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848)189系M50編成(あずさ色)使用の舞浜TDR臨運転(8月18日)

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 8月18日(木)、高尾発舞浜行きのTDR臨が運転されました。

 昨年のちょうどこの時期 (8月20日 木曜) には常磐線からの651系によるTDR臨 があり、No.761 の記事に掲載しましたが、今年は高尾発です。夏休みだし集客しやすいのかな


 豊田の189系、M51(国鉄特急色)、M52(グレードアップあずさ色)もありますが、今回の団臨(西801)はM50あずさ色でした。

 最近の(個人的)人気では M51>M52>M50でしょうかね

 でも今やそんな贅沢なことは言ってはいられない状況となっています。



 2016.8.18(木)

 吉川美南を通過する9731M 西801

 陸橋の影が中間に落ちるので、曇りの日のほうが良いかもしれません。陸橋の上へ登れば避けられるのですが、5分後の下りに乗りたいと思っていたので、陸橋へ登るのはあきらめました。

  

 行路は、豊田7:38 回9530M~8:17四方津8:36 回9526M~8:56高尾8:58 9530M~9:18立川9:22 9731M~9:26国立9:37~南流山10:35~11:15舞浜11:17~11:35東京

 東京11:43 回9721M~12:15新習志野

 復路の高尾行きは夜になります。



 吉川美南を5分後の965Eで船橋法典へ先回り。

 9731Mは京葉線ダイヤや東京駅ホームの空きをうかがうため、市川大野で中線に9分停車します。



 東京からの回送は葛西臨海公園にて。舞浜は混んでいました。回9721M



 回9721M後追い

 この直前の1129YはM34(唯一の209系500番台)でしたが、そちらは後日に。


 朝 雨だったので、傘を持って行くか迷いましたが持って行かずに正解。ただ、この後 お台場に用事があり、室内にいた時ですが、外では急激に雷雨でした。


849)「リゾートあわトレイン」最終週 8月20日(土)

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 いよいよG1「ニューなのはな」使用の「リゾートあわトレイン」は今週末が最終週です。




 2016.8.20(土) 9143M 君津10:38→12:31安房鴨川12:39 回9246M→12:53安房小湊


 実は別な地点を考えていましたが、今日の海の色は青というよりも緑っぽいのが特徴。

 3個の台風が南方で日本をうかがう気象状況で、白波も多い。で、ここ山生橋梁にしました。

 先のほうに一名撮影者がいただけという閑散さ。


 海がきれいな晴れた日にはサイドが影になってしまいます。










 安房小湊への回送列車、回9246Mが発車

 乗車してきたと思われる鉄たちが大勢撮影しておりました。かなたの直線の先に消え去るまで動画を撮り続ける人も。


850)「リゾートあわトレイン」最終日 8月21日(日)

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 G1 「ニューなのはな」編成の引退にともない、21日限りで「リゾートあわトレイン」 は運転を終了します。他の車両を使ってこの列車を運転ということも もう無い、ということです。


 最終日なので、多少の悪天でも記録しておこう、と思っていました。

 幸い、台風9号の接近でもなんとか一時的な小雨ですみました。



 2016.8.21(日) 12:24 9143M 江見~太海 

 クロ484-5 モロ484-9 モロ485-7 モロ484-8 モロ485-6 クロ485-3(6号車)→安房鴨川方

 さすがに車内は大勢のようす。


 指定席は発売日に瞬殺で売り切れ。あとになって(転売をあきらめたか?)わずかなキャンセルが出た、とのこと。自由席は始発の君津で2時間も前から列が出来始めた、とのこと。 



 このあと、太海で交換の2180Mがやってくるころには、雨がポツポツと。


 至近のトンネルの上の斜面から mizuhoさんが降りてきて 下でばったり!

 目立つ車体色なので、俯瞰でも引き立つようです。


 復路は暗めのどん曇りになってしまったので行きませんでした(というか、夜勤明けで爆睡)。


 これで、あとは来週 週末の団臨と、長野廃回を利用した団臨のみとなります。


851) E491系 East i_E +マヤ50 外房・東金線検測 (24日)

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 本日24日、East i_E +マヤ50 5001 の外房・東金線の検測が行われました。


 4~5ヶ月に1回巡回してきますが、そのうちの3~4回に1回くらいは下り方より3両目に マヤ50 5001(仙台車)を連結しており、今回はそのマヤ付きです。


 まずは幕張から出発して東金線成東までを検測。



 2016.8.24(水) 11:13 試9671M

 大網~福俵  福俵・・・よく考えると縁起のいい駅名ですね。秋にふさわしい。

 ついでに東金も大網も縁起がいい。海も大漁、陸も豊穣。


 大網跨線橋ができたおかげで、ここに新しいアングルが登場しました。ただ晴れるとサイドは逆光です。


 成東で折り返してくるまで時間があったので、旧大網駅の跡に行ってみました。



 腕木式信号機が移設されて建っています。


 この建植の位置、かつての空撮の画像 (wikipedia にS49年の空撮画像があります)と照らしあわせてみると、旧駅舎(本屋)の正面、向かってやや左側あたりにあたるようです。

 それにしても、かつての駅前広場の狭かったこと!


 旧駅舎のところは公園としてかるく整備されています。

 向こうを大網11:26発の1643M(4連)がやってきました。千葉からの直通なので、大網4番線発です。




 旧駅前の道路が東金方を向いてかくっと右に曲がる所の線路側です。


 このすぐ左手に本屋はありました。

 本屋のすぐホーム側には2・3番線に渡る跨線橋があり、今コンテナハウス(倉庫)が7つ並んでいるところはたぶん1番線ホーム(上り千葉方面)の東金寄りあたり、その右手の道路あたりはおそらく0番線(東金線内列車専用の行き止まりホーム)の跡と思われます。ここに東金線のキハ17・35・45等の2両編成が止まっていました。

 0番線は短くて、おそらく2両か3両までしか止まれなかったんではないかと思います。

 東金線には夏臨で DD51(のちにDE10)+客車(6~8両くらい)がS48年夏まで走りましたが、それらは線内列車ではなく必ず千葉駅直通でした。


 近くで見たいと思いましたが、これ以上は入れません。


 本線のホームでは、首から下げた駅弁売りや経木(きょうぎ)に入ったシャーベット状のアイスクリーム売りが急行発着時には行き来しており、祖父に買ってもらうのが小学生の私には楽しみでした。


 向こうの切り通しの感じは、旧駅舎が現役だったころと変わりませんね。

 

 大網駅はS47年5月26日に現在の位置に移転されました。S47.7.15 の外房線電化開業の前日まではキハが新ホームに着発しており、時刻は旧のままだったので、カーブした新ホームでの停車時間がやたらと長かったです。



 大網~土気間のひまわり畑があるところに向かってみましたが、もう全く面影も無く・・・でした。


 そこで、かつて日本航空の研修所だか従業員用の宿泊施設があったと思われるところに通じる細道を行きます。この道はかつて(S50年代なかばくらいまでか) は細いながらも整備されていました。

