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789) 今年唯一の県内発成田団体臨 千成1、7日に運転

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 とうとう今年は1本のみの設定となってしまった「千成」

 「千」は千葉、「成」は成田、ということで、千葉支社管内設定の成田山団体臨。

 かつては総武本線内(横芝以東)発、外房線内発、内房線内発、両国発などがそれぞれたくさんありましたが、とうとう1本のみに。(・・・来年は走るのかしら


 この最後の1本は内房線経由、和田浦発(回送で安房鴨川発)成田行で、本日1月7日(木)に運転されています。この記事を書いている最中もまだ催行中。


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 2015.1.7(木) 平日は特急の走らない区間を成田へ向かう 千成1、9160M

 NB-12でした。

 順光でサイドから東京湾バック、も考えましたが、「団体」表示が見えなくては意味がないので正面から。 


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 昨年は千成1 (5日運転 和田浦発)、千成2(7日運転 同様に和田浦発)で、ともに「ニューなのはな」使用でしたが、今年はE257系5連、NB-12編成使用で1両短くなりました。

790) 内房線の成田団体臨 千成1、終点和田浦に到着

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 今年とうとう1本のみになってしまった県内発の成田臨「千成1」

 千成はずっと減り続けていて、来年以降はどうなってしまうのか?今年が最後となってしまうのか?


 それを推測する方法として、乗車は実際どれくらいあったのだろうか知りたくなり、和田浦の終着のようすを見に行ってみました。


 今朝7:12 に和田浦を出発したE257系NB-12編成が終着の和田浦へ帰ってくる予定は18:56。

 その5分前ごろの和田浦駅前。そろそろ迎えの車の数台でも来ようか、という時刻になってもあたりはし~んと静まりかえったまま。もしかして誰も降りて来ない??

 これでは千倉か館山終着になるのも、あるいは廃止になるのも時間の問題か?


 そのうち、迎えとおぼしき年配のかたがひとりだけ現れ、そのかたはこの成田臨をかつて利用したことがあるらしく、「前の2両はもうからっぽですよ」と教えてくれました。


 18:56、NB-12 が「団体」表示でゆっくりと到着。


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 成田15:05発の9462M~15:46黒砂(信)15:58 9163M~16:40木更津~18:18館山~18:56和田浦


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 しょうもない写真ですが、いちおう駅名票をいれて。

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 3号車からご婦人の5人グループが下車してきました。男性一人はお迎えです。

 手前の黒スーツのかたは旅行会社の添乗員のようです。


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 「お疲れ様でした・・」とお見送り。みなさん手に手におみやげ。


 このほか、2号車あたりから 50~60代くらいの男性3人組と2人組(こちらは年代・スーツ姿から会社の上司か管理職ふう)、合計10人ほどがここで下車しました。

 話によると、五井から下車が始まり、木更津、君津・・・・と下車。館山で残るほとんどが下車してしまい、千倉・和田浦ではわずか・・とのこと。
 まあそれだけ利用者がいたということは、1本だけは来年もありそうだ、という印象でした。


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 全員の下車が終わって無人になった編成は、回送で安房鴨川へ発車。


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 19:17着の安房鴨川では、ふだんは特急が入らない3番線で折り返し、幕張車セへ。19:25発の回9164M。



792)キヤ193系East i_D 久留里線検測(1月13日)

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 今日1月13日(水)にキヤ193系による久留里線の検測が行われました。

 前回は2015年11月 に検測が行われたばかりで、あまり期間がたっていません。そのときは マヤ50付きの4連でしたが、今日はマヤ無しの3連。


 思えば、マヤ付きで久留里線を走るときには今までなるべく行っていたので、逆にキヤのみの3連の方が撮っていなかったかもです。

 今回の検測はDJ誌には非掲載


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 回9993D

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 ミスではなく、サイドねらい。

 上総亀山方←キクヤE193-1 キヤE192-1 キヤE193-1←木更津方


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 登り坂にかかり、排煙を吹き上げて・・


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 試9994D 平山~久留里

 逆光はしかたないです。

 向かって左のがけ、最近コンクリート吹き付けが行われてしまいました。自然のままの状態のころは上部がややオーバーハング状になっていて、冬の寒い日には しみ出す水が凍ったツララを数本見ることがまれにありましたが、もう見れなくなってしまいました。


 2012年1月に見られたここのツララと雪の名残り↓ 


120128 1508 岩肌にはツララ
 


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 前回は付随車であるマヤ50付きの4連だったので、この先の登り坂でかなり大きなエンジン音を発していましたが、今日は3連なのでそれに比べてややおだやかでした。

792)ふしぎトリップ 久留里線のラッピング車

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 昨年の秋から 久留里線のキハE130形にラッピング車(ふしぎトリップ久留里線)が登場しました。


 早めに木更津駅留置線に停車しているようすは撮影しては いましたが、走行写真を撮ったうえで一緒に掲載しようと思って保留にしていたら、うっかりして掲出時期は終わってしまいました(泣!)

 掲出は2015.9.19(土)~2015.12.20(日)までとのこと。


 対象は、キハE130-102、-103、-105 ともう1両の4両でした。全10両のうちの4両なので、沿線で待っていてヒットする確率はまあまあ良かったはずなのにな・・・



 木更津留置線にて



 キハE130-105 同-102 同-106→(留置線で北側方)上総亀山方


 

 キハE130-105 の、上総亀山方に向かって右側のサイド。


1512 1622-2  

 駅長犬、チーバくん、きさポン(木更津市)、ガウラ(袖ヶ浦市)、東京ドイツ村、百目木(どうめき)公園らしい桜並木など


1512 1622-3

 きみぴょん(君津市)、チーバくん、亀山湖のボート、久留里城など。岩風呂は養老渓谷か?久留里線沿線じゃあないけどまあいいか・・


 参考に

  ↓

 https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/16969/


 たしかに このデザインで冬まで走っていたらおかしいわな・・・

793) 木更津運輸区訓練試運転 209系4連C439 (1月25日)

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 この時期、銚子~佐原間では「DL佐原号」・「SL銚子号」の試運転がさかんに行われているようですが、なかなか行けないでいます。


 まとめると、

 1月18日(月) 前夜に高崎を出たEF64 1001+D51 498+オヤ12+旧客6連、早朝6時台に木更津に配給到着。配9121レ

 同日12時台にDE10 1752牽引 配9124レで幕張へ配給。EF64 1001 は先に単機回送で帰還へ。

 1月19日(火) 深夜~未明に幕張→銚子配給。

 配9325レ DE10+D51+オヤ+旧客。銚子着は6時前。

 1月22・23・25・26・27日の5日間(24日の日曜は無し)試運転

 試9420レ~試9421レ 時刻は本運転と同じ 銚子10:27→12:10佐原14:16→15:50銚子

 

 1月28日(木) 本運転前に整備で幕張往復。

 1月29(金)~31日(日) 本運転 9420レ~9421レ


 なぜか自分もこの時期忙しく、ほぼ1日使って行ける日がなかなか無さそう・・・


 そんな中、209系の訓練運転もぼちぼち行われているようで。

 こちらはいつもなら日中留置されている209系がダイヤが乱れているわけでもないのに「今日はいない!」となれば訓練列車として本線走行している可能性があります。ポイントとしては、

 東千葉留置の430Mの8連 千葉9番線8:28着→東千葉留置→千葉運輸区訓練に使用、黒砂折り返しで太東や上総一ノ宮往復。

 木更津の東側すみっこに本来は留置の149M(木更津9:45着)の後部4連→木更津運輸区訓練に使用、館山往復

 安房鴨川9:17着の233Mの前部4連→本来は6番に留置→安房鴨川運輸区の訓練に使用、千倉まで2往復

といったところ。


 1月18日(月)には安房鴨川運輸区で訓練が行われたようで、本来なら6番に留置の233Mの片割れはいなくなっていました。翌日は強風で内房線のダイヤが乱れたせいか中止となったもよう。安房鴨川6番に留置のままでした。


 また1月25日(月)には木更津運輸区で訓練が行われたようで、竹岡で待ってみました。友人によると、佐貫町~上総湊間は、竹岡から各停所要時間で逆算するよりもだいぶ早く通過したようで、撮ったあとゆうゆう竹岡に間に合ったようです。


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 竹岡11:10すぎ、ホームで「下り列車が来ます」 旨のアナウンスが2~3回流れたあとにやっと向こうに姿を現しました。が、トンネルの出口付近でしばらく停車したまま、なかなか近づいてきません。

 非常時の駅間停車などの訓練でしょうか。

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 11:18 上り本線(1番線)に逆に入線。ですが、ここで後部をポイントに残したまま またしばらく停車。

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 11:20 まだ停車中。このあと進行。
 C439(Tc-2157 MM’-2191 Tc’-2157)で表示は試9173M。


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 11:29 定期の155M(右:C620)が下り本線に着発。

 同じ方向行きの209系が小さな駅に並ぶことは通常はありえません。 

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 向こうの運転士となにかやりとり中。女性車掌が訓練をうけている立場かな?


