本線の弘前方面への普通列車1番の622レ弘前行きに3分の好接続。冬季の遅れが心配なくらいですが、少々なら接続待ちをするのでしょう。 

 この日は622レに乗り継いで、川部で五能線へ乗り換え津軽鉄道へ。今よりも便利だったことは明らかです。

 

 このころの「ゆうづる」は2往復+臨時1往復

 6001M ゆうづる1号 上野 21:30→6:21 青森

 9041M ゆうづる81号 上野22:36→8:09 青森

   3M ゆうづる3号 上野 23:03→8:21 青森

 9042M ゆうづる82号 青森 19:18→5:52 上野16番

 6002M ゆうづる2号 青森 20:55→6:36 上野17番

   4M ゆうづる4号 青森 21:18→6:40 上野18番

 上りが4分の雁行で上野に到着するあたり、かつての栄光を彷彿とさせますね。

 

 1989.1.9 6001M  ゆうづる1号

 クハネ583-1 Mn’Mn-104 Mn’Mn-58 Ts-6 Mn’Mn-56 クハネ583-25→青森方 

 

 

 青森1番線に着いた 6001M クハネ583-1。

 かつて青函連絡船への貨物が停車していた向かって右側のスペース。連絡船廃止から10か月もたっていない時期ですが、線路ははがされ、このように整理されています。

 

  (続きます)

 

 

 

 

 

 

 

925) 鵜原臨海学校臨3回目 西703復路 回9223M→9232M(7月28日)

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 前回からだいぶ期間があいてしまいましたが、28日に鵜原臨海学校臨を撮りに行ってみました。

 もう鵜原臨海学校臨は185系になってしまって数年がたちます。

 

 さて、いつから185系だったかな?と調べてみると、2013年の2回目(2013年7月14日に往路運転)の西702からでした。今年は185系になって5年目。183・189系の頃に比べてすっかり撮影回数が減ってしまいました。

 

 今年は、

1回目=西602 往路6月21日(水)、復路は珍しく鴨川乗車で23日(金)の2泊3日、発着は東京駅(京葉)11:15発9231M、15:45着9232M

2回目=西702 往路7月17日(月)、復路は21日(金)の4泊5日、発着は東京駅(京葉)10:35発9231M、15:45着9232M

3回目=西703 往路7月24日(月)、復路は28日(金)の4泊5日、発着は東京駅(京葉)11:15発9231M、15:45着9232M、でした。

 この3回目、7月28日の復路分が今年の最終となるようです。

 車両は全部185系6連でした。

 

 なお、内房線でも館山臨海学校臨が1往復ありました。185系8連使用で、

 東747 往路7月21日 9153M 東京(総武)10:10→12:35 館山

      復路7月26日 9158M 館山13:25→15:54東京(総武)

 鵜原・館山とも 往路と復路の日は同じではないので、いちいち東大宮までの回送が走ります。

 

 さて、28日の鵜原臨。185系B6編成でした。

 2017.7.28(金) 11:36 回9223Mが東大宮から回着。安房小湊

 最初ほかの所に行ったのですが、夏場は草が高く、あきらめてここにしました。

 往路で生徒たちが下車してゆくところか、鵜原で乗車するところもいいのですが、時間が無く今回 回送の到着のみとなりました。

 

 

 下り回送を運転してきた運転士氏が上り方の先頭車まで歩いてきて、折り返し準備をしたあと戸締り。

 折り返しの発車まで1時間40分ほどあり、昼食タイムかも?

 

 

 B6 クハ185-212 M’M-224 M’M-223 クハ185-312(6号車)→東京方

 

 

 

 しばらくすると、上下の特急の案内が構内に流れます。そうそう、255系とE257-500 の交換がこの時間にあること忘れていた。

 

 11:46着 1062Mわかしお12号 Be-01 クハ254-1

 2番線で乗車を待っていたのはおよそ8人くらい。

 

 続いて 11:46着 1055Mわかしお5号 NB-13 クハE256-513

 10~12人くらいが下車。

 3日ほど続いた曇りから変わって、今日は蒸し暑い夏日だし 好天の海水浴日和。駅前海側のPもほぼ満車です。

 ただ、臨海学校の生徒たちは、「せっかくやっと晴れたのに今日で帰っちゃうの~?」と日程に不満をもらしているかもしれませんね。

 

