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1164)わか・さざ50年史(10)S51~57急行・旧国の末期 わかしお減速YEAR-4~10

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 1163)

 

 

の続きです。

 

 S51年夏ダイヤから「わかしお」は歴代で最も遅いダイヤに移行した、のは前回書きましたが、この減速ダイヤ(東京~安房鴨川 ほぼ全て2時間26分ダイヤ)は、結果的には 房総急行「外房」「内房」が引退となる S57.11改正までの6年以上も続きました。「わかしお」の暗黒時代です。

 この期間の当初は、まだ72系が数を減らしつつも残っていました。加えて、各房総急行も最後の時を迎えてゆきます。

 

 トピックとしては、品川まで伸びていた総武快速線が いよいよ横須賀線との直通運転をS55(1980).10改正から開始します。羽沢経由の貨物別線(鶴見〜羽沢タ〜東戸塚〜小田原)と武蔵野貨物線(新鶴見〜府中本町)完成(後日)、品鶴線旅客線化→東海道線・横須賀線の分離完成によるもので、駅頭や車内には、113系の前面写真の左半分が湘南色、右半分がスカ色になったデザインのポスターが大量に貼りだされ、大々的にPRしていました。完成前から、”このような工事を進めています。完成までしばらくご迷惑をおかけしますがご協力お願いします”といった趣旨だったと思います。

 従来の東海道貨物線(複線)が 横浜駅の東海道上り本線のすぐ脇を通過していた頃、「こんなギリギリ線路2本のスペースしか無い所に横須賀線ホームを作るなんて絶対無理だ」と思っていましたが出来てしまいました。しかもかなり広々としたホームです。タネあかしは東急横浜駅の地下化でした。

 

 このMS分離(M電は東海道、S電は横須賀線)によって、房総各線の時刻表内での掲載ページは、ほぼ各社(のちのJR監修版を除く)とも 東海道線の次のブロックに移り、千葉県内の各線が思わぬ出世をしたようで、こそばゆい気がしました(笑)

 

 続いて、津田沼~千葉間の複々線化が完成し、S56.7.6に時刻修正が行われます。これによって、「わかしお」の下り千葉発は毎時39分➡37分へ、「さざなみ」も同様に毎時08・09分➡07分へと変更になりました。しかし、このスピードアップは以南の余裕時分にあてられ、全体のスピードアップにつながったわけではありません。

 どの区間に余裕が盛られたのか?「さざなみ」は千葉~木更津間、「わかしお」は千葉~大原間で、それ以南は変更はありませんでした。遅延を総武快速線に持ち込まないように配慮、ということのようです。したがって「わかしお」の暗黒時代は改善されませんでした。

 

 

 この時刻表はS56(1981)年の夏ダイヤが掲載されたS56年6月号から。夏ダイヤ時刻のページではなくて 本文のページです。

 この年の7月18日~8月23日には夏ダイヤになりましたが、その前 7月5日(日)の正午過ぎから6日の初電にかけて津田沼~千葉間の切り替え工事が行われ、大幅に運休・時刻変更がありました。翌朝7月6日からは総武快速線の津田沼~千葉間の複々線化が完成、↑のような時刻変更が行われました。もちろん総武快速線の修正も少し行なわれましたが、本格的な白紙改正はまだです。

 

 当時の様子をしのぶことができそうな画像を載せてみます。どうぞおつきあい下さい。

 

 横須賀線東京地下駅乗り入れに伴い、準備として数年前から113’系ATC車が横須賀線に大量に投入されていました。また冷房化のために東海道線の113系も置き換えが進められ、両線を追い出された113系0番台非冷房車が千葉へ続々と転入。湘南色とスカ色の混結も頻繁に見られました。

 

 1976(S51).1.29 7:48 湘南色4両を含む6連です。安房鴨川~太海 

 大原発225M~安房鴨川から722M館山行き 

 大原6:54→安房鴨川7:46→8:35館山 

 編成ふだが紺色なので津田沼電車区所属とわかります。

 クハ111-161 モハ113-175 モハ112-175 モハ113-176 モハ112-176 クハ111-1308←大原方 (ツヌ158編成) 

 MM'-175と-176 はナンバーが隣り同士なのに今までM電とS電に分かれていたのか、MM'-175だけが先に塗り替えられたのか?

 

 同日7:55 和田浦から回送の 回202M→外房1号へ(後追い) 

 和田浦7:44頃→7:57安房鴨川8:15→10:02千葉着→10:40両国着 

 クモハ165-126 モハ164-849 クハ165-191+クモハ165-134 モハ164-857 サロ165-131 クハ165-199→両国方(マリ52編成)

 

 1976.3.6 17:26 203M外房2号 153系7連

 新宿14:43→17:27安房鴨川 

 クハ153-55 モハ153-14 モハ152-14 モハ153-8 モハ152-8 サロ165-12 クハ153-56←新宿方 マリ72

 

 

 1976.6.19 7:01 123M ツヌ205編成 佐貫町で。 

 東京駅に大垣からの大垣鈍行で到着。内房線直通快速517Fに乗り継ぐと木更津からこの普電に3分で乗り継げます。折しも上総湊や館山方面への通学電車で、結構混んできました。

 123M 72系4M2T 千葉5:45→8:41安房鴨川 

 113系0番台転入で72系は減りつつありました。好きだったごつい顔つきのクモハ73はほとんど姿を消し、クハ79系が両先頭の編成がほとんどを占めてきました。

 

 

 1976.8.16 15:12 クハ79393(ツヌ201編成) 

 724Mとなるべく転線中。安房鴨川で。

 行先表示はまず内房線は紺色、外房線は赤です。館山行きの赤はレアで、朝にあった大原発館山行の225M~722M(大原7:01→8:39館山)にしか使われなかったはず。この列車は夏ダイヤでのあと運用だったのかもしれません。

 

 1976.8.16 15:13 クハ79422(ツヌ201)724M館山行入線。安房鴨川で。

 1枚前と同じ編成です。赤の千葉行きは間違っていますね。 

 

 1976.8.23 14:29 153M 

 クハ79351(ツヌ215編成) 太海~安房鴨川 

 こちらのクハ、ヘッドライトは屋根の上。

 

 同153M後追い。クハ79424(ツヌ215編成)

 

 1976.8.23 14:05 204M外房2号 両国行き マリ54。

 夏で7連が10連に増結されています。手前側の3両が増結の3連、サロは奥から2両目。

 この夏以降 遅延防止で発車が13分も早くなりました。千葉以北は同じままです。

 

 1976.12.29 14:24 204M外房2号 

 マリ第71編成 クハ153-34他  上総興津で。

 165系のイメージが強い房総急行ですが、153系も 7連X5編成(マリ71~75)+予備2両の37両ありました。対し、165系は初期車の転入があり50両になっていました。153系の一部には非冷房車も含まれ、夏季には運用からはずれることもありました。

 

 1976.12.29 13:53 32Mわかしお6号 

 クハ183-15他 第8編成(後打ち) 浪花で。

 東京~安房鴨川間2時間26分時代の「遅い」わかしおです。ここは通過ですが、このあと八積でも「わかしお11号」通過待ちで運転停車。

 

 1981.1.1 11:05 竹岡~浜金谷 

 5Mさざなみ5号 東京9:30→11:32館山

 今はここは立ち位置が無いと思います。

 「わかしお」は大減速の暗黒時代の真っただ中ですが、「さざなみ」は特に減速はありませんでした。

    (以下、次号へ) 

 


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