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 11:35ごろ発車。が、置いてきぼりを想定した訓練か、ひとりホームに残ったままで、すぐ旗を振られて緊急停止。


 並行する国道を走ると、信号現示から先行したことを察知。岩井の前で待ってみました。


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 久里浜港のむこうに見える丹沢の山なみには雪が。塔ノ岳~大山あたりか

 西日本~九州では大雪だったとか。

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 またまた追い越したので那古船形~館山で。

 復路は光線が悪く、これで離脱。



 

794) 早春の奈良井で出会ったキハ91系急行「きそ」(S48年)

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 779) の続きです。


 撮影日は別ですが、キハ91系季節DC急行「きそ」を。


 779) の記事で、後にとりあげます、と書いておきながらすっかり遅くなってしまいましたし、そもそも房総にちょっとゆかりのある車両でもあるので、今回とりあげたいと思います。


 それまでの国鉄標準形式のエンジン:DMH17形。

 キハ17系、同55系、同20系、同30・35系、同45系、同58・28系などで大増産、その信頼性ゆえに全国に普及しましたが、勾配線区でのさらなるスピードアップ、サービス電源追加などに対応するために昭和41年に次世代型システム(エンジン・変速機など)の試作が始まりました。


 その前にS35年製のキハ60形(DMF31系エンジン)で試作はしてはみたものの、水平シリンダーが原因という潤滑不足によるピストンの焼き付きやら直結2段変速の切り替え時に発生する衝動で、失敗昨といえる結果でした。試験当初には久留里線、S40年に改造されて付随車代用や準急用、さらにDMH17系エンジンに載換えられて急行として総武・成田・鹿島線で「水郷」等にS50年3月改正前まで使用されていました。急行が電化されたあとは久留里線に戻り細々と運用されていましたが、S53年までに全廃されてしまいました。


 キハ91系は、最初キハ90 1 とキハ91 1 の2両が房総西線で試験が始まりました。S41~42年ごろと思います。当時小学生だった私は見にゆくことはかないませんでしたが、試験で走っているらしい、といううわさは伝わってきました。


 2種あったうちのキハ90形はDMF15HZA形300PSエンジン(直列6気筒1500cc、Hは横置きHorizontal、ZAが付いているようにターボチャージャー、インタークーラー付き)を1基搭載、キハ91形はDML30HSA形500PSエンジン(180°水平対向V型12気筒3000cc ターボチャージャー付き)を1基搭載で両車の性能を比較する目的でした。


 S42年、房総西線での試験結果から、勾配線区では300PSでは2基搭載する必要があるので、コスト面と、将来の冷房用電源搭載スペースを考慮すると500PSの方が有利、と結論付けられ、DML30HSAが正式採用となりました。キハ90 1 はS46年にエンジン・変速機をキハ91と同じ仕様に載せ換えられて キハ91 9 となりました。


 また、長期耐久試験のため、急行列車1往復に試験的に運用されることになり、キハ91 2~キハ91 8 と キサロ90 1~3 の計10両がS42年7月に追加製造されました。そして季節急行「きそ」1往復にS42~S48年ごろまでの6年弱 限定運用されていました。


 ↓写真はそのころの6801D急行「きそ」です。


730324-38  1209 6801Dきそ3号。 804Dきそ2号を待

 S48(1973).3.24 12:09ごろ奈良井に到着した 6801D「きそ4号」

 名古屋9:30→木曽福島11:45→12:36塩尻12:41→12:53松本

 定期の「きそ」は夜行も含めて全て長野発着でしたが、この1往復のみは松本発着です。


 804D「きそ2号」を待避するため奈良井で5分ほど運転停車。最後部8号車にはキハ91 4。3枚折り戸や屋根上のラジエーターが目をひきます。

 8号車までありますが、1両欠の7連で運行されていました。  



730324-41 1号車塩尻方ヨリ キハ91 6・

 4号車にキハ91 9 を発見してメモしながら興奮していました。目をひくペイントの違う3枚折り戸、美しく埋め込まれたシールドヘッドランプ、優美なカーブを描く前面窓。

 この隣り5号車にはキサロ90 2。


 1号車塩尻方←キハ91 6・キハ91 3・キハ91 5・キハ91 9・キサロ90 2・キハ91 ?・キハ91 4(8号車)←名古屋方

 たった1両のキハ 90 1 を改造編入したキハ91 9。この季節急行は当時他の機会に1~2回見たと思いますが、いつも キハ91 9 は中間に組成されていて、もう1両の試作車キハ91 1 を含めてとうとう先頭に立つ姿は見ることができませんでした。



730324-39  1211  6801Dきそ3号 キサロ90

 5号車のキサロ90 2

 クーラーを駆動させる電源装置搭載のためキサロとなったグリーン車ですが、屋根上のクーラーは153系などで見られた初期の形態です。キハは非冷房でした。


 窓越しの向こうに旧型客車の屋根が見えています。調べてみると828レで、長野8:45→16:49名古屋。同区間を8時間以上もかかっていますが、当時の普通客車列車はこんなものでした。特急「しなの」なら名古屋~長野間を3時間52分~3時間57分で、その差はきわめて大きいです。

 828レはこの奈良井に12:04着。6801Dと交換とともに804D「きそ2号」を待避します。この804Dは6814D季節「つがいけ1号」(信濃大町10:21発)を松本で併結します。

 6814D「つがいけ1号」は春臨では期間中毎日運転でした。大糸線を含め当時の方がなにかと便が多かったですね。


 この年の夏、S48年7月には中津川~塩尻間の電化が完成。急行「きそ」はほぼ165系電車(神領電車区配置)に置き換えられ、キハ91系は高山本線「のりくら」に転じました。


 平坦な房総西線ではわからなかったのに、勾配線区である中央西線転向後に問題が発覚したことに、機関の冷却性能不足、というのがありました。

 とくに上り勾配で小断面の長いトンネル通過時に、自然通風式の屋根上ラジエーターでは冷却力が不足しオーバーヒートが頻発した、というのです。量産車では補助送風ファンを屋根上放熱器間に設置したりしましたが、本格的な強制冷却するにはエンジンの出力を食ってしまうので難しかったそうです。


 この問題は高山本線でも続き、残念ながら S51.9.3には急行「のりくら」でさよなら運転。車齢がたった10年未満と若かったので帳簿上すぐには廃車できずに、S53.8.31になってから名古屋工場で除籍・廃車されました。今年H28年は、キハ91系が「のりくら」を去ってからちょうど40年ということになります。


 これらキハ91系で試作開発されたさまざまな結果は、エンジンDML30形は性能(最高速度やブレーキ系統)を調整したうえでキハ65形、キハ66・67形、さらに大幅なデチューンのうえキハ40系などに継承されました。また制御系統や冷却システム(屋根上のラジエーターなど)はキハ181系へ継承されました。また、落選したエンジン キハ90のDMF15形は12系客車以降の床下電源セット用のエンジンとして制式採用となりました。