 1062M発車

 

 

 静まり返ったホームには、1月のD51 498 の痕跡がいまだにしっかり残っています。

 ふつうなら終わったら撤去するはずなのにそのケもないってことは、また来年か再来年かにSL運転の話があるのかも?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

926) 今年の快速「ブルーオーシャン外房」9221M~9222M 185系B6

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 もう先週の話題となってしまいましたが、快速「ブルーオーシャン外房」号です。

 185系6連だし、何を今頃になって・・・というむきもあるでしょうが、来年になって、「さて、前年はどうだったかな?」と思うのにちがいないので、一応記録ということで載せておきます。

 

 数年前には勝田のE653系7連 のときもありましたし、昨年2016年まではJT車「ニューなのはな」使用でした。

 しかし2016年9月の「ニューなのはな」引退にともなって、今年は185系になってしまいました。6連の全車指定席快速です。

    (注・・・E653系時は列車名「マリンブルー外房」で2013年の夏。この時はE653系は新潟への転属前で、高崎発着 外房経由安房鴨川まで。回送が安房鴨川⇔館山間を走りました)

 

 

 2017年の要所の時刻は、

  9221M 大宮 7:37~8:38 西船 8:39~8:59 蘇我 9:01~10:09 勝浦 10:10~10:38 安房鴨川①

 回9120M 安房鴨川 10:47~11:11千倉11:23~11:35 館山

 回9121M 館山 15:15~15:32 南三原 15:38~15:56 安房鴨川

  9222M 安房鴨川②16:00~16:31 勝浦 16:34~17:44 蘇我 17:45~18:10 西船 18:11~19:06 大宮

 運転日:7月22・23・29・30日・・・・2週の土日の4日間のみ、少なくなったものです。

 ちなみに、昨年2016年は7月16~18日が海の日を含む3連休(18日が海の日)だったので同じ2週でも5日間走りました。

 

2017.7.30(日) 10:35  9221M 快速「ブルーオーシャン外房」 B6

 クハ185-212 M’M-224 M’M-223 クハ185-312 (6号車) ←大宮方

 最後の停車駅 安房天津を発車したあとなので、もう幕は「回送」に転換済みとなってしまいました。

 

 2017.7.29(土) 16:03  9222M 快速「ブルーオーシャン外房」 B6

 安房鴨川 16:00→19:06 大宮

 この前の週は目撃しませんでしたが、知り合いによると、やはりB6編成だったそうで。つまり4日間全部B6でした。

 

 

 この15分後には「新宿わかしお」が、そしてさらに約20分後には 1068M「わかしお18号」が上ります。

 

 16:17  9056M~9058M「新宿わかしお」 Be-01 クハ254-1

 

 この日はたまたま鴨川市観光協会の花火大会の日。この3時間くらいあとには打ち上げタイムになります。つまり観光に来た方々がこんな土曜の夕方に帰ってしまうのはかなり少数派のはず。

 これゆえかどうか、2列車とも車内はかなりがらがらのように見えました。

 

 

 

 

 

 

927) 583系の引退によせて(その5) 急行・普通列車に格下げ いろいろ

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924) の続きです。(また だいぶ時間がたってしまった・・・)

 

 昭和50年の新幹線博多開業後には、まだまだ581・583系使用の夜行寝台特急は山陽線にもそこそこ残っていましたが、徐々に新幹線への移行が進み、夜行列車の削減が改正ごとに行われるようになりました。

 そして、昭和57年の東北新幹線盛岡開業後のころには夜行列車の削減と、さらに乗り心地・アコモデーションの点で2段寝台客車化が進行。両方のあおりをくった形で583系に多くの余剰車が発生しました。

 国鉄末期の財政状況逼迫のなか、地方の交流電化幹線に残る客車普通列車を効率的に置き換え、さらにスピードアップの目的で、581・583系がブツ切りの短い編成に改造され普通列車化改造されました。

 そうして誕生したのが715系・419系でした。

 715系0番台は4連で主に長崎・佐世保線向け、715系1000番台は同じ4連ですが東北本線交流区間向け(防寒・防雪対策と、電動車は50・60Hzのモハネ582・583が種車)、419系は3連で北陸本線向けでした。

