9月27日(土)のお昼前に突然噴火した木曽御嶽山
紅葉シーズン真っ盛りの、久々に好天が見込まれた週末、しかもAM11:52という登山者が多い時間帯。なんという悪いタイミングだったのだろう。。
もし夜間だったり、平日だったり、あるいはもう数週間後の雪が降り始める季節だったらこんなに多くの被害者が出ることも無かっただろうに。。。
噴火4日目の30日夜現在、まだ王滝頂上小屋付近から剣ヶ峰山頂小屋付近にかけて、小屋の中も含めると24人もが心肺停止状態のまま麓へ搬送できない状態。さらに剣ヶ峰から二ノ池~賽ノ河原付近の山小屋にかけても40人くらいが取り残されている可能性があるとのこと。
謹んで亡くなられたかたのご冥福を祈るとともに、北部方面の山小屋内部で生き延びているかたが見つかることを願っています。
木曽御嶽山には31年前の昭和58年10月に登山しました。今回、懐かしい写真を探してみました。
昨今の報道では、「御嶽山」との表記が多いですが、私たちは普通に「御岳山」と書いたりしていました。このほうがなじみが深いです。
前日の土曜に頚城の雨飾山に登り、下山後たしか松本の信州会館でザコ寝。
深夜に夜行急行「ちくま」で木曽福島に2時台に着き、駅の待合室で仮眠して朝一番のバスで田ノ原バス停まで入りました。そこから王滝登山道で剣ヶ峰を目指します。
撮影はS58.10.23。秋が深まり、早くしないとまもなく3000mの高峰には雪が降る季節で、登山者はわずかでした。
田ノ原バス停から少し歩いたあたり。山頂は雲の中ですが、予報は悪くなかったのかそのまま登ります。
途中の山小屋で。雷鳥がさみしい単独行をなぐさめてくれる気がしました。
まもなく山頂。飛騨側を望める稜線に出ました。飛騨側では噴煙が上がっており(右側の煙)、この山が活発な活火山であることを思い起こします。
剣ヶ峰頂上でちょっと一服。
祠(ほこら)や仏像が多く、古くからの信仰の山にはどこでも少しは見られますが、こんなに充実しているところはなかなかありません。3000m峰でこんな光景は初めてでした。
山頂から南~南西側方向で、八丁ダルミ と呼ばれるあたりです。向うが継母岳、下に見えるのが剣ヶ峰頂上山荘かと思います。稜線のすぐ西側では噴煙が盛んに噴き出しています。
剣ヶ峰付近から見た飛騨側の急斜面。
今回噴火したのは、報道によるとこのあたりのように見えます。
山頂から北側、一ノ池を望みます。一ノ池は山頂にもっとも近い大きな元噴火口でしょうが、水はたたえておらず干上がっています。
左側高い位置が一ノ池。その右下(北側)、やや低いところに位置するニノ池。こちらは水をたたえています。今でもそうです。
あそこを越えてもっと先まで行ってみよう、と思わせる稜線散歩。
ニノ池。硫黄分が含まれていて光の関係でこんな色になるのか・・
途中の稜線から見た飛騨側。
このあたり(いわゆる地獄谷?)では硫黄の噴出で急斜面が黄色く変色していたり、火山灰で覆われていたりしていました。
この右側あたりに列状に噴火口が開いて、今回の突然の噴火が始まったように見えます。
剣ヶ峰北側で。バックはニノ池
標柱には 「長野県立公園 御岳山 3063m」 とあります。
そこそこに山岳宗教的モニュメントがあります。石積みと同化してしまいました。
一ノ池北側から 剣ヶ峰方を振り返ります。
手前の窪地で平らになっているのが一ノ池。今回の捜索で、自衛隊のヘリコプターの発着場所になっているようです。平らな所は他にはありません。
窪地になっているので、噴煙が濃くなると比重の重い火山ガスがこの辺にはたまりやすいようで、9月30日の捜索がやむなく中止となったのは火山ガスが濃くなったためのようです。
この北側の角度から見て、この稜線の向う側から大規模な噴煙が巻き起こった映像が繰り返し噴火初日にニュースで流されていました。想像するだけでも恐ろしい・・。
王滝ルートから田ノ原バス停へ戻るには、剣ヶ峰を越えるか、斜面を左側にトラバースして行く道(左側の剣ヶ峰の、向かって左下に見える道)を戻るしかありません。
魔利支天山?このあたりで折り返した記憶が・・
二ノ池湖畔。ここにも多くのモニュメント
右手にちらりとニノ池山荘。
ここに泊まってゆっくり・・・もいいですが、まだ昼を少し過ぎたばかりだし、田の原バス停(御岳観光センター)までは下山コースタイムで3時間弱、ゆっくり休憩しても4時間もあればじゅうぶん帰れるので帰ることにしました。
稜線には霧がまとわりつき始め、何となく恐ろしい雰囲気になってきました。周辺には誰もいません。