 ↓ おまけで、鳥居峠付近を散策していたときに通過した9828D。

 キハ26 300番台(元1等合造車キロハ25)+キハ17。

 826レと828レの間 3時間半をうめる臨時列車で、木曽福島行きだったかと思います。千葉県でも見られたキハ26の格下げ車ですが、こちらは400番台ではなく300番台。種車がキロか キロハかの違いだったかと思います。信州にもわずかに見られたキハ17、キハ10。勾配線区ではきつかったのかまもなく無くなりました。


730324-11  9828D。キハ26 300番台(
 

795) D51+旧客+オヤ 返却配給開始(2月2日)

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 1月29日(金)~31日(日)に運転された{DL佐原」・「SL銚子」の車両の返却配給が始まりました。

 送込み・試運転・本運転ともどうしても都合がつかず行けなかったので、せめても・・と。



 本運転は金・土は天気が悪く、日曜になって(特に後半)やっと晴れ間が出たようですが、2日は朝のうちはどんよりとした暗い曇りだったもののみるみる天気は持ち直し、絶好の好天。

 3年前は飯岡~旭間から始めましたが、今回はここから。


IMG_0534
 2016.2.2(火)12:52 配9326レ 松尾~成東
 本運転と同じ DE10 1752牽引


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 試運転・本運転時には「銚」だったという区名札は「配」に替わっています。


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 風にさえあたらなければ 日ざしの暖かさも感じられる過ごしやすい気候でした。

 ここは撮影者20~25人くらい。上かみ のほうから追いかけてきたひとも多く、直前に急に増えました。


 

 (数年後に参照したくなるかも、なので、そのときの自分のためにひと通り記しておきます。速度種別が低いので手製のダイヤグラムに書き込むために)

 (配9326レ 銚子1115→1143旭1151→1201干潟1206→1228横芝1240→1257成東1320→日向1328→八街1338→1357佐倉1417→千葉1442→1448黒砂1502→1514幕張)


796) D51+旧客+オヤ 返却配給追って(2月2日の続き)

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 795) の続きです。

 D51+旧客+オヤ の配給を追って西進。


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 2016.2.2(火) 13:25 配9326レ 成東~日向

 色あいの少ない季節ですが、ここでは手前にネギが2うね栽培されていました。道路から。

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 14:19 1094レ ちょっと遅れているようです。

 EF65 2092(新) フル積載、このほうが絵になります。物井~四街道

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 14:27 配9326レ

 この場所、自分から見て背中側の踏切にはちょうど運悪く大型車が1台停車。

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 大型トラックの後ろに回り込むには50mほどダッシュせねばなりませんでした。

IMG_0622  

 煙?、いやD51ではなく、DE10からの排煙です。下総台地の丘陵の上に広がる四街道の街に向けて、上り坂にかかるためなのでしょう。

 このあと、市原市内で長崎皿うどんを食べて帰宅。


797) さよなら富士急2000系--旧国鉄 直流急行型最後の編成が引退

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 2016年2月7日(日)、富士急の「フジサン特急」2001編成が最終運行を行い、引退しました。

 もともとは旧国鉄「パノラマエクスプレスアルプス」の -3 の3両、そのもとをさかのぼれば旧国鉄165系電車で、これにて旧国鉄直流急行型電車はすべて終焉となりました。


 私にとって、特急型よりもさらに親しみがあり好きだった急行型電車のいよいよの最後、大きな時代の歯車がまたことんと進んだ気がします。二度と戻らない方向へ・・・。


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 2016.2.6(土) 9:06 702 フジサン特急2号 寿~三つ峠

 2001(E1)編成  富士山方→クロ2001 モロ2101 クモロ2201→大月(河口湖)方
 クモロには大きな涙が入りました。サイドは特に変わっていないかな


 以前のクモロ2201↓


130608 1716-5 714レ クモロ2001
 2013.6.8 17:16 714 フジサン特急14号

 河口湖16:56→17:45大月

 クロ2001(元クハ165-192) モロ2101(元M'-850) クモロ2201(元Mc-127)→大月



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 パノラマ車(2001)のサイドには「ありがとうフジサン特急」・「号泣号」の文字が入っている、との情報があったので、大きく先頭部サイドもねらってみました。(ちょっとわかりにくい):2016.2.6 702列車


 フジサンがぼろぼろ泣いています。以前のクロ2001は↓


130608 1716-6 714レ  クロ2001
 2013.6.8 17:16 714 フジサン特急14号



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 2016.2.6 11:13 705 フジサン特急5号

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 12:18 706 フジサン特急6号


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 12:19 706 フジサン特急6号


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 サイドをトリミングで。


IMG_0880 (3)
 2016.2.6 13:23 709 フジサン特急9号


IMG_0891 (3)

 13:23 709 フジサン特急9号

 なぜか通過中に松久保踏切とがんじゃ踏切間を走りまわっている鉄がいました。


 ここには30人以上集まっていました。この709の折り返しは夕方まで河口湖を出てこないので、撮影はここまで。静かに見送りました。


 最後に、2001F、2002Fが同じフジサン塗装で並んでいたころを↓


130608 1855 右2002F,左2001F 大月  (3)
 2013.6.8 18:55 左:2001F、右:2002F 大月で。


 今回引退の2001Fの新旧対照です。

 クモハ165-127 →クモロ165-3 →クモロ2201

  モハ164-850 →モロ164-803→モロ2101

  クハ165-192 → クロ165-3 →クロ2001

 一番左はS44年7月の房総西線千倉電化時の新製時。配置は津田沼電車区でした。用途は新宿・両国⇔館山・千倉・(S45.7からは安房鴨川まで)の急行「うち房」です。グリーン車を新宿方から2両目(当初は6号車、S47年7月から付番順が逆になり2号車) に組み込んだ7両編成、増結時は10両編成でした。


 S47年7月の幕張電車区開設で津田沼電車区から幕張電車区へ転入。房総循環急行「みさき」・「なぎさ」に使用されます。この時から臨時への充当はほぼ無くなりました。それ以前には千倉~甲府間の「甲州ぶどう狩り号」、下りのみ片夜行の千葉~河口湖「ハイランドスケート号」、新宿~成田「成田山初詣号」などがありましたが・・・。

 S50年3月改正からは「なぎさ」・「みさき」に替わって、千葉県内の急行5種(内房・外房・犬吠・水郷・鹿島)で活躍しました。

 S57年11月の房総急行廃止まで、転入の153系とともにこの体制が続きます。


 S57年11月の急行廃止後には千マリの165系はばらばらの道をたどります。

 新製千マリ配置組は、サロ165をはずした残りは39両(3連X13本)でした。

 サロ165と153系は廃車でした。

 その後のこれら3連X13本の命運は、幕張に操配用として残った2本6両(これに転入の169系3両が加わります)、新潟へ転出した8本(24両)、クロ165系お座敷電車「なのはな」に改造された2本(6両)、そしてS61年秋に大井工場へ入場し「パノラマエクスプレスアルプス」に改造された 今回廃車となる「附2編成」→パノラマEXPの -3の3両です。

 パノラマEXPの-4 の編成は、千マリ「附2編成」よりも1年ほど早いS43年製造の もと松本車→三鷹車でした。


 その後、JR東日本で廃車となった「パノラマEXPアルプス」 の6両を富士急が2001年9月に購入、2002年の年始臨時列車で富士急デビューとなりました。2002年2月28日からは「フジサン特急」として定期運行が始まりました。


 2001編成以外はすでにみな廃車されました。2014年2月に引退した2002編成も年度内の3月に早々と解体されてしまいました。最後に残った1本3両がこの2016年2月7日にとうとう引退となりました。


 ざっくりみると、1969年7月からのツヌ区~マリ区定期急行時代は13年4ヶ月ほど、その後操配用で約4年、パノラマEXPアルプス時代が国鉄最後の日からの14年半ほど、そして2001年9月以降の富士急時代がやはり14年半くらいということになります。


 参照→ 470) の記事

    → 542) の記事

    → 543) の記事


 

 この訪問翌日の2月7日が最終日で、運転台見学、河口湖→富士山駅乗車&富士山駅車庫での入庫お迎えツアー、7日のみの記念グッズ販売などイベントが盛りだくさん。激パだろうし、都合で行けないのでこのあと河口湖駅留置状況を見て帰ることにします(以下、次号)