 

 715系0番台は撮ったことがありません。調べてみると、12本48両が南福岡電車区配置。クリーム1号に当初は緑14号の帯で、東北向けと同じ色。のちにJR九州に移管され、JR九州色、白地(クリーム10号)に青帯(青23号色)に変わりました。

 12本のうち、2本だけは両方とも切妻形(下り偶数方はクハ714-0番台、上り奇数方はクハ715-100番台)、残る10本は上り方は同じクハ715-100番台切妻形ですが、下り方は原型のクハ715-0番台だったとのこと。

 中間のモハ715-0番台+モハ714-0番台は、全車が581系(モハ581+モハ580)からの改造。

 

 

 

 715系1000番台は仙台運転所に4両編成を15本配置。こちらはモハ車は全車モハ583+モハ582からの改造です。

 1000番台のクハはスッキリと下り方は全車クハ715-1100番台(切妻形)、上り偶数方は全車クハ715-1000番台(クハネ581改造の原型)で、撮影された画像を見ればどっち方向なのか判別できるのでした。

 種車のクハネ583形はやや新しいうえに定員が多いためか、優等列車用に残存とされたのでした。

 

1991(H3).11.12 東北本線石越 7:18

 仙台から乗ってきた715系1000番台の521M(岩沼5:37発の一ノ関行き)が発車してゆきます。

 521M クハ715-1109 モハ715-1010 モハ714-1010 クハ715-1010←岩沼方

 向こう側 一ノ関方クハ715-1100番台は切妻形です。

 右の上りは、522M(一ノ関6:57→10:08福島)の719系でまだ投入されて間もない新車でした。

 

 石越に朝方に降り立ったのは栗原電鉄を訪問するためで、このあたりに朝に着くには、青森行きの各列車では未明の早すぎる時間に仙台あたりに着いてしまいますが、この夏から急行「津軽」が仙台~仙山線経由~山形~青森、と経由するようになったので、さっそく仙台まで「津軽」を利用してきました。

 

 1991.11.12 仙台で下車した時の401M「津軽」 クハネ583-17(9号車)

 上野(16番線)22:37発~2:38 福島 2:56~4:00 仙台 4:04~仙山線経由~4:52 山形(1401Mに) 5:02~8:26 秋田 8:30~11:26 青森

山形で方向転換する列車なので、編成全体を記しておきます

 401M クハネ583-17 (9号車)    ↑山形方

      モハネ583-94

      モハネ582-94

      サロ581-32

      モハネ583-100

      モハネ582-100

      モハネ583-106

      モハネ582-106

      クハネ583-8 (1号車)    ↓上野・青森方

 この編成、最後まで残った秋アキ(秋田車両センター)の6両編成になってゆきます。9連から8~6号車の3両をぬいたかたちで。

 

          ◆           ◆           ◆

 

 北陸本線向け419系は3両編成。15本が金沢運転所に配置されました。

 登場当初、真っ赤というか、くすんだ赤紫?でびっくりしました。赤2号、それにクリーム10号の細い帯です。そういえば、身延線115系に一時存在した色と同じなのかな??

 下り直江津方から クモハ419+モハ418+クハ(419または418)の3両なのですが、クモハ419+モハ418は モハネ583+モハネ582からの改造なので、下り方は全部切妻形。上り米原方のクハですが、原型のクハ419が第10~15編成(クハ419-1~クハ419-6)の6本(種車はいずれもクハネ581)、第1~9編成が切妻形のクハ418-1~9(種車はサハネ581)なのでした。

 つまり、米原方が原型にあたる確率は 15分の6=40%です。

 

 1989.4.11 金沢 クハ419-3

 福井鉄道や京福電鉄を訪問したあと、北陸線の普通電車を乗り回して夜に金沢着。

 343M(小松20:02→20:36金沢)

 クモハ419-13 モハ418-13 クハ419-3←米原方

 

