おかげさまで 当ブログも今回 第500号を迎えることとなりました。長らくのご愛読ありがとうございます。
これからも、モットーや目標なんて定めずに「書こう」と思ったときだけ ゆる~~りと書いてゆこうと思います。お付き合いいただければ幸いです。
さてナンバー「500」 にちなむものと言えば・・・まず思いつくのは新幹線の500系。しかしこれはかつて「のぞみ」から引退するときにずいぶんとりあげてしまったなぁ。その後に見れないし撮れてないし・・・今回の本命にはむずかしいかも。
そうそう、500番台といえば、北海道の客車に見られた500番台北海道専用車群、一部電機や気動車にも北海道は500番台があったぞ!そして近場では、地元のE257系も500番台、山手線のE231系も500番台・・・
というワケでそのへんをもろもろ集めてみました。
第1弾は「道内専用の500番台車」
まずは、電機と客車から
1988(S63).6.28 札幌 17:30着の924レ
滝川15:40発~17:30札幌17:40~18:33小樽
ED76の北海道バージョン500番台517(岩見沢二区)が51形を牽いて地上駅時代の札幌に到着
滝川~小樽間の電化当初から北海道に根をおろすED76 500台。電化区間ではよく出会いました。
ED76は、交流電化区間の標準形式となったED75形をもとに、列車暖房用のSG(蒸気発生装置)を搭載するため車体長を伸ばし、さらに重量増加に対して軸重軽減のために中間台車を設けた車両です。
もともとは九州用で1965年から製造開始(それまでの交流機ED72・ED73は水銀整流器の保守に難点があった)されたものですが、1968年の北海道電化開業用にも、北海道バージョンとして500番台22両(501~522)が1969年にかけて製造されました。北海道用なので、装備は0番台とは大きく異なります。耐寒耐雪強化・SGの大容量化・灯油タンクの大型化・パンタを下枠交差型に・前面貫通型に・耐雪ブレーキ・タイフォン装備などなど。車体長も0番台よりさらに1m伸びF級機並みとなりました。
1988年当時でもまだまだ客車が多くED76-500は大活躍中でした。820レから始まって、夜間の932レまで多数!
数えるのは目がしょぼしょぼするので、いっそのこと書き出しちゃえ、と時刻表から拾うと・・・
820レ 岩見沢6:17→8:04小樽
822レ 岩見沢7:08→9:00小樽
824レ 滝川 6:29→ 8:34手稲
826レ 岩見沢7:23→9:20小樽(休日ウヤ)
828レ 岩見沢7:46→9:43小樽
830レ 岩見沢8:31→10:25小樽(夏季は蘭島へ延長:「らんしま4号」)
832レ 岩見沢9:37→11:28小樽
834レ 滝川 10:14→ 13:02小樽
836レ 岩見沢11:52→13:14手稲
838レ 岩見沢12:26→14:26小樽
840レ 岩見沢13:13→15:07小樽
842レ 滝川 12:52→ 15:29小樽
844レ 岩見沢14:12→16:09小樽
846レ 滝川 13:38→ 16:35小樽
2848レ 旭川 13:04→16:32手稲
920レ 岩見沢15:32→17:24小樽
922レ 岩見沢16:07→18:02小樽
924レ 滝川 15:40→ 18:33小樽
926レ 岩見沢17:12→19:08小樽
2928レ 旭川16:04→20:05小樽
930レ 岩見沢18:57→20:50小樽
932レ 岩見沢20:13→22:12小樽 (JR時刻表1988年8月号より)
あらためてすごい!片道22本もある。当然下りも同規模だったはず。
さずがに札幌発21:25 44レ普通 函館行き(函館着5:09)は廃止済みです。この旧客44レにS51年8月に1回だけ乗り通したことがありますが、大雪山下山の数日後で旅行の帰り→乗車後 即爆睡。目覚めたら函館着で、函館観光は体中が筋肉痛で たしか半日くらいぼおっとしていました。
1988(S63)年当時、小樽以西の山線区間は逆に客車は無く、全てDCになっていました。臨時の「SL C62ニセコ号」を除いて。