 




 

798)フジサン特急2001編成 at 河口湖(2月6日の続き)

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 797) の続きです。


 2001編成が引退する前日の2月6日(土)、13時過ぎに「フジサン特急9号」を見送ったあと、河口湖からの折り返し上りは16:49発の「フジサン特急12号」となり、それまで2001編成は河口湖に留置されます。

 そこで三つ峠発14:51発の21列車で河口湖へ向かってみました。乗車直前に三つ峠改札口で「さよなら2000系」の記念サボ(指定席車デザインは早々と売り切れで、自由席用の青)\1800 を購入。


 21列車は5000形のトーマス電車。

 車内はとなりのボックスにドイツ人らしいよくしゃべる3人組。その向うには中国人か台湾からの旅行者。車内は「ここは山梨県か?日本か?」と思いたくなるほど外国語が飛び交っていました。車窓から富士山も見えています。

 河口湖に到着するとお約束のごとく、電車の先頭で中国人か台湾人らしき4人家族がさかんに自撮り中。


 改札を出て、駅周辺をぐるっとまわってみました。



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 駅の東側の道路から。

 クロ2001のサイド下側の記念文字、進行左側は「号泣号」は先頭から離れた位置ですが、こちら右側は先頭部に近い位置に入っています。



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 駅の西側から。

 3番線は16:00発の8570M「ホリデー快速 富士山2号」の189系M50。帰路に利用することにします。


IMG_0978 (2)

 一番南側の側線には、大月8:21発の9列車で撮れて以降すっかり見かけなかったヘッドマーク付きの6002F編成が。ここに留置されてしまっていたのでした。


 その同じ線の奥、末端部には6000系の部品取り用モハ205が1両留置されているのですが、その同じ線に縦列駐車で、デビュー前で整備中の8500系(もとJR東海の371系)の3連が止まっています。

 ごらんのようにまだ外観は真っ白。近く水戸岡氏ドーンデザインの「富士山ビュー特急」 としてのデビューが予定されています。車内でスイーツやドリンクを提供するそう。



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 東側で。

 3番線から1線空けたとなりには6000系唯一のサイド1枚窓(田型窓ではない)の6501F。

 来週(2月13・14日)運行が予定されている「甲斐の開運 蔵開き号」のヘッドマークがもう装着されています。沿線唯一の醸造酒蔵「井出醸造店」で行われる「甲斐の開運 第23回蔵開き」イベントに伴って、大月9:51発の13列車がこの車両で運行されます。

  → http://www.fujikyu-railway.jp/news/info.php?no=56 

IMG_0954 (2)

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 1000系1206+1306 に装着のミニHM。

 「富士登山電車」や他の1000系にも装着されていました。


 8500系の白い車体を間近かで見れないものか?ときょろきょろしていると、地元の腰の曲がったおばあさんに「電車撮りにきたの?」と声をかけられました。「私もあっちに行くけん、ついてらっしゃい。広いところがあるら」と。

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 ついて行って、案内に従って広い駐車場の奥へ向かうと、何とか3両見渡せるところがありました。車内では内装整備作業中。このすぐ左側には6002Fが鼻を付き合わせるように止まっています。


IMG_0980 (2)  


 「ホリデー快速 富士山2号」車内のドア越しに。
 手前の編成(フジサン特急12号になる2001編成)が出庫して 見渡せるようになりました。


IMG_0981 (3)  

 拡大してみると、河口湖(大月)寄りが1号車、富士山駅寄りが3号車です。


 ドア位置から判断すると、1・2号車がMcM’ユニットの組みのままで、3号車がもう一方のもとクモハにちがいありません。東海道→中央西線→長野工場→大月、と回送されてきたので、おそらく、現1・2号車が「あさぎり」時代の1・2号車McM’ユニット、現3号車が「あさぎり」時代の7号車にあたるようです。

 クモハ371-101→1号車

  モハ370-101→2号車

 クモハ371-1(旧7号車)→3号車・・・・床下機器は覗けませんでしたが、機器は多いままのように見えます。ただし、パンタは折りたたまれていてはっきりわかりませんが、どうも3号車のパンタは撤去されているようです。近くで見ればわかるでしょう。

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 乗車した「H快 富士山2号」は3号車でしたが、車内はざっと見渡したところ、乗客の1/3~1/4くらいは外国人。近くにはフィリピンかインドネシアらしい8人くらいの団体が。みなさんよくしゃべり、にぎやかな車内でしたが、都留市を発車したまでしか記憶が無く、起きたらもう高尾。そしてまたZzz・・・で新宿。

 ちなみに、16:18頃通過の寿~三つ峠間のポイントでは、まだねばっている さっきまでそばで撮っていた撮影者が5~6人は居ました。


 さすがに189系、ゆっくり眠れたおかげで帰ってからすぐに仕事に復帰でき、4~5時間ぱぱっと片付けて帰宅。


 

799)「LAST RUN 2000系」ヘッドマーク付き車あれこれ

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 798)の続きです。


 引退する2000系2001編成。引退イベントを盛り上げるべく普通電車各種に「LAST RUN 2000系」のヘッドマークが付いて運行されていました。


160206 0852 9レ 6002F

 2016.2.6(土) 8:52 9列車 6002F
 クモハ6002+モハ6102+クハ6052←大月方


 6000系では、乗車してきた大月7:51発の7列車(6001F)とこの6002FにのみこのHMが付いていました。 

 その2編成は8:01に禾生で交換し、両HM付き先頭車が相対式ホームの駅で並んだのですが、その並びを撮影していた人が3~4人いました。

 また並びが見れるか?と思っていたら、(あとでわかったのですが)この6002Fはこの9列車で河口湖に着いたあと入庫してしまい、この日はもうその並びは見れませんでした。


160206 0925 12レ  5113+→大月方

 9:25 12レ モハ1001(元デハ5113)+モハ1101(元クハ5863)→大月方


160206 1019 382レ 富士登山電車2号

 10:19 382レ 富士登山電車2号

160206 1024 73レ 1206+1306←大月方

 10:24 73レ 1206+1306←大月方

160206 1025 73レ 1206+1306←大月方

160206 1135-1 13レ 6001F

 11:35 13レ 6001F クモハ6001 モハ6101 クハ6051←大月方

 9時台後半以降、この大きなHM付きはこの6001Fのみとなりました。


160206 1135-2 13レ 6001F

160206 1150 18レ 1206+1306→大月方

 11:50 18レ 1206+1306→大月方


160206 1154 381レ 富士登山電車1号

 11:54 381レ 富士登山電車1号

160206 1202 15レ 5000系 トーマス号

 12:02 15レ 5000系 トーマス号

 トーマス号には特に何も付いていません。


160206 1249 20レ 6001F

 12:49 20レ 6001F


Feb10$68 (2)

 三つ峠駅で買った 引退記念サボ

 「1号車指定席(赤)」は売り切れでした。

  裏は↓

Feb10$69 (2)


Feb10$70 (2)  

  大月駅に常備されている「富士急全線フリーきっぷ」 に2000系さよなら記念 が限定デザインで登場していました。

800) ブログ800号記念「ナンバー800」を集めて(その1:山スカのM'車)

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 おかげさまで、当ブログは今回「800号」となりました。

 ちょうどバレンタインデーですが、チョコレートはさておき、「ナンバー800」といえば・・・・


 県内の新京成電鉄はなにかと 「8」に縁があり、かつての800形、現在の8000形、8800形、8900形、N800形など。

 新幹線にも九州に800系。

 そして、お座敷客車にも12系や14系に800番台があり、お座敷電車「なのはな」もモロ164 は800番台でした。

 しかし、われらの世代にとって、もっとも印象に強く残るのは いわゆる「山スカ」や「旧型国電」のM車800番台であります。


 広く知られているように、中央線高尾以西のトンネルは断面が小さく、パンタ折りたたみ高さがレール面上4000mm以内という限界制限があります。

 たとえば、新性能の115系モハ114(標準のPS16形パンタ搭載車)ではパンタ折りたたみ高さが4140mmで、このままでは高尾以西へ入線できません。そこで、パンタ搭載部の屋根を180mm下げて、標準のPS16形パンタ搭載でも 折りたたみ高さを3960mm に収めたのがモハ114形800番台です。