 今は荒れ放題。このあたりの山林も今や荒れていて、小道は枝や木っ端が堆積し狭くなり、うっかり車で入ると脱出が不安になります。遠くに置いて歩いて行くのがベター。

 かつての日本航空研修所は土気駅からが正面入り口で、こちらは裏道のようでした。

 今やこんなところに?というほどの場所ですが、確かに道案内の看板はこの橋の近くに立っていたのでした。




 試9672M 11:58

 E491系が土気坂を飛ばして登ってゆきます。この先すぐに土気トンネル。



 試9672M後撃ち 土気トンネル坑口が見えています。

 ぽつぽつと雨が来ました。東のほうで雷鳴も。


 このあと、誉田方へ向かいますが、そこでの撮影後に天候は大変なことになりました。(以下次号で)





 

852) E491系 East i_E +マヤ50 外房線検測 と木更津回送(24日の続き)

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 851) の続きです。


 E491系 (East i_E) は東金線のあと、誉田で折り返して外房線安房鴨川往復への検測に向かいます。



 2016.8.24(水) 12:25 試9275M

 誉田12:22~13:17 勝浦② 13:43 試9277M~14:25 安房鴨川③ 14:32 試9276M~16:35千葉⑤ 


 みるみる空が暗くなってきました。

 障害物があるので広角気味に構え、f=5.6、1/1250 で切ろうとすると、なんと ISO=3200 が必要な暗さ。真っ昼間というのにです。





 誉田駅で中線に停車中に雨に降られたか、車体の雨どいからは水が大量に吹き出しています。

 この時点ではここの雨はポツポツといったところ。


 しかし、車に戻って3分もしないうちにゲリラ豪雨。自転車に乗って帰宅中らしい高校生がずぶ濡れです。

 さらに、豪雨の中を蘇我ICへ向かうも、IC近くのアクセス道路(片側2車線)で交通事故が起こったばかりのようで、全く動かなくなってしまいました。



 午後~夕方には晴れてきました。


 今回は、安房鴨川から千葉まで戻ってきたあとすぐに幕張へ帰区せずに、木更津への回送往復、というおまけの運用があるようで、巌根~木更津間で木更津へ回送される E491系を待ちうけ。



 回9173M

 千葉⑤16:47~17:30木更津 


 通常は外房線検測が終わると千葉から幕張へ回送されますが、今日は木更津へ向かいます。マヤ50 の給油のため、とか。

 内房線の定例の検測のときは、下り木更津までは午前中に通過しますが、今回は夕方となり、いつもとは違う夕方の光線の中を木更津へ向かってゆきました。



 夏の夕暮れ。マヤ50 を拡大して・・・と思ったら、木々の影落ちが甚だしくご覧のありさま。


 このあと木更津駅に向かったら、4両の編成は解かれることなく中2番線に停車中。

 18時を過ぎても転線の気配はなく、あきらめて帰路へ。

 給油を終えて幕張へ戻るのは夜間になるようです。

853)ありがとう「ニューなのはな」南房総乗りつくしの旅(8月28日)

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 本日、485系G1編成使用の

 「ありがとうニューなのはな 南房総乗りつくしの旅」 が運行されました。


 昨日8月27日の 「ありがとうニューなのはな 北総乗りつくしの旅」 に続くもので、

 千葉県下のみで運行される最後の「ニューなのはな」使用の団体臨となります。



 2016.8.28(日) 11:43 九重~千倉で


 両国8:21発~館山~11:45 千倉

 両国~館山間は GWなどに運転される「お座敷内房号」のスジにほぼそっています。


 ここにしたのは、千倉で約1時間5分ほどの停車時間がもうけられていて、サイドの幕回しを行うことが告知されていたからでした。

 もっと混んでいるかと思っていたら、15分前くらいに到着したときは2人しかいません。直前に「青堀からこれで5発目・・・」という2人も合流し、計5~6人くらい。

 「お座敷内房号」のダイヤのままなら館山着は10:40ごろなので、各所計50分くらいスジがねているようです。


 千倉に行ったら3番線に停車中。






 11:20頃から幕回しが始まり、このようなスペシャルなのも・・




 千倉発車の20分前くらいに出発しここへ。



 山生橋梁時点ではこの幕でした。最後部6号車 クロ485-3。

 屋根の向こうには海が。ややゆっくりと進行。(以下次号)

854) ありがとう「ニューなのはな」南房総乗りつくしの旅(8月28日の続き)

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 853)の続きです。

 

 山生橋梁で「ニューなのはな」を見送ったあと、モニターを見たりしてゆっくりしていました。

 どうせ、勝浦(32分停車)から先まで行かないと追いつけないだろうし、離脱のつもりでした。

 

 走りながら、どうせならダメ元でいいやと鴨川市街地を海側から旧道でやや抜け道へ。

 新田通りを行き、第一新田踏切に間に合えば行こうか・・・と走っていると、小松原踏切で前方を横切る青緑色の車体!この時点で13:27。

 安房鴨川発は13:25頃のようです。

 

 第一新田は間にあいませんでしたが、まてよ、安房小湊では13:53に251Mが来る。その前に上総興津まで抜けるには13:44上総興津着となって、251Mに支障する・・・ということは、251Mとは安房小湊交換にちがいない・・・・(詳細な時刻はわかっていませんで、推理しながらの行動・・・これも結構おもしろい)

 

 そんなわけで、安房小湊駅の先のポイントをめざすも、もし安房小湊で交換待ちしていなかったら・・・?、と思い一応小湊駅へ。

 

 結果、着いた時、安房小湊駅には姿は見えませんでした。

 そんなに速いはずはないのだがなあ??といぶかしく思いましたが、3番に止まっている「新宿わかしお」の255系回送を撮っていると、「まもなく2番線に上り・・・」の放送!

 

 かくして、13:44に「ニューなのはな」は入線して来ました。やはり251Mの13:53まで停車のようです。

 なぜか、交換も無い安房天津で13:30~13:40と10分ほど停車していたようです。そうでなければ小湊では間に合いません。入線も撮れたのはラッキーでした。

 

 3番線の255系は「新宿わかしお」の回送です。

 9両あるので、駅構内からは(接近してワイドで撮らないかぎり)前面は撮れません。ホーム有効長は11両対応ですが。

 

 クロ484-5、1号車のサイド表示。走行中はずっとこのままのようです。

 ちなみに、同じ表示でも 左側にグリーンマークが添付されたコマも存在します。

 

 安房小湊~行川アイランドで。

 ここでは、プロ仕様の大きなVTR機器2台で動画撮影している2人がいました。下草も高くなるし、6両全部が入らないし、あまりいいポイントではないのですが、道路からのアクセスが良く、追いかけをしていたのでしょう。

 おそらく販売用DVDの撮影かと思われ、しばらくすると、ここでの動画を含んだDVDの発売があるかもしれません。

 勝浦の先までは深追いせずにこれで離脱。

 

