1104) の続きです。45年前の気動車王国へタイムスリップ
。
阪和線紀ノ川橋梁付近を散策したあと、六十谷駅へ出て 阪和線で和歌山駅へ移動してきました。
すると、天王寺発 新宮行きの「くろしお5号」が到着。なんとラッキーなことにキハ81が最後部(天王寺方)に連結されていました。
1976(S51)年10月17日 和歌山駅 13:48-13:50
16D くろしお5号(後追い) 天王寺13:00→17:33新宮
キハ81 6 キハ80 142 キハ80 103・・・・・→新宮方 (10両編成)
こちら側の後ろ3両(8~10号車)は白浜解放車、キハ81 6 はキハ81形のラストナンバーです。
ここで、キハ81・80形の和歌山在籍までの経歴を簡単にまとめてみます。
キハ81系(キハ81形・キハ80形・キロ80形・キサシ80形)は上野~青森間の特急「はつかり」を客車から置き換える目的で、1960(S35)年に登場。1960年12月10日から「はつかり」に就役。尾久配置でした。
S43.10改正(ヨンサントオ)で「はつかり」が電化(583系化)されると、奥羽本線経由で上野~秋田を結ぶ「つばさ」に転向。
このキハ81系「つばさ」は長続きせずに1年(1968.10~1969.10改正前まで)で終了。板谷峠越えの急こう配がネックとなりました。バトンタッチされたのは強馬力のキハ181系。
そしてキハ81系は、1969.10改正から 新規設定の「いなほ」(上野~秋田、上越線・羽越本線経由)に運用列車が変わりました。しかし 1往復では非効率なせいか、新規設定の「ひたち」へも共通運用とされました。
1日目:秋田→(いなほ)→上野→(ひたち)→平、
2日目:平→(ひたち)→上野→(いなほ)→秋田、という運用だったと思います。
上野停車中を当時チラ見したと思いますが撮ってはいませんでした。「いなほ」「ひたち」に使用されることになった時から尾久客車区から秋田機関区に、キハ81を含む初期車19両が転出しました。
一方、その前から関西方面では、1965.3.1改正で登場していた 天王寺~名古屋 を紀勢本線経由で結ぶ「くろしお」、東和歌山(現在の和歌山)~名古屋 を 阪和線~(杉本町)~阪和貨物線~(平野付近)~奈良経由 関西本線経由で結ぶ「あすか」がキハ82系で運転されていました。配置は和歌山機関区です。
需要がどれほどあるかわからない「あすか」が1965.3改正で設定されたのは、キハ82系が和歌山に配置されたことで、1往復しかなかった名古屋行き「くろしお」の間合い運用を考える必要にせまられて設定されたようなものだったようです。阪和線天王寺は頭端式で、そこから先へ進むことはできません。
「くろしお」は人気で、1967.10.1改正では 名古屋発着のほかに新宮・白浜発着を各1往復増発して 3往復に、同時に不人気の「あすか」は廃止されました。「あすか」は1965.3.3改正~1967.10.1改正の前まで という2年7か月という短命でした。
さらに「くろしお」の需要は多く、1972.10.2改正で日本海縦貫線が電化開業して「いなほ」が485系に電化されたことにより、キハ81系は東日本方面では用途を失ったため、「くろしお」の応援にまわることになりました。もう一つのDC特急「つばさ」は板谷峠越え用に 強力なキハ181系に置き換えられていましたし。
こうして「くろしお」が増発で6往復になった1972年10月2日改正時に、「いなほ」「ひたち」からキハ81系は撤退し、「くろしお」の応援、増強に回りました。この時は天王寺~名古屋間の1往復にブルドック型のキハ81形(6両 うち4両使用)が限定運用とされました。
この名古屋便限定運用についてですが、私が訪問したS51年には解除されていたようで、新宮発着や白浜増結車にも使われていました。なおこの頃でも名古屋発着の1往復は全区間10両編成だったのが時刻表(交通公社大判S51.7月号)でわかります。キハ81はボンネットなので中間に入れられないし、定員が40名と少ないしで、増結用付属編成(天王寺方)に組成されることが多くなっていたと思われます。ただし、名古屋編成の1号車方(天王寺発車時点の先頭車)にはキハ81が組まれていたと思います。(別の日に熊取~日根野間で撮影した記憶あり)
和歌山駅の7番線の西側には中線があり、さきほど和歌山機関区で見てきたキハ81系の増結用3両編成が DE10に牽引されて回送されてきていました↓。
和歌山駅中線 14:10頃
向こう側にDE10 1091 が連結されています。
田井ノ瀬方←キハ81 2 キハ80 102 キハ80 113+DE10 1091 →宮前方
この時点では、この珍妙な編成がその後どうなるのかはわかりませんでした。
すると、DE10を切り離した3両でいったん田井ノ瀬方へ引き上げられてゆきました。