 東北の715系1000に比べて、窓は1重窓になったのですが、そこに横引きのカーテンがつき、アコモではこちらの方がよくなっているようです。

 車内はBOX席が4列の8組、クモハはWCや洗面所の跡もなくロングシート部分がすっきりしていてぎごちない感じがありませんでした。

 クモハ車が一番手が入っているようで、車両(モハ418)によっては洗面所だった部分にふさぎ板が張られた状態で、もう1か所の機械室とともに島状に残った部分もあり、モハ418はBOX席が3列6組しかありません。

 車端側はどの車両もロングシート。WCはクハ419後位にのみ残っています。

 

 

 同日。右は1006Mかがやき6号 全指

 長岡 17:46発→20:19 金沢

 金沢運転所へ回送のため折り返すので、もうこちら側のテールライトが点灯しています。

 

 クモハ419-13 (343M)と、右側は572Mの413系

 572M:泊 18:17→20:15金沢

 419系は折り返しの320M(金沢20:52→23:08敦賀)になり、これから敦賀まで遠路向かうようです。

 

 21:03、4001レ日本海1号

 大阪17:35発→21:03金沢21:11→11:16函館

 EF81 102+オハネフ25 34・・・・(25形10連)+カニ24 11

 

 このあと、2番線に21:10頃入線してきた「北陸」を撮影。

 21:26に4番線に入線してきた602レ「能登」(14系8連)に乗り帰京。

 

 

 1997.9.15 糸魚川 535M 

 富山始発直江津行きのロングラン列車で、糸魚川を通過してゆく「はくたか」越後湯沢行きを待避中。

 クモハ419-6 モハ418-6 クハ418-6 (金フイ)←米原方

 

 赤2号から、このオイスターホワイトにライトコバルトブルーの帯といういわゆる「北陸色」に1988~1991年にかけて変更されました。この色で最後まで活躍し、2011年3月12日のダイヤ改正で521系に道を譲って定期運用が消滅しました。

 第一編成のD01編成(Mc-1+M’-1+Tc-1)が2012年まで保留車として残っていましたが、2012年9月に解体、廃形式となりました。クハ418-1 のみが解体をのがれて日本車両リサイクル社の構内に残っているそうです。

 

 次回、北陸の419系をまとめてみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

928) E491系 East i_E 外房線検測(8月23日)

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 本日8月28日は E491系の内房線検測が行われたようです。

 外房線・東金線の検測は8月23日でしたが、そちらの方は撮っておきました。

 今日の内房線は行けず、でした。

 

 8月23日の 試9276M

 

 

 沼地の近くで、通過の10分前くらいから煙が上がり始めてしまいました。

 

 このあと、上総一ノ宮で9分停車。

 ダメモトで追ってみたら、ぎりぎり間にあいました。

 

 

 

 5月に わ鉄で事故ったキヤの方が気になります。

 非電化区間の検測は今後どうなるのでしょうかね。そう何年も検測せずに放っておくことはできないはずですが・・・。

 

 

929) 快速「富士山」189系トタ車M51編成 (国分寺・西荻窪・阿佐ヶ谷)

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 昨日(9月1日)に、なかなか撮れなかった快速「富士山」を撮ってきました。

 

 この臨時快速、昨年2016年7月1日(富士山の山開きの日)から (謎?の)毎週金曜に運転が始まりましたが、たまたま、なかなか撮影する機会がなく、とうとうもう1年以上経過してしまいました。

 

 金曜日のみの運転では長続きするのかなあ?と思っていましたが、富士山の世界的な人気はいよいよ高く、海外からの観光客もますます多く、幸い運転が継続されています。

 

 

 まずは豊田車セからの送り込み回送、回9520M

 豊田9:26→10:09新宿⑦

 1回だけ撮るのなら西国分寺がいいのですが、回送途中の東小金井で特快を待避することがわかり、その特快に乗って追い越せば2回目に挑戦できるな、ということで、国分寺にしました。

 

 9:39 回9520M M51 クハ189-508(1号車)

 

 

 

 回9520Mを待っている間に、定期便を。

 

 9:05 4Mスーパーあずさ4号 クハE351-5 S25+S5編成

 松本 6:51→9:26 新宿⑨

 

 

 9:34 5004Mかいじ104号 クハE257-103 (M-103)

 竜王 8:07→10:09 東京

 