 

 

 

 

 

 

855) 改めて国鉄方向幕書体にハマる・・・「ニューなのはな」の幕 一覧

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 8月28の「ありがとう ニューなのはな 南房総乗りつくしの旅」

 千倉駅3番線での停車時間に幕回しが行われましたが、全コマを撮影してみました。

 

 改めて、「国鉄方向幕書体」の美しさにほれぼれしました。

 今やどこもかしこも無機質(?)な電光のLED。189系や武蔵野線の205系の一部、209系Mue-Train、高崎周辺の115・211系(前面はLEDも)、長野の211系などのみに残っている絶滅危惧種となっております。

 今回、「ニューなのはな」の全コマの紹介と、ダイジェストで画像も掲載します。

 

 コマNo     

   1        回  送

   2        急  行

   3        快  速

   4        普  通

   5 (空欄)

   6 特急  さざなみ    東京

   7 特急  さざなみ    館山

   8 特急  さざなみ    千倉

   9 特急  わかしお    東京

  10 特急  わかしお    勝浦

  11 特急  わかしお   安房鴨川

  12 特急 新宿さざなみ  新宿

  13 特急  新宿さざなみ  館山

  14 特急 新宿さざなみ  千倉

  15 特急 新宿わかしお  新宿

  16 特急 新宿わかしお  安房鴨川

  17 特急  (空欄)     新宿

  18 (空欄)

  19 快速 山梨ぶどう狩り  千葉   (2行目に 全車指定席)

  20 快速 山梨ぶどう狩り  甲府   (2行目に 全車指定席)

  21       臨  時

  22      試 運 転

  23       回  送

  24    ニューなのはな         (2行目に 団体専用)

  25  G車 ニューなのはな        (2行目に 団体専用)

  26 特急  あやめ    新宿    (2行目に 1~3指定席 4~6自由席)

  27 特急  あやめ    高尾    (2行目に 1~3指定席 4~6自由席)

  28 特急  あやめ    東京    (2行目に 1~3指定席 4~6自由席)

  29 特急  あやめ  鹿島神宮   (2行目に 1~3指定席 4~6自由席)

  30 特急  あやめ    佐原    (2行目に 1~3指定席 4~6自由席)

  31 特急 LIMITED EXPRESS  初日の出号 (全部赤文字)

  32 快速   RAPID         初日の出号 (全部オレンジ文字)

  33 特急 あやめ祭り    新宿

  34 特急 あやめ祭り    佐原

  35 特急 あやめ祭り   鹿島神宮

  36 快速 山梨もも狩り   千葉     (右3行目に 全車指定席)

  37 快速 山梨もも狩り   甲府     (右3行目に 全車指定席)

  38     お座敷列車    (右に小さく 全車指定席)(黄色・黄緑色の地に黄色文字)

  39 快速 お座敷内房    高尾      (右3行目に 全車指定席)

  40 快速 お座敷内房    新宿      (右3行目に 全車指定席)

  41 快速 お座敷内房    館山      (右3行目に 全車指定席)

  42 快速 お座敷外房    新宿      (右3行目に 全車指定席)

  43 快速 お座敷外房   安房鴨川   (右3行目に 全車指定席)

  44 快速 お座敷犬吠    新宿      (右3行目に 全車指定席)

  45 快速 お座敷犬吠    銚子      (右3行目に 全車指定席)

  46 快速 お座敷伊豆箱根  千葉    (右3行目に 全車指定席)

  47 快速 お座敷伊豆箱根  伊東    (右3行目に 全車指定席)

 

 コマNo.31以降は番号が1コずつずれているかもしれませんが、順番はこの通りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おや、かつてあったはずの 「特急 八王子 (列車名空欄)」 が今は無くなっていますね。

 「特急 八王子」 は、1998年の夏ダイヤであった「フラワービーチさざなみ」の上りで使用された実績があります。

  ➡ 839)の記事の、後ろから3枚目の画像を参照ください。

 

 また、事業化もされていて業務用に販売もしています。興味のあるかたは、「ロールズプロジェクト」で検索してみてください。

 

 

 

 

 

 

  


856) 183系の方向幕一覧(S47年)とその後の画像など

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 過去画像の中に、S47年に方向幕一覧表示を写したものがあり、拡大してリスト化してみました。現車は 183系の1次車クハ183の9号車です。

 「国鉄方向幕書体」にはまってしまった私はこんなものまで掘り返してしまっています・・・(笑)
 

 

< 183系1次車 サイドの方向幕表示盤  駅名対照表より>
s47年12月30日撮影 (s47年7月のデビュー時と同じと思われる)
1   回     送
2   試  運  転
3   臨     時
4   団     体
5  特急   あまぎ    伊豆急下田
6  特急   あまぎ    修 善 寺
7  特急   あまぎ    伊    東
8  特急   あまぎ    東    京
9    - 勝     浦
10   - 茂     原
11  特急  わかしお   安房鴨川 (勝浦回り)
12  特急  わかしお   東   京 (勝浦回り)
13  特急  わかしお   新   宿 (勝浦回り)
14  特急  わかしお   八 王 子 (勝浦回り)
15  特急  さざなみ   館   山 (木更津回り)
16  特急  さざなみ   千   倉 (木更津回り)
17  特急  さざなみ   東   京 (木更津回り)
18  特急  さざなみ   新   宿 (木更津回り)
19  特急  さざなみ   八 王 子 (木更津回り)
20  - 木   更   津
21 {     }   成   田
22 {     }   銚   子
23 {     }   鹿島神宮
24  - 千       葉
25  特急  あさま    直 江 津
26  特急  あさま    関   山
27  特急  あさま    妙高高原
28  特急  あさま    長   野
29  特急  あさま    上   野
30  特急  そよかぜ   中軽井沢
31  特急  そよかぜ   東   京
32  特急  そよかぜ   上   野
33  特急  とき      新   潟
34  特急  とき      上   野
35  特急  新雪     長   岡
36  特急  新雪     小 千 谷
37  特急  新雪     小   出
38  特急  新雪     石   打
39  特急  新雪     越後湯沢
40  特急  白根    万座・鹿沢口
41  特急  白根     長 野 原
42  特急  白根     上   野
43  特急  くろいそ   黒   磯
44  特急  くろいそ   上   野
45  特急  あずさ    白   馬
46  特急  あずさ    信濃大町
47  特急  あずさ    松   本
48  特急  あずさ    新   宿
49 {      }    上 諏 訪
50 {      }    日   光
51 {      }    上   野
52  特急  -     上   野
53  特急  -     新   宿
54  特急  -     東   京
55  特急  -     千   葉
56  特急  -     甲   府
57   - 館        山
58   - 安  房  鴨  川

 

脚注: - はその部分の空白が無く、例えば9番なら大きく「勝浦」、24番なら大きく「千葉」
{    }は種別と列車名の後からの記入が出来るように空白を残していることを示す。

