過去画像の中に、S47年に方向幕一覧表示を写したものがあり、拡大してリスト化してみました。現車は 183系の1次車クハ183の9号車です。
「国鉄方向幕書体」にはまってしまった私はこんなものまで掘り返してしまっています・・・(笑)
< 183系1次車 サイドの方向幕表示盤 駅名対照表より>
s47年12月30日撮影 (s47年7月のデビュー時と同じと思われる)
1 回 送
2 試 運 転
3 臨 時
4 団 体
5 特急 あまぎ 伊豆急下田
6 特急 あまぎ 修 善 寺
7 特急 あまぎ 伊 東
8 特急 あまぎ 東 京
9 - 勝 浦
10 - 茂 原
11 特急 わかしお 安房鴨川 (勝浦回り)
12 特急 わかしお 東 京 (勝浦回り)
13 特急 わかしお 新 宿 (勝浦回り)
14 特急 わかしお 八 王 子 (勝浦回り)
15 特急 さざなみ 館 山 (木更津回り)
16 特急 さざなみ 千 倉 (木更津回り)
17 特急 さざなみ 東 京 (木更津回り)
18 特急 さざなみ 新 宿 (木更津回り)
19 特急 さざなみ 八 王 子 (木更津回り)
20 - 木 更 津
21 { } 成 田
22 { } 銚 子
23 { } 鹿島神宮
24 - 千 葉
25 特急 あさま 直 江 津
26 特急 あさま 関 山
27 特急 あさま 妙高高原
28 特急 あさま 長 野
29 特急 あさま 上 野
30 特急 そよかぜ 中軽井沢
31 特急 そよかぜ 東 京
32 特急 そよかぜ 上 野
33 特急 とき 新 潟
34 特急 とき 上 野
35 特急 新雪 長 岡
36 特急 新雪 小 千 谷
37 特急 新雪 小 出
38 特急 新雪 石 打
39 特急 新雪 越後湯沢
40 特急 白根 万座・鹿沢口
41 特急 白根 長 野 原
42 特急 白根 上 野
43 特急 くろいそ 黒 磯
44 特急 くろいそ 上 野
45 特急 あずさ 白 馬
46 特急 あずさ 信濃大町
47 特急 あずさ 松 本
48 特急 あずさ 新 宿
49 { } 上 諏 訪
50 { } 日 光
51 { } 上 野
52 特急 - 上 野
53 特急 - 新 宿
54 特急 - 東 京
55 特急 - 千 葉
56 特急 - 甲 府
57 - 館 山
58 - 安 房 鴨 川
脚注: - はその部分の空白が無く、例えば9番なら大きく「勝浦」、24番なら大きく「千葉」
{ }は種別と列車名の後からの記入が出来るように空白を残していることを示す。
なお、113’系ATC車(1000’番台)には、「 急行{ } 安房鴨川⇔銚子(東金経由) 」なんていうビックリするのもあり、将来そういう列車ができるんだな・・・と一時的に信じてしまいました(S48年の秋ごろ目撃)。
以下、S47(1972)年12月30日撮影。
東京15:00発の5025M「わかしお7号」で 安房鴨川 17:03着。そのしばらく後に乗務員氏にお願いして撮らせてもらったものと思います。
9号車クハ183。1次車で、ナンバーはたしかクハ183-9 か-11あたりだったような 。
ダイアルは コマNo.11 から上りの No.12 に切り替えられています。
拡大して。
わかりにくいですが、No.43 と No.44 に幻の特急「くろいそ」 が見えます。
この翌年、S48年10月から183系0番台は定期特急「あずさ」の増発対応として中央東線に進出。当時は181系の10連に交じって、「あずさ」の半数を183系9連が受け持ちました。
上りの初発「あずさ1号」22Mと下りの最終21M「あずさ10号」は運転区間が新宿⇔甲府。初の甲府発着特急の誕生で、該当の1往復は幕張の183系担当。
と、ここで もう 下りで使う 「特急 あずさ 甲府」がコマに無い!という事態にぶつかったことが推測されます。おそらく、コマNo.56 の「特急 - 甲府」に「あずさ」を追記して使ったのか?とも考えられます。
甲府までしか行かないのに「あずさ」ではおかしいのでは?という論議もありましたが、「かいじ」は定期急行、季節急行で使われていました。富士急へ乗り入れる「かわぐち」との併結が多かったです。
こちらはクハの貫通扉の裏側。
183系1次車はまだ手動で、右側の取手をぐるぐる回して、下の小窓で現に表示されているコマを確認しながら動かしていました。ちらりと見えるのは「・・しお」の下側と思います。
手動ゆえに、位置ずれも頻発していました。とくに運転開始当初は。
前面表示の文字順序。こちらはコマ数が少ないせいか、「くろいそ」はありません。
さて時は26年経ち・・・・
183系貫通扉車による「新宿さざなみ」
1998.8.29 千倉で撮影。
15時台後半に千倉を発車する上りで、当時は「新宿さざなみ」は1往復のみでした。
左は2号車モハ182、右は1号車クハ183。
この編成(上り側3両はマリ24、下り側3両はマリ23)は、両クハは方向幕の枠が灰色Hゴムの0番台、中間車は黒Hゴムの1000番台(非グレードアップ車)でした。
以下、2011.1.13 成田電留線で。
2011.1.13 成田団臨で高崎線からやってきた OM-102
左:クハ183-1012、右:モハ182-1045
残念ながら、国鉄方向幕書体ではなくなっています。直線が多く角ばった感じで、角ゴシックの一種というべきか・・・
以下、現存する豊田のM52、国鉄特急色当時です。
2013.12.14 河口湖で16:00の発車を待つ上り「ホリデー快速 富士山2号」
1号車クハ189-509、河口湖発車時の後部。
JR化後、国鉄方向幕書体はこのように角ばったものに変えられて、消えてゆきました。
「新」の3・4画目の縦棒の角度とか、「宿」の6画目の「百」の横棒が低くなくなっていたり、とか細かい違いがあります。線の端も角ばっています。
車体下部の所属区表示も、このような いわば角ばった「JR書体」ともいうべきものに変わってゆきました。