 PS16形パンタグラフは153系以降の新性能電車の標準装備で、30年以上も採用され続けました。


 それ以前の旧型国電には主にPS13形が採用されていましたがのちにPS16形になったものもあります。そちらも中央東線・身延線運用車には800番台が存在していました。


 中央東線用115系は、当初は三鷹電車区の0番台車(デカ目・非冷房)McM'Tc・T・T・McM’Tc→松本方 でしたが、そのころのM’車モハ114が800番台でした。


 のちにS48年から300番台(難燃構造・冷房化・ユニット窓など)が登場。これに耐寒耐雪構造を追加したものがざっくりいうとS52年からの1000番台となりますが、新製300番台からは狭小トンネル対策でパンタ折りたたみ高さを低くおさえたPS23形が新規開発、搭載されたため、115系300番台からは800番台モハは消滅しました。

 PS23形は、PS16をもとに集電シューの小型化や屋根上のイコライザの外側への移設等で工夫したそうです。


750817-20 1537高尾 437M松本行 クハ115-190
 1975(S50).8.17 15:37 高尾~相模湖

 437M高尾発松本行き 松本21:04着 クハ115-190

 クハは非冷房のデカ目R窓の0番台で、続く2両目のモハ114 が低屋根の800番台です。 


750817 1537高尾437M松本行 クモニ83803

 437Mの最後部には低屋根構造のクモニ83803 が連結されていました。旅客車は居住性に配慮してかパンタ部のみが低屋根なのですぐわかりますが、業務用のためか全体が低屋根となっていてぱっと見には判りにくいです。


 115系は西ミツ車ですが、クモニ83は長モトだったと思います。

 クモニ83が1両連結されるものと、さらにクモユ83 とのペアで連結されるものがあり、後者には165系8連の夜行「アルプス」もありました。

 411Mアルプス10号 新宿 23:20→6:28 南小谷(信濃森上から2421M普通)

 414Mアルプス11号 南小谷 22:00→5:05 新宿

 この1往復の編成は 荷+荷+McM’TsTsTd(サハシ)+McM’Tc→南小谷方

    (S48.3訂補の時刻表で)


750817 1427高尾539Mクモニ83800台
 1975.8.17 14:27高尾 

 539M甲府行きの最後部に連結されて発車してゆくクモニ83 800番台


750817-16 1510高尾542M小山区の115系4連x2

 15:10 542M 甲府1325発の高尾行(後追い)

 小山区(北ヤマ)の115系4連X2 が応援に来ていました。新宿方にクモニ83-800番台が付いています。


 夏季の繁忙期には中央線の115系8連(+3両増結で11連)が臨時の「かいじ」に転用されて不足していましたので、小山から非冷房の0番台が応援です。そのため、小山の0番台の一部にはあらかじめモハ114-800番台を含む編成が用意されていました。

 西ミツの115系にはS50年当時、0番台のほかに冷房の300番台も配置され始めており、臨時「かいじ」には新しい300番台冷房車が指名されていました。


750817 1523高尾541M甲府行70系(モハ72含む)

 1975.8.17 15:23 541M高尾発甲府行 クハ76他


 70系2M2Tの4連を2本つないだ8連で、4連の中にだいたい1両はモハ72が含まれていました。この編成では3両目と7両目がモハ72です。高尾以西の狭小建築限界トンネル対策として屋根高さを低く(屋根高で3,514mm)したモハ72形850番台車がS31年に15両だけ製造されました。

 この低屋根モハですが、モハ72は850番台ですが、70系のモハは標準がモハ70なのに対し、中央線用低屋根車は別形式モハ71となり、800番はかぶされませんでした。


750817-43 1638 545M 甲府行70・72系4+4連

 16:38 545M甲府行 クハ76他 70・72系の4+4連

 高尾16:35→18:26甲府

 こちらは3両目がモハ72の850番台、5両目がクハ79です。当然クハ79にはパンタはありませんので850番台はありません。貧弱なクハ79が先頭に立つ姿をいつかは捉えてみたいと思っていました。できれば大新宿で。


750817-8 1340梁川 540Mクハ79

 1975.8.17 13:40 梁川で 540Mのクハ79

 甲府発12:15の高尾行。70・72系2M2TX4の8連


 クハ79が珍しく先頭に立ちます。

 豪雨ですが、このあと雷がひどく、梁川の待合室でやり過ごしました。このあと豪雨の中を181系「あずさ」が疾風のごとく上ってゆきました。

 181系「あずさ」の最後の頃で、この4日後に見た「あずさ」はもう長ナノ189系新製車10連6M4Tに置換えられていました。


750821-2 1715中野 439M 115系8連+クモニ83・クモユ83

 1975.8.21 17:15 中野を通過する 439M新宿発松本行き

 新しい車両で、夕陽をあびてキラキラ!おっと影落ちだっ。

 115系300番台8連+クモユ83 800番台+クモニ83 800番台。松本着は22:57


 この日も、最後の181系「あずさ」を追っていましたが、2運用見ましたがどちらもつやつやな189系10連に置換え済みで、ついにか!絶望!と感じました。

 非冷房が多かった115系にも300番台冷房車が増えてきて、庶民にとっては唯一の救いのようです。


750824-81 1750着 新宿4582M~8582M  

 1975.8.24 新宿5番線(中央急行線下り上りの間の中線状)に17:50到着の

 4582M~8582M 河口湖15:14発+同15:21発の休日臨 クハ76他4+4連

 

 休日にずっと運転され続けている河口湖発臨時快速で、現在の「ホリデー快速 富士山2号」の祖先にあたります。

 当時は旧型70・72系4連を2本つないだ8連で、富士急線内は8連では走行できないので、4連が7分続行で2本河口湖を発車し、大月で1本に仕立てられていました。ピーク時には同様な列車が続行でもう1組ありました。

 この往路は0時をまわってから新宿を発車する夜行で、一度富士急ハイランドへ高校生のころ利用しましたが、狭い座席で苦行というほかありませんでした。

 これらの低屋根モハたち、モハ72は850番台。



750824-87 1751新宿4582M

 これが新宿駅に乗り入れする旧型国電の最後の姿といえるでしょう。

 4582M~8582M 河口湖発 名無しの臨時快速・・


 まもなく115系に置換えられて消えてゆきました。

801) 800号記念「ナンバー800」を集めて(その2:旧型国電のM車あれこれ)

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 800号記念800番台特集 その2です。

 今回は中央東線(甲府付近)と身延線の旧型国電に見られたMc車・M車の800番台を。



761011 1425頃 231M1440発

 S51(1976).10.11 14:25頃 頭端式の富士駅身延線ホームで。

 231M 富士14:40発の身延行 クモハ41850他。

 クモハ41095 →(低屋根化)クモハ41850、1963年改造。

 こちらが甲府方先頭で、4連だったと思います。

761011 1430頃 クモハ41850

 同じく231Mのクモハ41850。東海道上りホームへまわってみました。

 111系以降の新性能電車よりも旧型国電のほうが屋根が深かったので、パンタ部の低屋根がよりはっきりわかります。乗客のすわり方から全ロングシートなのもわかります。

761011 1434 クモハ51852 231Mの3号車

 同231Mの3号車、クモハ51852。配置は静ヌマ(沼津電車区)


 拡大して乗客の座り方を見ると車内はセミクロスシートで、3枚ドアのうちの外側2枚のドア付近がドア内方窓2枚ぶんまでロングシート、その間中央がクロスシートです。中央部では中央ドアの戸袋部分のみがロングシート(2人ぶん)のようです。

