477) に続いて、富士急(6月8日)です。
寿~三つ峠にて
富士急⇔JR中央本線(東京駅)との直通運転の普通列車は、早朝の上り2本・夜間の下り2本はE233系ですが、午前に1往復だけ高尾⇔河口湖の直通があり、豊田車両センターの115系M編成3連が使われています。
9:14 1453M 高尾7:46→9:33河口湖(土休の時刻)
クハ115-412 モハ114-361 クモハ115-325←高尾方 (トタM12)
1453M すごい急勾配!
平坦線では決して聞くことのできないギリギリという足周りのキシミ音とモーター音とともに登ってゆきました。
この区間三つ峠~寿間は、1駅間で標高差が94mもあります。例えると、115系の4連を天からタテにつるした高さに近いものがあります。DC急行アルプスがあった時代は、過酷な線区だったことでしょう。
11:08 4542M ・・1453Mの返しです。トタM12
河口湖10:45→11:42大月11:46→12:22大月
下りとは違って、こちらは大月で 甲府10:39発の542Mと併結し 高尾行きとなります。したがって列番も542Mに準じた番号。
寿駅に着いたときは晴れ間があったのに、小雨が降ってきました。山間部で天気が変わりやすいようです。
11:18 705レ フジサン特急5号 大月10:49→11:34河口湖
クモロ2202 モロ2102 クロ2002←大月方 (2000系第2編成)
元パノラマEXPアルプス(PEA、西ミツ車)の、クロが(中央線在線で)新宿向きの編成で、クモロ・クロが165-4 の編成でした。6連を組んだときは1~3号車となりました。PEA化時に方転されています。
このPEAの-4 の編成は、もと松本→三鷹(1986.11.1転入)の
クモハ165-123 モハ164-846 クハ165-148 で、
元幕張(→三鷹転入はこちらが先)の
クモハ165-127 モハ164-850 クハ165-192 とともに1986年10・11月頃大井工場に改造のため入場し、完成は1987.3.12(-3の編成 元マリ)、同3.19(-4の編成 元モト)でした。
完成したパノラマEXPアルプスは、国鉄最後の日 1987.3.31に新宿発着で中央東線方面へ運転されました。大混雑の新宿駅でやっと撮れましたが、ほんの記録程度の出来でしかありません。。
17:16 714レ フジサン特急14号 河口湖16:56→17:45大月
クロ2001 モロ2101 クモロ2201→大月方 (2000系第1編成)
PEA時代は、クロが松本方を向いた クロ・クモロが165-3 の編成で、6連時には4~6号車となりました。
PEAになる前の165系湘南色時代、この3両は元は幕張の165系で、もともとは千倉電化(S44.7=1969年7月)の急行「うち房」でデビューした車両。齢44年を数えます。S62(1987)年にPEA化されてからでも26年経ちます。
もう1本2002Fのクロ2002(元クロ165-4・・・元はクハ165-148)はもっと古い!
S57.11改正で房総急行が廃止となったあとの、千マリの165系のゆくえ・動きをまとめてみました↓
http://ameblo.jp/nagisa04/entry-11522873948.html
興味のあるかたはこの記事の後部をご覧ください。
13:30頃の河口湖駅
9レで9:17に河口湖に着いていたリバイバルカラー第2弾の1001+1101(現在、種車の5113+5863を表記)が休んでいます。
すぐ左側には、リバイバルカラー第1弾の1202+1302(元京王デハ5116+クハ5866)が見えます。長く続いた富士急オリジナル色で、私にはこの色がいまだに最も富士急らしく思えます。この車両は元京王車ですが、そういえば、国鉄115系似の3ドアセミクロスシート車(富士急オリジナル車で富士急色)は、まだ新しいと思っていたのですが、もう無くなっていました。
右側奥の方には赤X白+青X白 の1201+1301+1206+1306が見えています。
左の205系京葉線色の電動車は6000系の部品取り用と思われます。ナンバーがテープ貼りで消された状態でMM'1ユニットがとめ置かれています。
部品取り用といえば、元165系のフジサン特急2000系の部品取り用と思われるクモハ169-27(元八ミツ車) が富士山駅のはずれに置かれています。
下吉田の構内には スハネフ14 20が。「ブルートレインテラス」となっています。
テールマークは「富士」、★★★の「B寝台」、妻側のサイドの表示は「特急富士 西鹿児島」となっています。
桜の季節には「さくら」表示に切り替えるのだとか・・
その「ブルートレインテラス」の案内ポスター。都留文科大学前にて。
車内開放時間には注意が必要です。