なお、113’系ATC車(1000’番台)には、「 急行{    } 安房鴨川⇔銚子(東金経由) 」なんていうビックリするのもあり、将来そういう列車ができるんだな・・・と一時的に信じてしまいました(S48年の秋ごろ目撃)。

 

 以下、S47(1972)年12月30日撮影。

 東京15:00発の5025M「わかしお7号」で 安房鴨川 17:03着。そのしばらく後に乗務員氏にお願いして撮らせてもらったものと思います。

 

 9号車クハ183。1次車で、ナンバーはたしかクハ183-9 か-11あたりだったような 。

 ダイアルは コマNo.11 から上りの No.12 に切り替えられています。

 

 拡大して。

 わかりにくいですが、No.43 と No.44 に幻の特急「くろいそ」 が見えます。

 

 この翌年、S48年10月から183系0番台は定期特急「あずさ」の増発対応として中央東線に進出。当時は181系の10連に交じって、「あずさ」の半数を183系9連が受け持ちました。

 上りの初発「あずさ1号」22Mと下りの最終21M「あずさ10号」は運転区間が新宿⇔甲府。初の甲府発着特急の誕生で、該当の1往復は幕張の183系担当。

 と、ここで もう 下りで使う 「特急 あずさ 甲府」がコマに無い!という事態にぶつかったことが推測されます。おそらく、コマNo.56 の「特急 -  甲府」に「あずさ」を追記して使ったのか?とも考えられます。

 甲府までしか行かないのに「あずさ」ではおかしいのでは?という論議もありましたが、「かいじ」は定期急行、季節急行で使われていました。富士急へ乗り入れる「かわぐち」との併結が多かったです。

 

 

 こちらはクハの貫通扉の裏側。

 183系1次車はまだ手動で、右側の取手をぐるぐる回して、下の小窓で現に表示されているコマを確認しながら動かしていました。ちらりと見えるのは「・・しお」の下側と思います。

 手動ゆえに、位置ずれも頻発していました。とくに運転開始当初は。

 

 前面表示の文字順序。こちらはコマ数が少ないせいか、「くろいそ」はありません。

 

 さて時は26年経ち・・・・

 183系貫通扉車による「新宿さざなみ」

 1998.8.29 千倉で撮影。

 15時台後半に千倉を発車する上りで、当時は「新宿さざなみ」は1往復のみでした。

 

 

 左は2号車モハ182、右は1号車クハ183。

 この編成(上り側3両はマリ24、下り側3両はマリ23)は、両クハは方向幕の枠が灰色Hゴムの0番台、中間車は黒Hゴムの1000番台(非グレードアップ車)でした。   

 

 

 以下、2011.1.13 成田電留線で。 

  

 2011.1.13 成田団臨で高崎線からやってきた OM-102

 左:クハ183-1012、右:モハ182-1045

  残念ながら、国鉄方向幕書体ではなくなっています。直線が多く角ばった感じで、角ゴシックの一種というべきか・・・

 

 

 以下、現存する豊田のM52、国鉄特急色当時です。

 2013.12.14 河口湖で16:00の発車を待つ上り「ホリデー快速 富士山2号」

 

 1号車クハ189-509、河口湖発車時の後部。

 

 JR化後、国鉄方向幕書体はこのように角ばったものに変えられて、消えてゆきました。

 「新」の3・4画目の縦棒の角度とか、「宿」の6画目の「百」の横棒が低くなくなっていたり、とか細かい違いがあります。線の端も角ばっています。

 車体下部の所属区表示も、このような いわば角ばった「JR書体」ともいうべきものに変わってゆきました。

 

 

 

857) いすみ鉄道 夏のヘッドマーク祭り(その2)

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 ずいぶん間があいてしまいましたが、845) の続きです。

 

 大多喜~小谷松間で 101D急行1号 を撮ったあと、西畑へ。

 大多喜からは各停なのでゆうゆう。

 

 101D

 4~5月にはコイノボリが泳ぐ地点。そのさおはずっと立ったままのようです。

 

 西畑停車。左のアジサイはもうこの通り。また来年。 

 

 上総中野で小湊鉄道のキハと並ぶようなので、同駅へ。

 101Dは10:26着。10:38着の9A列車はまだ到着していません。

 

 

 

 

 キハ28 2346近影

 千葉にいたキハ28ではあまり見かけなかったスノープラウ(雪かき用スカート)が目をひきます。「あまり」といったのは、わずかに片流れ式のスノープラウを取り付けたキハ28があったのですが、もしかしたら S50年3月の北総電化で転出する前の準備だったのかもしれません。

 ➡147) の記事1枚目の407D「水郷4号」をごらんください。

 

 ちなみに、キハ28 2346 の所属歴を改めて調べてみると、

S39(1964).4.5新製 米子機関区(のちの後藤総合)➡同年5.24付 新潟機関区へ➡同年7.14付 千葉気動車区へ(夏季輸送)➡同年9.17付 米子機関区へ戻る➡S60(1985)年ごろ 北陸へ、2011年まで富山運転センター所属、2011.3.11まで定期運用に使用(城端線・氷見線等)➡2013.3.9 いすみで営業開始

 スノープラウは富山で取り付けられたものかな?

 

 

 

 

 

 

 懐かしい カラカラカラ・・・という音を発しているキハ52 125 のエンジン。

 床下で暗く、撮影時露出補正+1.7絞りでやっと撮れました。朱色5号の車体色はとんでいます。

 このエンジンの調子がキハ28+52 の運行のかなめ。キハ28は片運なので、キハ52次第ですね。

 ちなみに、キハ28はカミンズ製のエンジンに乗せ換えられており、ヒューンという感じの音が少し混じっています。

 

 キハ52の車内。キハ28との連結側の車販コーナー。

 右側 整理券発行機に貼り付けられているのは2号車(キハ52)の席番表。左側(1号車キハ28側)方向が糸魚川方と矢印で表示。嫁に来たキハ52 125 は実家の大糸線を懐かしがっているようです。

 

 乗務員氏の制服、何本も描かれた車両のサイドビューデザインは、いすみ鉄道と小湊鉄道の全車両を網羅しているようで。このポロシャツが一番欲しいものだったりして。

 

 (以下次号)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

858) いすみ鉄道 夏のヘッドマーク祭り(その3)

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 857) の続きです。

 

 上総中野駅で 101D➡折り返し 102D を撮っていると、小湊鉄道の9Aが到着。

 数分間並びが見られます。

 

 2016.8.11 10:41 3分遅れで到着した9A

 キハ203+キハ214→上総中野方

 

 

 

 9Aに接続の102D(各停大多喜行き)は10:54発車。

 9A折り返しの18Aが先に10:47に発車します。.

