JR西日本から、D51 200 の本線復活が先月発表されています。
JR西日本のHPから↓
https://www.westjr.co.jp/press/article/2014/10/page_6307.html
かねてから、D51 200 の現役当時の写真をマイネガの中から探していましたが、いくつかピックアップして掲載します。私にとっては、初めての撮影行で生きた蒸機を撮ったのがこの D51 200 が初でした。忘れられないカマです。
S47.4.1 7:33ごろ 868レ 贄川~木曽平沢で
新宿から 23:00発の165系 8401M「アルプス51号」で松本に4:24終着。
松本5:15発432M甲府行きで塩尻まで戻ってきました。
塩尻では824レ(松本6:00→11:09名古屋)が中央西線に入る一番列車で、そのDD51牽引の824レで7:00ちょうどに贄川到着。すぐに木曽平沢方へ歩き撮った1枚。
初めて撮った 走行中の生きた「蒸気機関車」となりました。同行の2人には感謝です。
868レを拡大。重連でD51 200+D51 827です。
2両目のカマ番がわかるのは、824レに乗って塩尻を発車時に、洗馬方と広丘方の分岐点あたりで、バックして塩尻駅へ向かうのを撮っていたからで、それがこの1枚↓。
おそらく、発車したばかりの客車のドアに片手をかけて、片手で撮ったのかもしれません。824レの車内は混雑していて暖房も充分効き、もう人いきれでむんむんしていた印象があります。すご~く眠くなりました。
塩尻駅へバックで向かうD51 200+D51 827。6:38ごろ
SL?!って呼び名がちらほら言われ始めていたころ、「俺はそんなハイカラなモンじゃない。蒸気機関車だ」 とでもいわんばかりに、ただものすごく重く、動作がのろくそして鈍重で繊細。ゆっくりバックして塩尻の駅へ向かいます。
10:41ごろの重単8870レ。贄川~木曽平沢で
贄川から木曽平沢まで、いや木曽平沢~奈良井間はさほど遠くないので結局奈良井まで 計7.0Km歩き通してしまいました。長靴には雪が入り、冷たくてつらかったのをよく覚えています。
重単8870レ は有名な列車で、数多くの貨物列車が通りましたが、その中でもこの列車は印象深いです。翌日のこの列車にはD51 775+D51 200 が入り、野尻駅で撮れました。
翌年には「SL快速木曽路号」に中津川→木曽福島間を乗りましたが、木曽福島でまたこの重単8870レに出会いました。
木曽平沢、そして鳥居峠へ向けての上り勾配を行きます。
雪原の中に2名撮影者が見えます。
そして鉄道100年で、同じ昭和47年には梅小路機関区へ収蔵されるカマに抜擢されました。
きれいに磨かれたD51 200。S49.11.19撮影
特徴ある長野工場の排煙装置ははずされたようです。
D51 200 1938年製造(国鉄浜松工場)
1938年~稲沢機関区
1943年~米原機関区
1945年~大垣機関区
1950年~中津川機関区
1972年~梅小路機関区
梅小路へ入るまでの現役約34年間のうちの、あとの約22年間はずっと中津川機関区で、木曽路のエースといってもよいでしょう。
梅小路で余生を過ごすようになったころ、周囲にはこんなカマたちが。
C11 64、D51 1。C11 64は会津若松から、ナメクジは浜田から梅小路へ来ました。
D51 1 は北海道で撮った気もするのですが勘違いだったかも?今度ネガを調べてみます。
シロク二は言わずと知れた小樽築港から。となりのキューロクも小樽築港からとのこと。
3枚とも S49.11.19撮影
D51 200 の本線復活運転は来年(H27年)の秋以降とのことです。「SL北びわこ号」のC56 を置き換えるようですが、「SLやまぐち号」にも使われることがありそうです。
D51らしく、貨物列車も牽かせてみたい気もします。(料金取れないか・・笑)