 回9520Mを撮ったあと、急いで上りホームへ移動。すぐに入線してくる9:41発の968T中央特快に乗ります。

 最後部で去ってゆく線路を眺めていると、東小金井の中線で待避中のM51を追い越します。次の停車駅三鷹で待っている 快速928Tに乗り換えて西荻窪へ。

 

 快速ホームから緩行のホームへ移って撮りたいのですが、928Tの最後部から後ろを見ていると、東小金井で特快の後を追って発車してきた189系が、三鷹以降は928Tの数百メートルあとをゆっくりとしかし着実に追ってきているのがずっと見えている!緩行ホームに移る時間が無い・・・。しかたなく快速ホームで即シュート。

 

 

 西荻窪通過中。

 

 このあと、荻窪でしばし時間をつぶし、阿佐ヶ谷へ。

 

 10:46 9521M 全指快速「富士山」 

 新宿 10:39~11:54 大月 11:55~12:46 河口湖

 クハ189-10 M’M-30 M’M-25 クハ189-508(6号車)←新宿方

 

 

 すっかり運転が定着してきたので、専用マークがそろそろ欲しいものですねえ。

 

 このあとは、横浜で会合があり、新宿から湘南新宿ラインで横浜へ。

 新宿11:15発の4521Yで横浜に着いたとたん、東海道上りホームに全く予期せぬものが!・・・・(以下次号へ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


930) 横浜駅で突如 出会ったものとは?・・

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 929) の続きです。

 

湘南新宿ライン乗車で横浜駅に入線するとき、東海道線上りホーム(本線側)に停車していたのは?・・・

先々月デビューしたばかりの伊豆急「ロイヤルエクスプレス」でした。

ホームではなにやら出発式がとり行われている最中のようです。歓迎ムードにつつまれていました。

 

急いで対向側の下りホームへ移動。

 

 8号車付近では横断幕をかざして、駅職員一同でお見送り。

 上りホームなので、上り方向へ向かうかとうっかり思ってしまいましたが、伊豆の電車。下り方へ向かうのでした。

 急いで向こう側1号車方へ向かうも、もう発車時刻。動き出してしまい、途中までしか行き着けませんでした。

 金曜の11:50発 9043M。→12:25 熱海 12:26~13:15 伊東 13:24~15:02 伊豆急下田

 送り込みは、伊豆高原発 回9542M~9:46 伊東 10:04~11:26 横浜、です。

 

 伊豆急2100系5次車「アルファリゾート21」を改造したものですが、車内構成は大きく変わったようです。

 

 1・2号車は「ゴールドクラス」・・・・撮影間に合いませんでした。

 

 3号車は、イベントなどに利用できる 定員外のマルチスペースとのこと。 

 

 

 4号車はキッチンカー。

 乗客にとっては通路のみで、1車全体にわたる厨房というのは、なんと贅沢な構成!日本で初めてではないでしょうか。

 

 

 

 5号車。もとロイヤルボックスだったかで、窓配置が明らかに違います。中央のみ大窓、左右が個別の窓。

 6号車とともに、プラチナクラスのための食堂車とのこと。

 

 

 6号車の食堂車は、外観は連続窓ふう。

 

 7・8号車はプラチナクラスの座席車。

 

 8号車の旧展望室は、本棚の置かれたライブラリーに。プラチナクラス乗客の専用スペースとなっているようです。どんな本が並んでいるのか興味深々。

 

 食事付き片道乗車プランと 宿泊・伊豆観光とセットになったクルーズプランがあり、将来余裕ができたら、いつか乗ってみたいものです。1泊2日で伊豆でゆっくり過ごす方が、四季島ほどおおげさでなくて参加しやすいかも。

 

 

 大勢の職員・関係者に手を振られて伊豆急下田に向けて発車。11:50

 

 そしてすぐ、東海道上り本線から下り本線へと渡ってゆきます。

 東海道下りホーム(6番線)に立ち 7・8番線を見ています。

 向こうに入ってきたE231系は 1582E、東京・上野駅経由の宇都宮行き。通常は7番線(上り本線)発着と思われますが、折り返しの臨時が使用しているので、8番線に変更されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

931) 白土洋次さんを偲んで

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 それは全くの偶然の出会いでした。

 