 こちらも低屋根部がはっきりわかります。

 2号車はサハ、4号車はクハでした。


 この231Mで富士根か入山瀬までやってきました。線路近辺を歩きながら竪堀まで戻ります。

761011 1605 635M クモハユニ41800

 16:05 635M甲府行 クモハユニ41800先頭で21.5‰を上ります。6連くらいだったと思います。

 屋根がぺったんこに見えてユニークですが、それもそのはず、こちら側にパンタがあり、その部分は低屋根化されていたのです。

 竪堀~入山瀬で。

761011 1605 248M クモハ60816  

 16:06ごろ 6連の248M(後追い) クモハ60816


 60形は40系(クモハ40・クモハ41・クハ55など)に属し、クモハ60はクモハ41を出力増強(クモハ41が出力100kWのMT15であるのに対し、クモハ60は出力124kWのMT30に増強)したもので、半流の前面がいいですね。41形に準じてロングシートだったと思います。それを低屋根化して800番台となりました。

 クモハ60124→(低屋根化)クモハ60816、1970年改造。


 身延線のクモハ60は奇数向きのクハとペアを組んだので、クモハ60-800台は偶数車のみ(甲府方向き)のみです。クモハ41も偶数車のみで 800と850の2両のみでした。 



761011 1708 クモハ51814 637M甲府

 17:08 クモハ51814 637M甲府行 竪堀にて



761011 1638 クモハ60816 235M 竪堀~入山瀬

 クモハ60816先頭の6両編成が富士で折返してきました。

 235M 竪堀~入山瀬


 これら沼津電車区の旧型国電は、甲府での折り返しにからんでアルバイトをしていました。塩山~甲府~韮崎間の中央線区間電車にそのまま運用されていたのです。

 4両編成に限っていたと思いますが、特に朝夕の通勤時間帯には塩山~韮崎間の運転頻度アップに貢献。日中も1運用だけ同区間を走っていました。


 旧国ではありませんが、朝の1往復だけ塩山~甲府間の客車列車もあり、それほど幹線普通列車に比べて甲府盆地内の需要が多い、ということなのでしょう。

 これは、甲府 7:03 1530レ→7:26 塩山

      塩山 7:41 1531レ→8:05 甲府

      甲府 8:21 422レ →10:51 新宿(3番)

      新宿 12:08(3番) 423レ→19:19 松本 (S48.10~50.3改正前まで)

 とまわっていたようです。新宿駅で昼によく見かける客車はこれでした。荷・郵付き。 



 訪問の日の夕方、竪堀のホームで待っていると、富士宮発の創価臨が富士方へ通過して行きました。12~13両の80系長大編成(モノクラス、MT比1:1くらい)でした。富士講か何かの復路かと思われます。

 この80系はたしか 静シス配置で、運行の無いときは国府津の留置線に止まっていることが多かったと思います。1本だけではなく2~3本の編成が主に創価臨用(他にも使用あり?)として用意されていたのではなかったかな?

802) 800号記念「ナンバー800」(その3:房総急行のモハ164 800番台)

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 800号記念 「その3」 は、

 千葉県内の急行で活躍していた165系を。


 そのモハ車-モハ164形にも中央線高尾以西への乗り入れを考慮して800番台低屋根モハ が準備されていました。


 実際どれぐらい高尾以西への運転があったのか?


 多客時の臨時急行ではS44年夏の千倉電化~S46年夏の安房鴨川電化までの3回の夏期ダイヤでは中央線からの直通臨急が設定されていましたが、青梅発「うち房」、高尾発「うち房」で、高尾以西からはありませんでした。


 しかし、千倉~甲府直通の「甲州ぶどう号」が秋のわずかな日数走ったり、冬臨で千葉~河口湖直通の「ハイランドスケート号」が往路(河口湖行き)夜行、復路昼行で走ったりしました。これは低屋根モハを用意していなければできないことでした。


 どちらも、事前募集の団体としての運行だったかと思います。当時は「エック」専用・・・エコノミークーポン、該当列車専用の往復割引切符を旅行センターあるいは駅頭で購入してはじめて乗車できるような感じだったと思います。


 ほかにS48年頃までは、全国の主要観光線区に「ワ」のマークを時刻表に表示した「ワッペン列車」、(こちらも団体専用で、車両・経路がユニーク)もありましたが、165系の上記2列車は時刻表には掲載されてはいませんでした。


 ツヌ(→マリ) の165系としては、ほかにも(47.7改正前は)中央線高尾以西への団臨での乗り入れもあったかもしれません。しかし S47.7改正で房総一周電化が完成すると、毎日朝から夜までのフルタイムで2本X2方向で各2周走ることになり、都合長い4運用が毎日必要。予備車が少ない状況となり 臨時列車への充当はほぼ無くなりました。


 今回掲載するのは、低屋根のモハ164-800番台がわかりやすい画像に留意して選んでみました。S50.3改正後です。


750615 502M鹿島1号クハ165-203

750615 502M鹿島2号クモハ165-128

760129 0801頃 鴨川 回202M マリ52

760823 1404(月) 1404発 204M

760823 1405-1 204M外房2号


 参考に、幕張電車区の急行形の配置表を載せてみます。これはS54(1979)年5月、JRR編。S50.3北総電化完成~急行消滅のS57.11改正前がこんな感じでした。↓



153・165・183系(マリ)

 筆者注: 第52編成の6号車はモハ164-849 が正。単なる誤植と思われます。

 なお、製造後1年3ヶ月で悲しくも廃車となった クハ165-202 はもうこれには載っていません。


 この クハ165-202、S45年7月1日、「うち房2号」の先頭で上っていました。そこへ前夜からの大雨で保田~浜金谷間で土砂崩れが発生!ダイヤが乱れていて普通列車になっていた「うち房2号」がそこへ乗り上げ、前から1~3両目が脱線。先頭のクハ165-202 は右側の窪地へ転落したそうです。

 事故後、搬出のためにクハ165-202 は車体を2分割とされ廃車になりました。これが国鉄で最も短命だった電車だそうです。




803)リゾートエクスプレス「ゆう」、水202「房総湯治の旅」で外房線へ

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 本日 2月21日(日)、広野(常磐線)発 安房小湊行きの団体 水202「房総湯治の旅」で

 「ゆう」の外房線への入線がありました。


 東京近郊発外房方面への団臨では、外房線下り場面は午前中になることがほとんどですが、いわきのさらに23Kmほど先の広野9:15発とあって、夕刻の下り列車となりました。

 安房小湊で乗客を降ろしたあと、安房鴨川まで回送で往復、そのまま深夜にかけて勝田まで回送で帰ってゆくようです。(勝田22:22着 回9433M)


IMG_1030 (2)

 2016.2.21 9221M 

 車齢も高くなってきたK30「ゆう」、JR東日本の団体用電車では最古参ではないかしらん?もう「ゆう」となってから20数年たつと思います。

 テールライト脇のサビ水の跡が気になります。

 →調べてみたら、改造は1991年。「ニューなのはな」より早く、651系と同じ年です。改造後25年となります。

 

 クモロ485-2 モロ484-2 サロ485-1 モロ485-1 モロ484-3 クロ484-2(1号車)←吉川美南方


 今回の常磐線→武蔵野線への折り返しは、いつもの南流山ではなくその先の吉川美南(中線)というのが特筆されます。

 武蔵野線のダイヤ混乱時、収束を早める目的で吉川美南開業時に中線が設置されましたが、乗客が乗ったままの団臨が使用するのは初めてか


IMG_1033 (2)

IMG_1034 (2)

IMG_1043 (2)
 回9232M

 レンズに直接日射が差しこむような もろな逆光。モロ車なだけに(笑)

 色が無いのは承知のうえですが、冒険したおかげで向かって右上の肩にキラキラを乗せてきました。

 

 水202 の復路は23日に運転されます。


804)「ゆう」水202の復路(23日内房線)・・早咲きの桜と。

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 水202、「房総湯治の旅」(広野発)の復路です。


 2月23日(火)は朝からどんよりしていましたので、曇り対応の場所へ出動。


 まずは送込み回送。行程は、

 勝田7:52 回9430M~9:27 南流山 9:37 回9131M~9:55 西船蘇 9:59~10:23 蘇我 10:24~12:16 館山


 湊川左岸に着いたときは太陽の方向には やっぱり大きく広がった一面の雲。

 湊川左岸は下流側は足元にかかる障害物が無くすっきりしているので、このままの曇りのつもりでセッティング完了。


 「ゆう」の7分前に155Mが通過したときは確かにそのまま曇っていました。

 ところが、通過3~4分前になってみるみる雲が東方へ移動。太陽が顔を出し、川下側は逆光になってしまいました。残念・・・。


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 2016.2.23 11:31 回9131M クモロ485-2(6号車)が先頭。