どうやら、天王寺行き「くろしお2号」に増結されるようです。天ワカ の表示が見えます。
増結相手となる21D(白浜発天王寺行き)は まだ着いていません。
白浜からの7両が一番東側のホーム(和歌山線用ホーム・南海貴志川線ホームを除く)に到着しました。ここからはよく見えませんが、ホームの奥の方に止まりました。
すぐに増結の3両がゆっくりバックしてきました。緑の旗が見えます。そして天王寺方先頭部に連結。
21Dくろしお2号 白浜12:45→14:24和歌山14:29→15:16 天王寺
キハ81 2(10号車) キハ80 102 キハ80 113+・・・・←白浜方 (10両編成)
ふつう紀勢本線→阪和線を直通する列車は、和歌山駅の最も西側の1番線(本屋前ホーム)に発着しますが、この21Dは増結作業があるために最も東側のホーム(和歌山線用ホーム・南海貴志川線ホームを除く)に発着します。
公社版時刻表で調べると、S51.7号(S51.6.22訂補)では、21Dは全区間7両編成、と掲載されていますので、この3両は和歌山→天王寺間は回送扱いのようです。ダイヤ上は考慮されていて、この増結が行われる和歌山駅は、他の列車が2分停車なのに対して、21Dは5分停車、となっています。
この21D折り返しの 18D「くろしお6号」(天王寺16:00発)から10両編成としての営業なのでした。(当時は下り、上りともに1・2・3・・・号と付番)
14:39 8105レ「きのくに6号」 白浜 12:17→14:39和歌山14:44→15:43 天王寺
シーズン中の日曜運転で、DF50 15が12系6連を牽引
8105レは和歌山で5分停車。阪和線に入ってゆくので、ここでED61形に機関車交換です。すぐに解放されました。
向こうに新たに牽引となるED61 17 が機待ち線で待機中。
ED61 17(竜華)が旗の誘導で接近。すぐに連結されて8105レ「きのくに6号」は発車してゆきました。
向こうに70系が区間快速のマークで待機しています。日中は70系は4両だったと思いますが、朝夕は和歌山方に2両増結して6両になっていました。そのときクハ76形は、和歌山方から3両目にはさまれてしまっていました。
このあとの快速で天王寺へ向かいます.。
天王寺に着くと、なんとキハ81形が2本、特急・急行ホームに並んでいました。
逆光の西日が強く 光線は最悪ですが、かなり興奮したのをよく覚えています。
天王寺15:50頃
左:キハ81 2他 18D 16:00発 くろしお6号 新宮20:24着
右:キハ81 3他 6013D 15:47着 くろしお3号 新宮11:00発(日曜運転)
快速で移動中に、この6013Dにどこかで追い抜かれていたハズですが、爆睡していたのか、気づきませんでした。
16:00 18D くろしお6号 が発車してゆきます。新宮20:24着 キハ81 2他
和歌山で、21Dの時に増結した10両編成です。
ここぞというポイントで影がかかってしまいました(泣)。今なら何枚もシャッターを押すでしょうが、当時はカラーフィルムはそう大量には使えませんでした。
少しして 6013Dで15:47に到着した くろしお3号 が回送で発車してゆきます。キハ81 3他
たぶん和歌山まで回送なのでしょう。これの対となる下り新宮行きの土曜運転の「くろしお4号」への送込み回送を熊取~日根野間で撮った記憶があります。
時間は少しさかのぼって、15:56 254H 区間快速が天王寺に到着。
クハ79142 クモハ60006 サハ78235 クモハ73181→天王寺
天オト(鳳電車区)所属の旧型国電。72系の4ドア車と60系の3ドア車の混成です。
関西本線方の地平ホームには12系が見えます。15:43に天王寺に着いた8105レ「きのくに6号」 (白浜 12:17発)と思われます。和歌山駅で撮った臨急です。
阪和線に客車列車が入線するときは、天王寺は頭端式ホームなので 最も南側の各停用ホームに着いて、ED61に推進され(押されて)地平の関西本線のホーム東側に広がる留置線へ続く下りスロープをゆっくりと下って行ってました。
8105レ到着からまだ13分しかたっていないのに、各停ホームが忙しいのかすぐに回送引き上げされたようです。
逆の、臨時急行客車の据え付け、発車は残念ながら目撃したことはありません。優等列車用ホーム(一番北側)へもっていったのか、各停ホームから発車していったのか?見たことがあるかたはいらっしゃいますでしょうか。
ちなみに、この阪和線~関西本線をつなぐスロープは、今では切られてしまって存在しません。新今宮方~美章園方を直行する連絡線が設置されて不要となりました。
そこを今までは特急「はるか」、関空快速が頻繁に往き来するようになっています。