 2008年4月のある日、私は名古屋から寝台特急「富士」(「はやぶさ」と併結)に乗って九州へ向かっていました。本当は、その年の3月まで運行されていた、関西発の「あかつき」に乗って、もっと早い時間に九州入りしたかったのですが、廃止となってしまい、次善策だったのでした。

 

 「富士ぶさ」は門司での解放の時間が意外と長かったりなので、門司で下車。各停で1駅進んだうえ、小倉から「ソニック」で先行し、中津で「富士」を迎え撃ち撮影。

 

 その後豊前松江で桜と列車を撮影などしてから、鹿児島本線の東郷~東福間間の大カーブでいろいろと撮影していたところ、70代くらいのおじいさんに出会ったのでした。私が来た少し後にその撮影地にお見えになりました。それが白土洋次さんでした。

 

 「どちらから?」ときかれて、「千葉県からです」と言うと、その方の甥っ子さんが千葉(確か蘇我付近)にお住まいだそうで、何度か行っているとのこと。

 「千葉県に白土貞夫さんという著名なかたがいますね」と言うと、「千葉のほうは しらとさん。ぼくは しらつちひろじ で、九州と千葉では読みがちがうんだよ」とのこと。

 

 そのあたりからいろいろと会話ははずみ、モノサクの撮影地や鹿島貨物や千葉でのSL運転やら、関西~九州ブルトレの廃止やら、九州の撮影地のことやらで話題は尽きず、名刺をいただいたり、メールアドレスを教えていただいたり・・・。

 

 3時間くらいは雑談しながら撮影していたと思います。日没の1時間くらい前に「暗くなって撮れなくなったら、筑豊地区を乗り回して縦断したいのです」と私が計画していることを告げると、「それはいいですね。いってらっしゃい」と言われ、おいとましました。

 翌日の撮影地のアドバイスを尋ねていたので、数か所の撮影地も教わり、ありがたくお礼を言って別れました。

 

 その日の夕~夜間は 吉塚→桂川→新飯塚→田川後藤寺→香春→城野→小倉→門司港、と乗り回し、「ソニック」で博多、そして地下鉄で中洲川端へ。

 本当は屋台で一杯、とゆきたかったですが、宿に入ったのは深夜で、日付が変わっていたと思います。

 

 

 翌日、早朝に多々良川橋梁で撮影のあと、やっぱり 下り「はやぶさ」の走行写真を撮りたくなり、教えられた教育大前(上りの撮影地)に行く前に、前日と同じところ(下りの撮影地)へ。その後、上りでは1本だけのEF81の重連(前日に、その日のカマ番を訊かれていたもの)を撮り、天拝山~原田で最後の撮影。

 

 夕方、「はやぶさ」の2F個室におさまったあと、お礼のメールをしました。

 「少し前に車内から前方展望のDVD撮影をしていたら、筑肥線の103系が甲種で上りましたよ」と送ると、「それさっき福間~東福間で撮ってきた」と即 画像を送ってくれました。「今日は東郷~東福間で「はやぶさ」を撮影しました」と送ると、「僕も同区間で 国道3号の築堤からサイド気味に撮る 「はやぶさ」をやりました。昨日の地点に小さく白い人影が一人見えたのですが、それがあなただったのですか。地元の友人とそこで会ったので話し込んでいて迂闊でした」 と返事をいただきました。

 

 

 家に帰って数日後、お礼のメール。千葉 内房線でのC57 180 走行や 木更津での点検の画像を送ると、「また行きたくなりました」と返ってきました。

 新年には鉄道カレンダー(JR貨物)を贈ったりもしました。

 

 「鉄道ファン」誌や「ダイヤ情報」誌に白土さんの投稿が載るたびに、「ますます活発で、元気でおられるのだな」と拝見していました。「鉄道ファン」誌の付録のカレンダー、ある年は扉である1月の大きな画像が白土さん撮影の 「賀正」HMの「やまぐち号」のときがありました。美しい完璧な撮影で感動しました。

 

 

 そして、前回の訪問から9年後、先月に 「また九州に行きます」とメール。

 