 う~ん、こんなはずではなかったのですが・・・ 


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 ちなみに、11:24に下った155M。C614の6連です。

 橋げたの影が橋脚にまったく出ないくらいの曇りでしたが・・・


 回9131Mは浜金谷で15分停車。それなら館山道をちょっと使えばその先なら先行できる、とふんで、勝山直線または元名を候補に考え下ります。


 勝山直線での下りはこのまえ試運転列車で撮ったので、今回は元名にしました。

 しかしあっという間に空は完全に晴れ。今度こそは逆光側で撮って後悔するのはどうしても避けたい・・・と、キャラクターラインを出すアングルで 18mmの広角にしました。


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 11:56 回9131M。

 この位置で一発で決めないと自分のクルマがバックにデカく入り込んでしまう、と集中させました。(時間が無くて移動できない) なんとか隠れました。

 この花は、え~っと・・・(♪ 野に咲く花~の名前は知らな~い♪)


 すっかり晴れたので復路も撮りたい。しかしまだ1時間半以上ある・・・


 館山電留まで行こうか、と思いましたが、そうか!土休日の8042M「新宿さざなみ2号」のスジで上って行くんだな・・・それなら館山駅2番線にそのまま留置に違いなく、入場券でラチ内に入らなければ至近距離では見られない。しかも影落ちもありそうだ。


 というわけで、勝山の「カントリーラーメン」なるラーメン屋さんで軽く昼食を摂り、撮影まで車を置かせてもらう約束もして上りを待ちます。ちょっとイチゲンさんには入りにくい印象の店ですが、地元のおばあちゃん(単独)やおやじさん2人組みが入ってゆくので大丈夫かな、と。・・・昔ながらの素朴なしょうゆ味で\500でした。


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 13:27 9126M

 あまり引っ張ると河津桜を隠してしまいます。


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 後追いですが、光線はこっちのほうが。

 計画せずに撮ったので枝が支障してしまいました。


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 移動して、8分後に上った180M。C431。


 少しくらい風にあたっても寒くない。そもそも防寒の上着など要らない陽気になってきました。

 河津桜の本場、伊豆の河津はこの前の週末にはすんごい渋滞・混雑だったそうです(当日ラジオの中継放送で)。熱海→河津間5時間とも。


 

805)雪の久留里線(2月25日)

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 昨日2月25日(木)、千葉県南部方面は未明から小雪が降っていました。


 明るくなるころには地元では降り方が本格的になり、なかなかやみそうにない。しかし幕張で用事があり、朝のうちには出なければならない・・・。予報では「朝のうちには雪はやむ」、ということで、大事をとって1時間半以上早めにクルマで出発。


 上総の国に入ると積雪が目だってきました。

 久留里線はちゃんと走っているかな?と時刻表を参照すると、まもなく下り1番の921Dがやってくる時刻。ちょっと寄り道して数本撮ってみました。


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806) かつうらひな祭り1・3号 「やまどり」と 253系OM-N02

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 本日2月28日(日)、昨日から運転されている「かつうらひな祭り号」を、運転開始2日目ですが撮りに行ってきました。昨日の初日は忙しく 来週土日も無理っぽいので、今日時間をやりくりして・・・。


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 2016.2.28(日) 9:59 9091M 特急 かつうらひな祭り1号


  東京(総武)8:18~8:57千葉8:58~9:04蘇我9:11~10:19勝浦
  クハ485-703 モハ485-704 モハ484-704 モハ485-703 モハ484-703 クハ484-703(1号車)←東京方  

  YD01

 思いのほかゆっくり進来してきました。ダイヤを見ればそれもそのはず、茂原~大原間 両駅とも通過なのに所要25分。「わかしお」なら両駅・上総一ノ宮停車でも17~18分で走行する区間。

 千葉3分先発の241Mを勝浦まで追いこさないダイヤなので、東京~勝浦間を2時間1分かかっています。まこの車両を楽しんでください・・・といったところか


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 11:03 9093M 特急 かつうらひな祭り3号


 ここではMさんに出会いました。「やまどり」の前にいすみ鉄道のキハ快速100D を撮ってきた、とのこと。その手があったか!101D「急行1号」も上総東以東でなら撮れそうです。


 大宮8:50~9:47西船橋9:48~10:09蘇我10:10~11:14勝浦

 クハ253-1002 サハ253-1002 モハ253-1102 モハ252-1002 モハ253-1002 クモハ252-1002(1号車)←大宮方 (OM-N02)


 5号車のサハ253、「成田エクスプレス」時代は大船方から3両目の3号車(12連時は3・9号車)に組み込まれていましたが、組成変更されています。成田方6(12)号車はクロ253でした。


 ところでこの列車、年によって名称に「ビッグ」が付いたり付かなかったり、「かつうら」が漢字だったりひらがなだったり、「ひなまつり」だったり「ひな祭り」だったり、いろいろです。

 昨年2015年 は1往復のみの運転で、特急「勝浦ビッグひな祭り号」、という表記で、長野車「いろどり(彩)」使用でしたが、今年は上記タイトルの表記です。


 昨年は初日にもう1本、豊田の189系M52編成(4ヶ月ほど前にグレードアップあずさ色になったばかり)が走りましたが、そちらは青梅発上総一ノ宮行きの団臨が 勝浦まで回送で入線したものでした。そちらの復路は勝浦から乗車なので、やはり勝浦ビッグひな祭り関係のツアーのようでした。

 

 なお運転日は昨年は2月21・22・28・3月1日と、3月3日の前には全ての運転が終了しましたが、今年は2月27・28、3月5・6日となっています。


 ついでに、最近の使用車両をまとめてみました。(注:「ニューなのはな」の年は撮りに行きませんでしたので、確たる証拠ではありません・・・)  

 2015年 485系改 「いろどり(彩)」 

 2014年 485系改 「ニューなのはな」

 2013年 485系改 「やまどり」

 2012年 485系改 「ニューなのはな」

 2011年 485系改 「ニューなのはな」

 2010年 松本のE257系9連  

 2009年 幕張189系C編成9連・・(例:2月21日はC2)

 2008年 幕張189系C編成9連・・(例:2月23日はC4、3月2日はC3)

 2007年 485系改 「あかべえ」仙台車6連

   この年が最初のようで、表記は「勝浦ひなまつり号」。千葉DC(ディスティネーションキャンペーン)でSL(D51 498)が木更津中心に千葉へ、館山へと走ったり、ジョイフルトレインがたくさん房総へやって来た年です。


 ↑上記リストは 臨時特急のみに限っています。関連で団体臨やら(特急でない)臨時快速が運転された年もありますが、そちらは省略。すべて臨時特急は1往復でしたので、今年初めて2往復となり、1~4号、という名称が付きました。

 かつて臨特・臨快で2往復という年もあり、「ビッグ」の名称のあるなしで区別したと記憶します。

 2013年くらいまでは、復路までの間に館山まで回送されており、2013年の「やまどり」は山生橋梁で撮れましたが、最近は勝浦電留に留置されます。


 今年の勝浦での留置のようすは↓


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 昨年 同様、ぴったりと並んでいます。

IMG_1261 (3)

 

 今日は少し早めに出動して、ひさしぶりに255系も撮ってみました。今や255系の茂原以南への入線は「新宿わかしお」(一部の日を除く)のみとなっています。


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  9:00 9051M~9053M 新宿わかしお Be-03 浪花~御宿


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807) 多客臨「かつうらひなまつり号」の運転暦(2006~2016年)

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 前記事 806) で後半に「かつうらひなまつり号」の運転暦を載せましたが、記憶と自分の撮った画像を元に書きましたので、一部思い違いもあるようです。