さかのぼって 1974(S49).3.26 札幌19:58着の103レ「ニセコ2号」 ED76 518(岩二)
函館発14:30→19:14小樽19:23→19:58札幌
このペアとなる上り「ニセコ」104レこそ、この数年前に C62重連で沸かせたあの伝説の「ニセコ」です。
ニセコ1号101D(函館5:05→10:06札幌)とニセコ2号404D(根室8:30→23:05函館)はキハ56系でした。
ED76 518(小樽からの短区間のみ登板。小樽まではDD51)
右はキハ21 21+キハ21 102 札沼線20:13発の635D浦臼行きのようです。
1974.3.26 札幌21:20発 317レ 「利尻」稚内行き
DD51 1050+10連 (旧客・オロハネ10・オハネフ12・スロ・マニ・スユなど)
こちらは牽引機がED76 500台ではありませんが、10系軽量客車は北海道仕様の500番台でした。
1974.3.26 札幌21:30発417レ 「狩勝4号」
釧路着は6:15。DD51 639+12連 ハは指定席の2両のみで自由席は無し。やはり10系寝台客車は500番台です。
寝台付き夜行急行に ごくまれにあった「自由席無し」のエリート列車。
夜行急行は自由席付きがあたりまえだった時代ですが、寝台か指定席かグリーン車の予約を取らなければ乗ることさえ出来ず、時刻表には四角いワクに囲った「寝台列車」の表記がありました。よって、そういう列車は繁忙期には自由席主体の増発臨が走ることも多かったですが、この「狩勝」だけは増発臨の「狩勝53号」も「寝台列車」の表記(上下とも)があり、増発臨は全車座席指定だった「銀河」以上の貫禄がありました。
1974.3.24 札幌22:15発の517レ「大雪5号」網走行 に組み込まれたオロハネ10 505
22:25発423レ釧路行乗車前にパッと撮ったもので、やっとナンバーが読める程度。釧路行き423レも混雑が激しく、この夜の座席を確保するのに必死でした。夜行急行「狩勝」が定期・臨時とも「北海道ワイド周遊券」では乗れないので、道東への旅行者が423レに集中していた感があります。
この写真の夜行「大雪5号」は札幌から旭川まではED76 500番台の牽引でしたが、このような事情(乗車の423レと発車時刻が近接)によりED76を撮影できなかったのが残念です。後日上りに網走→旭川 で乗車します。
夜行「大雪5号」(上下)の牽引は札幌⇔旭川ED76 500番台、旭川⇔遠軽、遠軽⇔北見DD51、北見⇔網走C58でした。
↓は その 517レ~1527レ 「大雪5号」 C58 391+11連 (ハ車1両増結)
美幌に前夜から泊まって朝の1527レを待ちました。宿から30分近く雪道を歩いたので、ゴム長の足が冷たいこと・・・しかし大迫力に圧倒され、苦労が報われた思いがしました。
1974(S49).3.28 7:13頃 517レ~1527レ「大雪5号」 美幌~西女満別にて
札幌22:15発~0:47旭川1:02~4:03遠軽(方向転換)4:18~5:42北見6:15(ここから普通1527レに)~6:58美幌7:10~7:56網走
北見・美幌付近から網走への通勤にはこの列車が使えるんです!
1527レ大雪5号
C58 391+荷物車+郵便荷物車+オハネフ12 510(1号車)+オハネフ12 509(2号車)+オロハネ10 503(3号車)+スロ54 504(4号車)+スハ45 26(5号車 札サウ座席指定)+スハ45 22(6号車 札サウ)+スハ45 6(7号車)+スハ45 28(8号車 札サウ)+スハフ44 15(9号車 札サウ)←遠軽方
4号車グリーン車・5号車の座席指定は札幌~北見間以外は自由席、6~9号車は全区間自由席。自由席を1両増結中。
(所属区は、後に網走で確認できたもののみ記入)
貴重な オロハネ10 503 (3号車A・B寝台合造車)
このあとは、呼人付近で上り「おおとり」やC58貨物を撮影。網走へ出て湧網線(中湧別~網走間)の9600貨物、釧網本線のC58混合列車(客車+貨物)を浜小清水付近で撮影。
夜には北見までC58牽引の1528レ~518レ「大雪5号」に網走→旭川 と乗車し、宗谷本線へ向かいました。