 20人以上は撮影者・旅行者がいて、写らないようにするのも一苦労。

 

 102D

 西畑付近の稲が黄色く色づいていたので アングルをやや下に向けましたが、この程度ではあまり効果的ではなかったかも。

 

 102D折り返しの103D

 

 

 

 (以下次号へ)

 

859) いすみ鉄道 夏のヘッドマーク祭り (その4)

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 858) の続きです。

 

 ですが、その前にいろいろ運転されたHM付きのメニューを記録として載せておきます。

 

        100D     101D~102D~・・~105D~106D   107D    _________________________________________________________________________________________________________________________

8月 6日  房総の休日       くろしお               白浜

8月 7日  房総の休日        犬吠               夕凪            

8月11日 (羽台座のみ)      フラミンゴ             浜風

8月13日  白い砂          そとうみ              京葉

8月14日  青い海          うちうみ              房総

8月20日  青い海           水郷              さざなみ

8月21日  白い砂           清澄             内房(ないぼう)

 8月27日・28日・・・・・現在のところ未定 → 結果、四国DC急行や「砂丘」(津山線・因美線 岡山~鳥取・倉吉)となりました。

 

 これらは一体どんな列車だったのか?

 

 いずれもが気動車、一部は旧型客車列車。「白い砂」・「青い海」は電車です。

 まず、定期列車は「房総」「京葉」がS33年~S37.10.1改正までの2・3階建て併結列車で、千葉から2・3方向へ分割して運転されました。最初は「房総」(=房総東・西線+総武本線銚子行き)、房総東・西線を分けたときに残る銚子方面は「京葉」(総武本線+成田線)となりました。

 S39.10.1改正頃(東京五輪の頃)の定期列車は 内房(ないぼう)・外房(がいぼう)が中心で一日各5往復。ほかに定期で以下の各1往復。千葉まで併結です。

 さざなみ 103D 木更津まで全指 両国 8:20→10:42 館山

 さざなみ 112D 全指 千倉 17:58→20:45 両国

 くろしお 203D 大原まで全指   両国 8:20→11:02 安房鴨川

 くろしお 212D 全指 安房鴨川 18:05→20:45 両国

 

 ほかでは「犬吠」・「水郷」・「そとうみ」・「うちうみ」が定期。「そとうみ」・「うちうみ」は、S39.10.1改正の頃の「外房」・「内房」(いずれも 音読みの頃)のうちの、循環する5循環ぶん(増発されて増えた)が別愛称となったもので、S43.10.1改正で今度は「そと房」・「うち房」に統一されるまでの短命でした。 

 

 他はほとんどが季節、臨時列車です。

 「白い砂」「青い海」は新規参入組。これは気動車ではなく電車です。

 S47(1972).7.15 の房総一周電化完成時から 113・113’系を中心に 1989年8月まで運転されました。最初のS47年のみは101系8連の1往復、末期には165系9・6連も一部に投入されました。早い時期は夏季期間中のみはほとんどの列車が毎日運転、後期には週末中心となってしまいました。関連して、末期には三鷹車の165系快速「なぎさ」 や 同165系快速「鴨川ビーチ」なんてのもありました。

 

 「房総の休日」(初期)はよくわかりませんが、どうもS30年代に平日に千葉以南で運転された快速を休日に新宿へ延長したもののようで、定期とも不定期とも分けにくいものがあります。3階建てで、新宿⇔房総西線・東線・総武本線(なんと銚子電鉄外川まで)のようです。分割後と思われるキハ17系3連が、前面の下部に四角い「房総の休日」(縦書きだったと思います)と書いたHMを付けた写真を昔鉄道雑誌で見た記憶があります。

 名前は少し違いますが、S43.4時刻表には「休日房総」なる両国~館山間の各停(千葉以北はノンストップ)の客車列車が見えます。これはGW中の4日間のみ運転。

 

 一面の紙面で、多くの名称が掲載されていた このS43年4月号時刻表から掲載します。

 S43.3.28訂補です。木更津電化の直前のダイヤ。

 

  内回り(西線→東線) 全2ページの その1

 「うちうみ」 「そとうみ」 「かもめ」 「休日房総」 「南房」 「フラミンゴ」 「ちどり」 「フラワー」 「しらはま」が見えます。

 

 同じ紙面を拡大

  9101D「かもめ」 新宿7:30→11:02安房鴨川 6月30日までの休日運転

  この列車、3月24日までは名前が「フラワー」(ワッペン列車)、3月31日から5月26日までは新宿→佐貫町止まりの「つのぶえ」(ワッペン列車で自由席無し)を「かもめ」に併結。

 

 9121レ「休日房総」両国8:55→12:29館山 は4月28・29・5月3・5日運転

 

 

  内回り(西線→東線) 全2ページの その2

 9123D各停「南房」 館山14:05→14:52安房鴨川  5月26日までの休日運転

 9145D~9210D「フラミンゴ」(ワッペン列車) 館山15:01→15:45安房鴨川15:59発 ここから急行→19:05新宿 6月30日までの休日運転。3月24日までは「フラワー」、6月2~30日は「ちどり」として運転

 9107D「しらはま」 新宿13:52→16:20館山 6月29日までの土曜運転

 

 

 

  回り(東線→西線) 全2ページの その1   S43.3.28訂補

 203D「そとうみ2号」~2126D普通~106D「うちうみ2号」 両国8:20→11:06安房鴨川→11:51館山11:57→14:29新宿

 この列車には、3月24日までは両国~安房鴨川~館山まで全指の「なのはな」5両を併結。3月31日~5月26日はやはり館山まで「フラミンゴ」(ワッペン列車 自由席無し)を併結。この館山までの併結編成は6月2~30日は「ちどり」(全車自由席)となります。

 3月31~6月30日の休日は新宿延長、新宿発8:05。

 

 9122D普通「南房」 安房鴨川12:05→12:51館山 5月26日までの休日運転。

 

 

 回り(東線→西線) 全2ページの その2

 左隅に 9108D「つのぶえ」(ワッペン) が見えます。佐貫町15:28→17:35新宿 3月31~5月26日の休日運転。下りは9101D安房鴨川行き「かもめ」に併結でしたが、上りは単独運転。

 

 同じ紙面を 見やすいように拡大

 9126レ 旧客「休日房総」 館山14:38→17:26千葉→18:17両国

 

 下りは「つのぶえ」を併結していた「かもめ」は、上り9110Dは 148Dに併結されて安房鴨川から来て 館山で分割。館山16:32→19:20新宿。3月24日までは名称「なのはな」です。この「なのはな」(全指)は一周します。下りは両国 8:20→(東線経由)→11:51 館山、ですが、上りは安房鴨川 15:35→16:24 館山 16:32→(西線経由)→19:20 新宿、となります。

 

 土曜運転の「しらはま」に対応する東線の列車は「きよすみ」。両列車は新宿~千葉併結です。9207D「きよすみ」 新宿13:52→16:55安房鴨川 土曜運転。

 

 定期の「外房」・「内房」は音読み。西線 館山~両国間に2往復、東線 安房鴨川~両国に1往復

 