 そこで、過去の「鉄道ダイヤ情報」誌をひっぱり出してきて調べてみることにしました。


 「かつうらひなまつり号」 は3月3日の周辺やその前に運転されますので、2月16日~3月15日の運転予定を掲載した毎年のDJ誌3月号を集めてくればいいのですが、それがなかなか大変。各号ばらばらに、いろいろな所に保管してあったので、集めるだけでゆうに1時間はかかってしまいました。しかし2008年3月号だけが見つからない。そこで、2008年の冬臨が掲載されている2007年12月号を参考にしました。


 集めたついでに、表紙も懐かしいのがあるので順に載せてみます。


 2004年、2005年は運転が無かったかの証拠として調べてみました。↓


DJ誌表紙 2004~2007年

DJ誌表紙 2007年12月号、2009~2011年

DJ誌表紙 2012~2015年

 さて、これらを調べた結果は以下のとおり。

 団臨ではなく、多客臨としての「かつうらひなまつり号」。その表記(漢字かオールひらがなか等)はDJ誌に準拠します。


 2004・2005年まで---運転無し


 2006年--110ページに初めて勝浦ひなまつりの掲載が登場します。勝浦 は漢字。

  3月4・5日運転 9522M~9221M 高尾7:23→10:09勝浦

            9222M~9523M 勝浦15:12→18:07高尾

            「ニューなのはな」使用


 2007年--2月からの「ちばDC」で、SL(D51498 が木更津中心に北へ南へ)や多くのJT車が房総にやって来た年。583系の夜行列車が安房鴨川~仙台間に「ゴロンとなのはな」号で走ったりもしました。

 「勝浦ひなまつり」関係は

 特急「かつうらひなまつり」 仙台の485系6連「あかべぇ」2月24・25、3月3・4日運転

    9021M 高尾7:34→10:44安房鴨川

    9024M 安房鴨川15:01→18:35高尾 往路~復路間は千倉へ回9022M~回9023Mとして回送

 急行「勝浦ビッグひな祭り」 勝田の485系K60 3月3日運転 

    9408M~9201M 高萩6:54→11:08勝浦

    9202M~9409M 勝浦15:41→20:00高萩 復路までは勝浦留置


 2008年--館山~勝浦間でD51498 が走った年、リゾートしらかみ「くまげら」も

 特急「かつうらひなまつり」 幕張の183・189系9連C編成 2月23・24、3月1・2日運転  

    9021M 高尾7:35→10:44安房鴨川

    9024M 安房鴨川15:01→18:35高尾 復路までは千倉へ回送

 急行「勝浦ビックひな祭り」全指 485系K60 3月1・2(?) 日立(?)~勝浦   

   ・・・2008年3月のDJ誌が見つからず、冬臨掲載の2007年12月号と自分の撮影で特急のC編成は確認できました。12月号は冬臨掲載で2月末までしか載っていませんので、急行は2月23・24日は運転が無かったのは確認できましたが、3月1・2日がどうだったかはまだ確認できていません。


 2009年--C57180 が木更津以北で、K60「春さきどり号」と 彩野の「花摘み南房総」が内房線で運転された年

 特急「かつうらひなまつり」 幕張の183・189系9連C編成 2月21・22・28、3月1日運転  

    9031M 高尾7:35→10:42安房鴨川

    9024M 安房鴨川15:02→18:34高尾 復路までは千倉へ回送(回9032M~回9023M)

 急行「勝浦ビッグひな祭り」全指 勝田の485系K60 3月1・2・3日運転(1日は高萩発、2・3日はいわき発)

    9408M~9201M (いわき6:07→)高萩6:52→11:03勝浦

    9202M~9409M 勝浦15:49→20:05高萩(→20:42いわき)


 2010年--特急のみの1往復化。常磐線発から高尾発に。そのぶんか?内房線で「花摘み南房総」が183系で運転開始。

 特急「かつうらひなまつり」 松本のE257系9連 2月20・21・27・28日運転

    9021M 高尾7:35→10:43安房鴨川

    9026M 安房鴨川15:01→18:34高尾 復路までは千倉へ回送(回9022M~回9023M)


 2011年--特急でも急行でもなくなり、JT車使用に。普通車全指。営業は勝浦までとなり、勝浦側線留置へ。

  「かつうらひなまつり」 ニューなのはな 2月19・20・26・27日運転

    9221M 新宿 8:04 →10:19勝浦

    9222M 勝浦15:13→17:46新宿


 2012年--内房線の「花摘み南房総」は183系で継続、臨時普通列車の「ニューなのはな」使用の「リゾートあわトレイン」が走りはじめましたが、「かつうらひなまつり」は設定がありません。震災後初の2~3月だからでしょうか。


 2013年--特急として復活しました。特急に「ビッグ」が付いたり、「勝浦」・「祭り」が漢字表記に。特筆すべきは復路は内房線経由で、房総一周となりました。

 特急「勝浦ビッグひな祭り」 高崎の485系「やまどり」使用。2月23・24、3月2・3日運転。

   9091M       両国 9:29→11:07勝浦

   9093M~9094M 勝浦15:03→15:31安房鴨川15:33→(内房経由)→18:10両国

    

 2014年--帰路に内房線経由はやめて一周はしなくなりました。勝浦留置。

   この年から回送も含めても勝浦以南へは入線しません。

 特急「勝浦ビッグひな祭り」  やまどり使用。2月22・23、3月1・2日運転

   9091M 両国 9:28 →11:11勝浦

   9092M 勝浦15:41→17:25両国


 2015年--フリースペースが1両付いた長野の「いろどり(彩)使用。初めて東京駅発着に。グリーン車指定席5両+フリースペース1両。普通車が無くなったので、乗車は高額。勝浦留置。183系M52も走りましたが、そちらは2月21日のみの団臨。

 特急「勝浦ビッグひな祭り」 2月21・22・28、3月1日運転

   9091M 東京(総武)9:22→11:11勝浦

   9092M 勝浦15:41→17:39 東京(総武)


 2016年--2週の土日 計4日間が2往復運転となるのは初めて。「かつうら」はひらがな表記に。2往復とも2月27・28、3月5・6日運転

 特急「かつうらひな祭り」 1号 9091M 東京(総武)8:18→10:19勝浦

               同3号 9093M 大宮8:50→11:14勝浦

               同2号 9092M 勝浦15:05→16:59東京(総武)

               同4号 9094M 勝浦15:46→18:06大宮

  1・2号は高崎の「リゾートやまどり」、3・4号は初めて大宮の253系1000番台使用です。253系が千葉以南へ入るのは初めてかも。



 あらためて思うのは、かつては「いちご狩り~」とか「花摘み~」とか「春の~」とかを冠した団体臨が前後の1~3月にはずいぶん多かった、ということ。今ではほんの数えるくらいしか団臨はありません。。。

 


070303-30 1041 9021M セン485系あかべぇ
   


    


  


    


      




808) フラワーまみやの会 鉄道写真展2016 開催のおしらせ

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 前回の2012(H24)年10月 に続き、これで第4回目となる 「フラワーまみやの会」鉄道写真展がまもなく開催されます。


 地元 房総在住の写真&鉄道愛好家有志10名で出展。

 今回も房総らしい風景の中を走る列車・イベント列車等を一同に展示。季節感あふれる作品で、よりどり45~50枚ほどになります。是非いらしてみませんか?

 ポストカードの販売もあり。

 期日:平成28(2016)年3月5日(土)~12日(土)

      それぞれ午前9時~午後5時


 テーマ:「房総を彩る列車たち」

      

 主催 : フラワーまみやの会


 会場: 鴨川市「みんなみの里」 農村文化室ギャラリー(本館入って左手)

  千葉県鴨川市宮山1696  TEL:04-7099-8033 (FAX:04-7099-8044)

  国道410号線と県道34号線(鴨川保田線 いわゆる長狭街道)の交差点(長狭中交差点)から南へ約300m ヤックスドラッグさんの向かい。入場無料

 

 みなさんのレベルが高いので、以下は引っ込めたボツ分です。
 当日展示はされませんのでここに載せちゃいます。


●●IMG_4467


●●IMG_8880


●●IMG_8957


●●931026 20n-1


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