この夏、いすみ鉄道では8月6日(土)から キハの「ヘッドマーク祭り」が行われています
↓いすみ鉄道社長ブログの8月3日の告知
http://isumi.rail.shop-pro.jp/?day=20160803
6・7日は都合で行けませんでしたが、11日にキハ28の「羽台座のみの姿」を見たくて行ってみました。
昨日まで、しばらく晴れの日が続いていましたが、11日は早朝 5時ごろから6時過ぎにかけてスコールのようなざあざあ降りの雨!
その後すぐやみましたが、とうとう夏晴れとはなりませんでした。
羽台座のみはこの1本のみです。間に合うように夜勤明けのまま急いでやってきました。
こういう姿は、関東周辺ではかつても見た記憶がありません。(S44年くらい以降)
雑誌等の記憶で、上越線や信越線・高崎線にあったような記憶がありますが、台座自体はもっと小さい逆台形だったか?と思いますし、早くに無くなってしまいました。
一番遅くまで残っていておなじみだったのは、関西圏の新快速ブルーライナー153・165系にS50年ごろからS55年はじめまであったもの。それらは、153・165系の新快速は9時から運転を開始するのですが、その前の通勤時間帯に6連を2本つないだ12連で快速運用に就いていたときのものです。羽部分は黄色の無地で、中央の横帯は水平だったかと思います。
これらは野洲の留置線に停泊していた153・165系6両編成を、朝方、姫路まで12連X1本、大阪まで12連X1本を間合い運用の快速として送り込んでいたものです。
朝方に東方向への153系快速が適当な時間帯にあれば、当時の私は利用するチャンスが頻繁にあったのですが、逆方向だったのでなかなか利用できませんでした。でも早朝に明石から姫路へ使ったことが2~3回あります。姫路が近づくにつれて通勤時間帯に近くなり、2ドアなので野洲発大阪行き快速とともに「遅れ要注意」の列車だったと思います。
またS50年代前半ごろには阪和線の113系新快速の間合い運用の快速にもあり、そちらはオレンジ色の台座でやはり無地でした。
もっとも、東京の中央線特快(の間合いの快速)を含めれば、それが一番おなじみだったといえるのでしょう。
101D 急行1号
左側に祠を入れようとしていたのですが、つい右へ振ってしまいました。
この後、山越え短絡ルートで急げば、またまた西畑で間に合うかもしれない・・・
以下はのちほど。