またまただいぶ間があいてしまいましたが、800番台特集の続きを再開します。
841) の続きとなります。
今回は その7 で 高崎車両センターの12系800番台「くつろぎ」を。
千葉県内にもわりと頻繁にやってきて、すっかりおなじみとなっていた編成です。
1983年、12系座席車を幡生工場で改造し誕生。新旧対照は以下の通り。
1号車 スロフ12 822 赤城 (旧スハフ12 109) ↑蘇我時点で北側
2号車 オロ12 841 榛名 (旧オハ12 170)
3号車 オロ12 843 妙義 (旧オハ12 175 サロン室付)
4(寿)号車 オロ12 842 浅間 (旧オハ12 176 サロン室付)
5号車 オロ12 844 秩父 (旧オハ12 177)
6号車 スロフ12 821 男体 (旧スハフ12 108) ↓蘇我時点で南側
向きは、入線する経路によって逆転することもあります。
車内は和式でお座敷です。登場時は12系の青20号に30cm以上の太い白(クリーム10号)の帯を入れたもので、九州の12系にもあったような特に特徴の無いお座敷客車でした。
1987年3月、国鉄末期に色が 茶色に白帯という個性的なものに変更され自分のなかでは注目の編成となりました。
今でも残存のEF64 1001の茶X白帯 は当初 「くつろぎ」にあわせたものだったそうですが、それは忘れていました。そうだったっけな?千葉県内ではDL牽引が多かったので、その印象はありませんでした。
青色時代(1987年3月以前)はあまり撮ってはいませんでしたが、茶色化され追うようになりました。
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1987(S62)年10月25日、DD51牽引の秋の団臨で外房線を下ってきた、茶色化された年の「くつろぎ」
勝浦駅1番線でしばらく停車。当時は0番線はホームの無い側線でした。駅舎は立ち位置の後ろ側の地平にありました。
3号車の2号車寄りと 4号車の5号車寄りには大きな固定窓がわかります。その部分はサロン室になっていました。
テール部の「くつろぎ」の文字があまり目立たず、別な機会でしたが、ある踏切でやっと文字を読めるようになったらしい小さい男の子が 「く・ろ・ろ・ぎ!」と指さしていたのをよく覚えています。バックの青と白は、左右に扇子2枚。
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1998.9.6 14:22 9121レ 高崎発
DE10 1543+12系くつろぎ 竹岡~浜金谷
まだ館山道は開通していませんでしたが、金谷ICまでのアクセス道路の工事は進んでおり、この位置で撮れるようになった最初のころです。
バックの建物が多いし、「としまや弁当」も健在でした。
ちなみに、通常は気にせずに走ってしまいますが、正式には 京葉道路接続部~富津竹岡ICまでが 東関東自動車道館山線(路線指定の政令では千葉富津線というらしい)(=高速自動車国道、いわゆる高速道路)、富津竹岡IC~富浦IC終点までが 富津館山道路(自動車専用道)、とややこしい。料金が高く感じるのは、一部加算されるという部分もあるのでしょうか。
なお、全通(君津IC~富津中央IC間が最後になった)は2007年7月だそうで。
SLが走った年、2007年の1月には 富津中央IC以南は先に利用できたと思います。ちょうど追っかけに利用できて便利になりました。
1999年9月29日限りで引退。
千葉県南部への入線はこれが最後となりました。
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1999.9.19 14:45 9223レ渋川発安房鴨川行き
安房小湊で3分、安房天津で5分停車でしたが、先に行って追うことはせずにここで待っていました。
DE10 1535+12系800番台「くつろぎ」
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引退が報じられていました。
あと10日、通いなれた房総へ最後にお別れに来たようです。
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回送で千倉側線へ。
内房線末端に入線するので今なら山生橋梁も考えられますが、当時は木々の具合でサイド気味に撮るところしかなく、3~4両くらいが限度だったと思います。
安房鴨川① 14:49-14:51発 回送➡15:07和田浦15:08➡15:27千倉、マルヨ
南三原で5分くらいの停車があったかもしれません。
しかし、客車なのに安房鴨川~千倉間36分とは結構速く、追いかけはしませんでした。
千倉駅では撮影者が多くなっていました。
鉄のいとこと甥っ子も同行で。
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←(外房経由)千葉方、3号車(妙義) 寿(4)号車(浅間)→館山方
窓下の白いラインの中に小さく「1」と入っていますが、グリーン車(旧1等車)を意味するデザインで、1両の左右に「1」を入れたそうです。
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3号車の2号車寄りにサロン室(右)。さらに右隣りの4号車の5号車寄りも同様です。
左は2号車(榛名)。
3号車と4号車にサロン室を設置するため、その位置の関係か1~3号車は反転しており、左右対称の構成となっています。さらに3・4号車は車両ナンバーが逆順となっています。
電力使用量が増えると見込まれるのか、本来の12系の片方エンドは オハフ13(発電エンジンセット無し)だったのですが、両エンドともにスハフ12 が種車となっています。これは他の12・14系が種車のジョイフルトレインみなそうでした。
ちなみに、本来のスハフ12 は2次車以降(1次車ものちの量産化改造で)180KVA の出力となり、自車を含めて6両まで給電可能となっていました。
翌日は内房線ではなく外房線経由で帰って行きました。ただし館山始発です。
千倉でDE10 が機回ししなかったのはそのせいでした。
9月20日(月)
千倉10:37 回➡10:58館山12:20➡千倉12:33➡13:07安房鴨川13:11➡13:28行川アイランド13:34➡勝浦➡渋川
館山で乗車だったか、行川アイランド(棒駅なのに6分停車)で乗車だったかは、今やわかりません。館山へ行くのは単に整備のためだったかも。
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最後に、このコマ次のカットのテールマークを拡大してみます。
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次は「高12A やすらぎ」を予定。