572 ) の続きです。
高浜線の終点高浜から西衣山へ移動してきました。ここではJR予讃線と両方が撮れそうということで。
訪問した1989年当時はもちろんインターネットで事前に下調べなんて発想自体あるはずもなく、撮影地はもっぱら現地での一発勝負でしたので、行きの電車で線見をし、ここにしたものです。とくに地方ローカル私鉄は雑誌などによる情報が少なく、その点で苦労・不安が多かった・・・。しかしそれなりの、いやそれ以上の ‘探す楽しさ’ そして‘見つけた喜び’はずっと多かった気がします。
高浜を10時すぎの上りに乗って西衣山へ。ここから2駅目が古町(軌道線との乗換駅)、3駅目が大手町(JR松山駅の至近)、4駅目が松山市(郡中線との乗換え 伊予鉄の中心ターミナル)です。
10:40 下り高浜行きが旧型で来ました。
304-502-303←市駅方 衣山~西衣山
303他の編成が西衣山を発車。
上りの700系2連が入ってきました。769+719です。700系には3連のものと2連のものがあります。
ここはJR予讃線との交差があります。区間としては三津浜~松山間にあたります。
鉄道線どうしが交差するとき、あとから敷設されたほうが上をまたぐのが礼儀(笑)。ここでも予讃本線は先輩格の伊予鉄道線に敬意をはらって上をまたがせてもらっています。
10:27 1139D 観音寺(かんおんじ)6:26発 松山行き
キハ20 367+キハ20 315+キハ47 1122+キハ45 43←観音寺方
予讃線はここはまだ非電化。1989年当時の電化区間は予讃線高松~観音寺、土讃線琴平までで、四国は気動車の天下。
10:49 4141D キハ32 4単行
伊予北条10:21発 松山行き
今治~伊予北条~松山~伊予市間の区間運転にはおもにこの単行や短編成が使われていました。国鉄の置き土産ともいえる少数派。
10:57 5Dいしづち5号 高松8:19発→松山行き 11:00着
先頭の1号車はキハ181-1。向う高松方5号車はキハ181-34、中間3号車はキロハです。
5D いしづち5号 後追い
振り返って後ろも撮りましたが181系はエキゾーストがすごい。これなどはまだいいほうで、かつて上野駅の地平線を発車して加速しつつある朝の「つばさ」キハ181系を鶯谷で撮ると、特に先頭車はもろ逆光中を突き進んでくるので「蒸機かっ?!」と思うほど。周辺一帯は数分間かすんでしまうのでした。
11:09 さきほど下った304-502-303→ の編成が戻ってきました。
中央のサハ502は、早朝見たサハ412と違って、側ドアのみのへ型の雨どいがありません。
キハ185-18 キロハ186-7 キハ185-24 キハ185-1004 キハ185-1013←高松方
こちらも国鉄からJR四国への置き土産。1989年時点では181系をやや凌駕する本数があったと思います。