 しかし届かない!!スマホに替えたのかな?と思いましたが、やや不安。数日間考えた末、ご自宅へ電話させていただくと、奥様が出られ、今年の2月に亡くなったとのこと。・・・・・・・唖然・・・・ああ、数年間ご無沙汰だったことをお許しねがうとともに、亡くなったことをかえすがえすも残念におもいます。

 

 今年の1月には、奥さんが運転して千葉まで来ていたとのこと。そのときのSL撮影(奥さんはなぜか3重連を撮りに行ったとおっしゃっていた)が最後になってしまったとのこと。

 

 そして、九州北部で「しらつち号」運転のイベントが行われた、とのこと。

 白土さんを慕う多くのファンの有志で計画され、白土さん招待のはずだったのですが、お亡くなりになったので残念ながら「追悼列車」となってしまったとのこと。自宅最寄りの古賀発でキハ66系2連。YouTubeにアップされていますので、みなさんもどうぞご覧ください、とのことでした。

  → https://www.youtube.com/watch?v=zdVStpo_f8I

 カレンダーの件で奥さんも私の名前だけは覚えていてくれて大変うれしかったです。

 

 

 最後に、白土さんと一緒に撮った思い出の画像をいくつか。

 

 2008.4.14. 14:00 東郷~東福間 大分発博多行きのソニック 883系

 

 白土さんはすぐ左側に設置し、やや高い位置で撮影しておられました。溝だか水路だかをまたぐように三脚を設置するのが いつもの定位置のようでした。

 

 

 2008.4.14 17:04 

 415系鋼製車は日豊本線では多く見られましたが、鹿児島本線ではこの1往復にまで減少していて、少なくともこの列車まではねばるぞ!と決めていました。長崎・佐世保線での運用向けに、送り込みも兼ねて8連で下ってゆきます。門司港発早岐行き。

 

 2008.4.14 17:11 EF81 405

 

 2008.4.15 10:32 (1~)41 はやぶさ ED76 90

 門司までは「富士」と併結の12連。門司→熊本間は単独の6連。

 門司以遠1レのナンバーは「富士」が引き継ぎ、大分まで。

 

 前日に引き続き、ここへ来てしまいました。この時は一人で、やや高い位置が気に入って撮りましたが、踏切のライトのシェードが入ってしまいました。

 このとき、白土さんは向かって右手の国道3号線の築堤から同時にこれを撮っていたことを、後にメールで知りました。

 

 2008.4.15 11:42 教育大前~海老津

 長崎線「かもめ」用に登場した885系が、前面青ラインのまま「ソニック」に運用されはじめていました。

 白土さんに教わった、思い出の撮影地。

 

 2008.4.15 13:47 赤間を通過する上りの重連。EF81 401+EF81 451

 白土さんに教わった注目の1往復です。無事撮れたことを報告したら、「それは良かったですね」と返信をいただきました。

 

 

 多くのファンに愛された 九州の重鎮、古賀の巨星。

 

 謹んでおくやみ申し上げます。いままでありがとうございました。

 今頃、天国で はつらつと C55 57 を運転しておられるかもしれません・・・・。

 

 

 

932)サイクリングトレイン B.B.BASE 内房線で試運転(11月9日)

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 本日11月9日(木)、209系J1編成「B.B.BASE」 が内房線で試運転を行いました。

 夏の前頃だったかに南武線中原電車区(横ナハ)から 幕張車セへ転属してきて、改造も終わり、しばらく幕張に留置されていたものです。

 

 試9171M 上総湊~竹岡

 好天に恵まれました。

 

 

 

 館山道に乗り館山へ。

 

 おそらく駅構内留置と思われましたが、万一電留線に引っ込んでしまうと駅では見れないかも?と思い、電留線にいないことを確認したうえで駅に入場しました。

 

 木更津行きが発車してゆきます。

 

 

 4号車は定員外のフリースペース。

 サイドのドアは第一ドアしか残っておらず、広大な白いスペースにどでかいイラストが。

 

 その4号車の車内は全車長にわたってロングシート。中央寄りややオフセットされたところに千鳥状に手すり(尻乗せ?)が設置されています。

 ガラスの反射により見にくくてスイマセン。ホームのタイルや人物が映ってしまっています。

 4号車以外の5両は、ほぼ背の高めのボックスシートになっていて、背当ての裏側に自転車を立てて据え付けられるようになっています。撮りそびれてスイマセン。JR千葉の動画でわかりやすくPRしています。↓

    http://www.jreast.co.jp/chiba/bbbase/

 

 

 

 

 クハ208-2202 モハ208-2204 モハ209-2204 モハ208-2203 モハ209-2203 クハ209-2202 (J1)→安房鴨川方

 クハ双方の2201 と、モハユニットの2201・2202 が飛んで付番されているのはなぜだろう?