 これらバラエティ豊かな数々の列車は、S44年7月の千倉電化で「うち房」(165・113系)・「そと房」(気動車)に統一されてしまいました。

 

 2016.8.11 104D

 もう一日は行く予定でしたが、都合で流れてしまいました。

 (以下次号)

 

 今日書いた以前の時代については、以下のページが興味深いです↓ 

  http://hobbycom.jp/workshop/library/tetsudomeiressha/24.html

 

 

 

 

 

 

860) いすみ鉄道 夏のヘッドマーク祭り (その5)

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 859) の続きです。

 

 104D。

 102Dの時は納得がゆかなかったので再チャレンジ。色づいた稲を多めに画面に取り込んでみました。 

 

 

 ここが一番色づきが早いようです。もう刈り取られる寸前といったところか。

 2016.8.11 城見ケ丘~上総中川

 

 104D

 

 

 104D 

 最後の下り107D「急行5号」まで待てば「浜風」のHMの予定なのですが、あと1往復半(約3時間半以上)待つ時間はありませんでした。

 朝の1本目(上り快速)と下り最終だけがHMが違う・・・という、撮影者を長時間沿線に貼り付けさせようとする巧妙な(いじわるな?(笑))策。でも しかたなくこれにて離脱。

 

 

 

 

861) ブログ800号記念(その7)12系800番台 高崎の「くつろぎ」

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 またまただいぶ間があいてしまいましたが、800番台特集の続きを再開します。

 841) の続きとなります。

 今回は その7 で 高崎車両センターの12系800番台「くつろぎ」を。

 

 千葉県内にもわりと頻繁にやってきて、すっかりおなじみとなっていた編成です。

 

 1983年、12系座席車を幡生工場で改造し誕生。新旧対照は以下の通り。

  1号車    スロフ12 822  赤城 (旧スハフ12 109)       ↑蘇我時点で北側

  2号車     オロ12 841  榛名 (旧オハ12 170)

  3号車     オロ12 843  妙義 (旧オハ12 175 サロン室付)

  4(寿)号車  オロ12 842  浅間 (旧オハ12 176 サロン室付)

  5号車     オロ12 844  秩父 (旧オハ12 177)

  6号車    スロフ12 821  男体 (旧スハフ12 108)       ↓蘇我時点で南側

 向きは、入線する経路によって逆転することもあります。

 

 車内は和式でお座敷です。登場時は12系の青20号に30cm以上の太い白(クリーム10号)の帯を入れたもので、九州の12系にもあったような特に特徴の無いお座敷客車でした。

 1987年3月、国鉄末期に色が 茶色に白帯という個性的なものに変更され自分のなかでは注目の編成となりました。

 今でも残存のEF64 1001の茶X白帯 は当初 「くつろぎ」にあわせたものだったそうですが、それは忘れていました。そうだったっけな?千葉県内ではDL牽引が多かったので、その印象はありませんでした。

 青色時代(1987年3月以前)はあまり撮ってはいませんでしたが、茶色化され追うようになりました。

 

 1987(S62)年10月25日、DD51牽引の秋の団臨で外房線を下ってきた、茶色化された年の「くつろぎ」

 勝浦駅1番線でしばらく停車。当時は0番線はホームの無い側線でした。駅舎は立ち位置の後ろ側の地平にありました。

 3号車の2号車寄りと 4号車の5号車寄りには大きな固定窓がわかります。その部分はサロン室になっていました。

 

 テール部の「くつろぎ」の文字があまり目立たず、別な機会でしたが、ある踏切でやっと文字を読めるようになったらしい小さい男の子が 「く・ろ・ろ・ぎ!」と指さしていたのをよく覚えています。バックの青と白は、左右に扇子2枚。

 

 1998.9.6 14:22 9121レ 高崎発

 DE10 1543+12系くつろぎ  竹岡~浜金谷 

 まだ館山道は開通していませんでしたが、金谷ICまでのアクセス道路の工事は進んでおり、この位置で撮れるようになった最初のころです。

 バックの建物が多いし、「としまや弁当」も健在でした。

 ちなみに、通常は気にせずに走ってしまいますが、正式には 京葉道路接続部~富津竹岡ICまでが 東関東自動車道館山線(路線指定の政令では千葉富津線というらしい)(=高速自動車国道、いわゆる高速道路)、富津竹岡IC~富浦IC終点までが 富津館山道路(自動車専用道)、とややこしい。料金が高く感じるのは、一部加算されるという部分もあるのでしょうか。

 

 なお、全通(君津IC~富津中央IC間が最後になった)は2007年7月だそうで。

 SLが走った年、2007年の1月には 富津中央IC以南は先に利用できたと思います。ちょうど追っかけに利用できて便利になりました。

 

 

 1999年9月29日限りで引退。 

 千葉県南部への入線はこれが最後となりました。

 1999.9.19 14:45 9223レ渋川発安房鴨川行き

 安房小湊で3分、安房天津で5分停車でしたが、先に行って追うことはせずにここで待っていました。

 DE10 1535+12系800番台「くつろぎ」

 

 引退が報じられていました。

 あと10日、通いなれた房総へ最後にお別れに来たようです。

 

 回送で千倉側線へ。

 内房線末端に入線するので今なら山生橋梁も考えられますが、当時は木々の具合でサイド気味に撮るところしかなく、3~4両くらいが限度だったと思います。

 安房鴨川① 14:49-14:51発 回送➡15:07和田浦15:08➡15:27千倉、マルヨ

 南三原で5分くらいの停車があったかもしれません。

 しかし、客車なのに安房鴨川~千倉間36分とは結構速く、追いかけはしませんでした。

 

 千倉駅では撮影者が多くなっていました。

 鉄のいとこと甥っ子も同行で。

  ←(外房経由)千葉方、3号車(妙義)            寿(4)号車(浅間)→館山方

 窓下の白いラインの中に小さく「1」と入っていますが、グリーン車(旧1等車)を意味するデザインで、1両の左右に「1」を入れたそうです。

 

 3号車の2号車寄りにサロン室(右)。さらに右隣りの4号車の5号車寄りも同様です。

 左は2号車(榛名)。

 3号車と4号車にサロン室を設置するため、その位置の関係か1~3号車は反転しており、左右対称の構成となっています。さらに3・4号車は車両ナンバーが逆順となっています。

 電力使用量が増えると見込まれるのか、本来の12系の片方エンドは オハフ13(発電エンジンセット無し)だったのですが、両エンドともにスハフ12 が種車となっています。これは他の12・14系が種車のジョイフルトレインみなそうでした。

 ちなみに、本来のスハフ12 は2次車以降(1次車ものちの量産化改造で)180KVA の出力となり、自車を含めて6両まで給電可能となっていました。

 

 

 翌日は内房線ではなく外房線経由で帰って行きました。ただし館山始発です。

 千倉でDE10 が機回ししなかったのはそのせいでした。

 9月20日(月)

 千倉10:37 回➡10:58館山12:20➡千倉12:33➡13:07安房鴨川13:11➡13:28行川アイランド13:34➡勝浦➡渋川

 館山で乗車だったか、行川アイランド(棒駅なのに6分停車)で乗車だったかは、今やわかりません。館山へ行くのは単に整備のためだったかも。

 

 最後に、このコマ次のカットのテールマークを拡大してみます。  

 

 

 次は「高12A やすらぎ」を予定。

 

 

 

 

 

 

862) ブログ800号記念(その8)12系800番台 高崎12A「やすらぎ」

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 「くつろぎ」とならんで高崎車両センターには12系の改造800番台「やすらぎ」がありました。

 

 「くつろぎ」に比べてこちらが後発です。「くつろぎ」だけでは旺盛な需要に応じきれなかったために

「くつろぎ」の3年後の1986(S61)年に大宮工場での改造により増強されたものです。

 同じ12系の改造車が同じ高崎に在籍となった(こういう例は他区所にはない)ため、略記号は「くつろぎ」の「高12」と区別するため、「高12A」とされました。

 

 ナンバーは以下。「くつろぎ」は群馬の山の名前でしたが、「やすらぎ」は川の名前からとっています。

1号車 スロフ12 827(旧スハフ12 130) 「神流」  定員28人 展望サロン付き

2号車  オロ12 853 (旧オハ12 319) 「荒川」  定員36人 サロン室

3号車  オロ12 854 (旧オハ12 320) 「利根」  定員36人 サロン室

4号車  オロ12 855 (旧オハ12 321) 「吾妻」  定員36人 サロン室

5号車  オロ12 856 (旧オハ12 322) 「渡良瀬」 定員36人 サロン室

6号車 スロフ12 828(旧スハフ12 131) 「碓氷」  定員28人 展望サロン付き

 

 これは登場時の編成です。2~5号車のオロ12 800番台にはみな大きな側窓がありましたが、大きな窓は編成中央側(2・3号車は後ろ寄り、4・5号車は前寄り)に配置されています。

 

 この大きな窓は、両側のドアのうち、便所・洗面所側ではない方のドアを埋めて区分したサロン室にし ソファーを配置したもので、「くつろぎ」では3・4号車にのみの設置でしたが、「やすらぎ」では2~5号車の4両にすべて設置されました。

 

 数年後には3号車・4号車の位置が交換され、大きな窓が2・3号車の中央と4・5号車の中央にペア状態で配置されるようになりました。

 

 房総地区への入線もわりと多く、1シーズンにつき平均およそ2~4回くらいの頻度でやってきていたと思います。「くつろぎ」よりも多かったかもしれません。

 

 1990.3.11 高崎線からやってきて外房線を下り 安房小湊に到着。乗客は勝浦で下車しましたが、車両は千倉まで回送されます。DD51 898牽引。

 サロン室は2・3両目は後ろ寄り、4・5両目は前寄りとなっている登場時の編成です。

 

 安房小湊3番線で定期列車を待避。

 

 上記の9年後、1999年3月の「やすらぎ」

 3・4号車が逆に交換されており、サロン室は2・3号車のペアと4・5号車のペア状態となりました。牽引機はDD51はもう千葉県内では引退しており、DE10の独壇場となっています。

 

 1999.3.26 DE10 1202牽引で内房線を上る、古河発の団臨の復路です。後部反射板付きとなりました。

 勝山~保田で。小雨でした。

 

 同日。保田での停車時間に先回り。

 

 同日 13:14、1泊2日の行路の復路ですが、意外と早い時間にもう帰ってゆきます。館山か千倉発の古河行き。

 サロン室の位置が1990年の画像とは変わっているのがわかると思います。2~5号車はオロ12 853・854・855・856 がもともとの順でしたが、853・855・854・856 の順になりました。

 

 (以下次号)

 


863)「旅のプレゼント 2016東京」 内房線に185系8連(B2)

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 決して優等車両の使用が多いとはいえない最近の「旅のプレゼント」ですが、

今年の東京発の列車に185系が使用されて内房線へ入線しました。東1048。

 

2016.10.22(土)運転

 東京(ケヨ)9:36発 9123M→10:25蘇我10:28→11:00木更津11:03→11:40浜金谷11:48→12:14館山

 その後は回送で帰区

 館山12:40 回9124M→14:23蘇我14:25→14:50西船橋15:00→16:06新秋津16:28 回9527M →17:06東大宮 

 帰りは東京駅へ寄らないので、逆転してしまうのを戻すために新秋津で折り返します。

 

 2016.10.22 11:36 9123M 竹岡通過。

 東京(ケヨ)方→クハ185-204 M’M-231 M’M-208 M’M-207 クハ185-304(8号車)→館山・大宮方

 

 9123M後追い 

 この次の浜金谷で8分停車するのでその先へ先行するつもりでしたが、道路工事やら大型車のノロノロ運転やらで、元名ではサイドからの見る鉄のみに終わってしまいました。

 車内は小中学生たちや保護者(か 引率者)で7~8割の座席は埋まっているように見えました。

 

 館山到着後はいったん東大宮へ帰ります。明日の館山発14:38以前には また戻ってきますが・・・。

 回9124M 12:52 那古船形~富浦

 右上に写り込んでしまった機器の増設で、ここは非常に撮りにくくなってしまいました。 

 

 マークを拡大。前後とも同じです。

 復路は明日23日の運転です。館山発14:38の9126M→17:02東京(ケヨ)着。

 同じB2編成と思われます。

 マークはステッカーなので、送り込み回送でも貼付されたままと思われます。

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864) ブログ800号記念(その9)12系800番台 高12A「やすらぎ」-Part2

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 862) の続きです。

 

 2000年のころの高12A「やすらぎ」 at 外房線・成田線

 

 前日、2000年5月21日(日)に高崎線方面から上総一ノ宮へやってきた「やすらぎ」。

 その日は回送で千倉へ行き、側線に停泊。

 翌22日(月)に復路運転。上総一ノ宮14:38発の9224レとして帰って行きます。

 千倉から上総一ノ宮までは回送です。

 

 2000. 5. 22(月) 13:15頃 回9224レ

 

 第一新田。線路の東側にはこのころには上下方向とも木がありました。

 上総一ノ宮で乗客を乗せ、新小岩(16:20着、16:45発)で新金線へ。常磐線➡高崎線へ帰ってゆきます。田端経由だったか南流山経由だったかはメモに記載し忘れていましたが、金町での機回しが不要な南流山経由だったと思われます。

 今なら蘇我~京葉線~西船橋~武蔵野線~大宮~・・・と走るのでしょうが、この時は新小岩経由。DE10からEF65へ交換する関係でしょう。

 

 

 この約4か月後、成田線に電機牽引で入線するというので出撃。大雨で大変でした。

 

 2000. 9. 5(火) 12:42 木下~小林で。

 ・・・~武蔵野線~南流山12:00~12:12我孫子12:13~成田(下車)   

 EF65 1104(田) でしたが、おっ、後部に何やら違う色が!?