 

 サイクリストとおぼしき2人がインストラクターを務めて、広報用と思われる写真を撮影中。

 左側のロードバイクはオリジナルで、タイヤに「BOSO BICYCLE BASE]のロゴ。バックのイラストと同じです。

 今後のスケジュール等関連のプレス(一部)↓

   http://www.jreast.co.jp/chiba/news/pdf/pre1709_bbbase.pdf

 

 このあと、南線方に追いかけましたが、以下次号で。

 

 

 

 

 

 

 

933) サイクリングトレイン B.B.BASE 内房線で試運転(11月9日の続き)

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 932) の続きです。

 

 館山でのようすですが、もし「B.B.BASE」が試9171Mで到着した時から出迎えていたなら、1番線から車内に入って見学できたようです。

 そうと知らずに 私が向かいホーム2番線に降りたところ、車内には見学中の多くのかたがみられました。行ってみようかと思ったら、ものの数分後に「車内を見学のかたはドアを閉めますので降りてください」とのアナウンスがホームに流れました。間に合わなくて残念。

 

 

 

 

 広報向け写真を撮影中

           

 

 

 

 

 

 

 

 

 早めに館山駅を離脱。

 

 すっきりしてサイドの光線が良いはずの九重~千倉間へ。

 しかし、ススキやセイタカアワダチソウの立ち枯れが高い!

 

 着いたのは20分前くらいだったと思いますが、さきに来ていた2人組みが線路わきのススキを処理し始めました。

 ひとこと、「応援します!」とのみ言って加勢。「ありがとうございます」、それだけの一言で通じる、見ず知らずの「鉄」仲間。

 

 3人でススキと格闘すること約15分。折ったり踏みならしたり、滑ったり転びそうになったり。

 2両分ちかく処理できたと思います。「風景が変わったな・・・」

 

 6両なので影落ちは回避できました。バックにちょうど柿の実が。

 

 折り返しの上り。

 橋梁の後半ならサイドに陽がまわると思われますが、画像右下のササと同じくらいの高さまでササが成長してしまい、今ではもう無理です。

 

 このあと、すぐに出発して長狭街道を西進すれば間に合うと思われる 上総湊付近にもまた行きたかったな。しかし某販売店に所用があって撤収となりました。

 

  

   

934) B.B.BASE(マリ J1)外房線でも試運転(11月17日)

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 11月9日の内房線に続いて、各線で試運転が行われている「B.B.BASE」

 

 11月15日の総武本線~成田線(両国~佐原~両国) は行けませんでしたが、今日17日(金)の外房線試運転に行ってきました。

 

 勝浦の1番線では長い休憩(乗務員氏の昼休み?)があったようです(友人の知り合いの画像を見せていただきました)。行ければ車内の観察も 少しはできたかも。

 

 仕事の関係で、安房小湊3番線に到着するところから撮影。

 

 試9275M (勝浦までは試9271Mとのこと)

 

 

 

 

 いい光線をゆく1064M、わかしお14号 Be-04

 しかし インカーブ側のササが育って、だんだん高くなっています。標準~望遠ではもう無理。

 

 1064Mと安房天津で交換してきた 試9275M

 やや影ってしまいました。しかも速い!左側カツカツwww

 

 

 折返しの 試9272M

 臨の試運転でも、千葉まで2時間ほどで行くくらいスジが立っていて、追いかけは(高速道が無い外房線沿線では)できなそう。どうしてもなら、鴨川➡君津IC➡蘇我IC or 松ヶ丘IC くらいか。

 外房線沿線は、線路わきのススキや雑草がどこも高く、上りに対しての好ましい場所が今はなかなかありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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