 

 12系一般色(たぶんスハフ12) が増結されていてびっくり!集客が多かったのでしょう。

 そういえば、「やすらぎ」+「くつろぎ」の12連なんてのも走った経歴があるそうで、撮ってみたかった・・。

 

 田んぼのオレンジは クボタコンバイン、と書いてあり、中にはたぶん農作業途中のコンバインが格納されているようです。雨を見越してカバーしたのでしょう。

 派手なオレンジ色が気になったので、避けようとここにしたのですが、この画角では入ってしまいました。 

 

 降りの雨にも懲りずに103系もねらいます。発色悪いですがご勘弁を。 

 

 12:29 849M マト25 クモハ103先頭の10連、我孫子始発ですが10連。 

 我孫子12:06~木下12:27~12:50成田

 京葉線のクモハ103(下り方)は列番表示の小窓がATS-P機器搭載だったかで埋められましたが、松戸のクモハ103は小窓健在。

 

 12:35 854M マト34 5連 成田12:15~木下12:37~12:56我孫子

 クハ103先頭の4M1T強力編成。

 103系時代はいろんな顔や編成があってちっとも飽きませんでした。

 

 103系が常磐線・成田線を去ってからどれくらいになるっけ?と調べてみたら、

 2002年3月3日、松戸にE231系の投入開始。

 2006年3月17日、常磐・成田線の定期運用終了。

 2006年4月8日、臨時列車(北千住~取手間)でさよなら運転。

  ・・・もう10年半経ちます。ふう。

 ちなみに、最初に常磐線に103系が投入されたのは1967(S42)年12月、とのこと。この頃、緩行線の千代田線直通化、常磐快速運転開始などが行われました。

 

 (「やすらぎ」 の項、まだ続きます)

 

865) サイクルトレイン 内房線で運転(11月5日)と「千葉駅新開業」HM付きのゆくえ

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 恒例となった 「Station Ride in 南房総 2016」 のイベントが5日に行われ、

 両国発館山行きの 団臨「サイクルトレイン」 が209系で運転されました。

 

 千1105  9131M➡9132M(復路)

 両国6:50発(自転車を解体せずに持ち込み可能)➡7:16 千葉⑤ 7:19(輪行で乗車可能)➡9:00 館山(下本)

 

 上総湊でほかの普通列車(上総湊止まりの133M以降)の運用・編成充当状況を確認したあと、竹岡で待ち受けしました。ここで6分ほどの停車時間があるからでした。

 

 8:26、入線してきたのはC618でした。HMは昨年と同じようです。

 

 どんより曇りが晴れてきて、日差しがさしこんできましたが、竹岡なら山影なので日陰ドボンでOK。

 

 吊って立てた自転車(スポーツバイク)や乗客が見えます。

 ツアー料金は、両国乗車で \14200(Station Ride in 南房総への参加費\8000を含む)だそうで。

 209系6両での定員は90人までの募集。完売となっても1両たり15人の乗車となっており、ゆったりとしています。どの車両も15人くらいは乗っているように見えます。

 

 

 8:33、安房鴨川7:19発の146Mと交換。

 もし146MがC601ならHM付きが2本ならぶのですが、現実はそうは甘くはありません。

 

 

 

 9131Mが行ったあと元名へ移動し、しばらく普電を調査。

 

 竹岡で会った富津のかたにC410の情報を聞いたのですが、昨日(4日)に館山15:17発の192Mの千葉方に就いていた・・・との目撃情報。

 その方が言うには、今日の233M(千葉7:10→9:17安房鴨川)へ運用らしい・・・というのですが.どうも安房鴨川での入庫→出庫 を勘違いしているようで、実際はそうはならなそう・・・と内房線沿線に残ったのでした。

 ➡スイマセン。私も勘違いがあり訂正いたします。5日の目撃情報からはっきりしました。

 

  (参考に) 安房鴨川、夜間8連が4本(+内房線で1本)到着の折り返しは

   19:32着の277M➡アワ6番停泊➡翌朝5:11発の228Mへ

   20:18着の283M➡21:16発の1226Mで千葉へ発車

   21:56着の295M➡22:10過ぎに回295Mで安房小湊③へ回送➡翌朝6:04安房小湊発の2221M➡安房鴨川6:29発の244Mへ

   23:59①着の1225M➡翌朝6:00 ①発の238Mへ

   21:58③着の1133M➡翌朝6:16発の140Mへ

  (赤色の部分が逆でした。これで大丈夫かと思います)

 

 

 

 でもC410は(推測するに)外房から内・外の北部折り返しに行ってしまったようで、やはり来ませんでした。

 

 3日から5日のC410まとめ (rは千葉方、fは下り方、リア・フロントの略です)

 11月3日 222Mr➡131Mr➡130Mr➡139M➡144Mr➡マリ電➡夕方出区➡館山へ

 11月4日 2123Mr➡千倉134Mr➡237Mr➡10:14 安房鴨川10:57 258Mr➡173Mr➡14:54 館山15:17 192Mr➡277Mr➡19:32安房鴨川➡同6番停泊

 11月5日 228Mr➡7:05千葉⑤7:10 233Mr➡9:17安房鴨川 (分割して千葉方の4連、つまりC410のみとなり) 256M➡11:51千葉⑥ 12:10 251M➡14:03 安房鴨川 14:53

 274M➡16:50 千葉③ ここで併結し10連に➡17:13発 199M f➡17:51木更津17:56 1120M f➡18:35千葉⑤19:00 289M f➡19:40茂原 292M f➡20:26千葉⑥21:00 1221M f➡21:49一ノ宮22:01 1224M f➡22:51千葉④23:24 1151M f➡0:12君津➡回 木更津

 

 また、4日の251M➡274M の4連にC420充当の目撃があります。4日に274Mで千葉に着き、千葉③で10連に組まれたあと、4日の199M木更津行きから10連の下り方に着いていると思われます。

 つまり、C420がたどった行路を1日遅れでそのままC410 がたどっているようです。この運用ブロックに特定して投入しているように見えます。いまのところ。

 何日かかる行路なのか、追随でもう一周するのか、もう少し調査の必要がありそうです。

 

 6連の方ですが、5日の155M~174M~179M~198M~・・・と館山往復の運用だったという目撃があります。その後1127Mで館山へ着いても、館山には夜間に5本、千倉を含めると6本もの6連が集結(1本は1142Mで発車してゆくが)するので、どれがどれで折り返すのかわかりません。(要 現地調査)

 

 5日の143M。この日は C436+C623でした。9:32

 9:11の141M(C611)ではサイドにも光が当たっていましたが、この時期9:15ごろをもって光が当たらなくなります。

 

 9041M~9043M 新宿さざなみ1号

 255系の日も多くなりましたが、今日はE257系。NB-13でした。

 

 「千葉駅新駅舎11月20日開業」のHM付きは C601、C410、C420 の3本ですが、情報を集めてまた出直すとしよう。

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