今回、架線下DCを特集するにあたって、(これははずせないよなあ)というところについては、過去に掲載した写真もありますので、その点ご容赦ください。
昭和48(1973)年1月19日 安房鴨川1番線に、S47年7月の電化で 外房線では消えたハズのキハ28系DCが!
前年のS47年7月に一周電化が成った房総線(内房線・外房線)。
以降DCは、木原線用を除いて全く見かけなくなりましたが、この日、安房鴨川発成田行の団臨(千成OO?)はキハ28・26の9連!!前面幕には「臨時」とあります。
下り方最後部の キハ28 2979 (千チハ)
編成内での9号車を、案内上は11号車 とするのは、この手の団臨によくあることで、忌み番号を避け、案内上の4・9号車を欠番としたため。のちの165系「なのはな」も4号車は「寿号車」となっていました。
座席でゆったりと新聞を広げる年配の乗客が見えます。やはり乗換え無しで成田まで直通というのは魅力的で、高速道路が少なかった時代には便利がられて、利用もそれなりに多かったようです。
S48.1.19 7:20頃 安房鴨川1番線(手前)が、安房鴨川発 成東経由 成田行 の 千成OO?キハ26・28の9連
この日は内房線経由の成田臨も運転。
3番線(向う)がそれで、安房鴨川発内房線・千葉経由成田行 千成OO?の113’系8M2Tです。新製されたばかりの各停用113’系冷房車4M2T を2本つないで、中間のクハ2両を抜いた8M2Tの10連。
この113’系はしばらく前に回送で到着していて、側線に停車していたと思われます。5022M わかしお1号 が 7:19に発車した後の3番線に転線を終わり入ってきました。
あと2分くらい早く撮影開始できていたなら ここ3番線に 5022Mわかしお1号 東京行きが止まっていて並びも撮れたはずですが、間に合わなかったようです。この日撮影のコマの最初には、ここから太海方にある 太1号踏切で撮ったと思われる113’系のサイド表示が写っていて、転線中で踏切を長くふさぐ113’系に足止めされていたんだと思います。
この113’系はすぐに7:23に内房線方へ発車してゆきました。太海・江見・和田浦・・・とこまめに客を拾うはずで、 黒砂信号所でスイッチバックし成田に向かいます。
房総一周電化、総武快速登場からまだ7か月。快速線や以遠まで直通する快速向けに113’系モノクラス11連(下り11号車方から7+4連)が大量に登場しましたが、それらはみんな冷房準備車で、設置ワクはあるものの屋根上のクーラーは載っては いませんでした。最初からクーラー搭載の113’系を撮影したのはこれがまだ2~3回目だったと思います。
秋か暮れあたりから4M2T編成が ローカル向けに落成し始めていました。MM'ユニットのナンバーで1112~1119の4本です。これらは最初 実際にローカル向けに投入されてゆきますが、数年後には快速編成と組み換えされてゆき、快速線の冷房化率アップに貢献してゆきます。かわりにローカルには東海道・横須賀線などからボロの113系非冷房車が続々と・・・・。
2018年1月まで運転されていた内房線内発の成田臨。木更津まではほぼ各駅に停車していましたので、このころも多分同じかと思われます。113’系11連も(交換駅の線路有効長上)入れる館山~安房鴨川間なのにわざわざ10連を組成したのは、各駅で乗車・下車させるには、ホーム有効長が10両までしかなく、1両を「ドア閉」しなければならないから、と思われます。もっとも、新しい車両を成田臨に、という意向があったかもしれないし、快速用の113’系11連に本数の余裕がなかったかもしれませんが・・・。
なお、最近は房総南部は短編成ばかりとなり、有効長がどうだったか、を忘れがち。
各 交換駅の線路有効長は、大原~勝浦~安房鴨川~千倉~館山~木更津間は11両。実績として113’系の休日運転(年間)の快速や夏季の「白い砂」「青い海」が安房鴨川 および千倉まで来ていて、一部の駅でドアカットしながら各駅に停車していたし、安房鴨川終着の休日運転の名無し快速(113’系11連)が和田浦駅海側の側線か千倉3番線へ回送されていたこともありました。
165系循環急行「みさき」「なぎさ」は勝浦~館山間各停になりましたが、夏季の増結で10両になっても行川アイランド以外ではほぼ全ドア開、としていたと思います。行川アイランドでは、10両の場合は1両、11両の場合は2両が終点方のトンネルの中に止まったまま 1ないし2両をドアをあけずに客扱いしていました。
今でも、勝浦から各停5271Mになる「わかしお21号」は10両編成のまま安房鴨川まで行きますので、同じ体験ができると思います。(わかしお17号も勝浦から各停ですが、上総一ノ宮から5両となります)
上総一ノ宮以南に決して10両編成の普通電車が入らないのは、途中の特急 (およびかつての快速)の通過駅がホームが短いためです。
将来、長いホームは構えているものの、「この先には電車は止まりません」というサクが設けられて立ち入りできなくなるようで、それはがっかりですねえ。全国の、かつての幹線(=今ではローカル線)に結構見られますものねえ。
東線経由成田行きは 安房鴨川 7:37発車
勝浦→大網短絡線(旧 房総東線)→成東→佐倉(スイッチバック)→成田 と走ります。
待崎川の鉄橋を渡って 成田へ向かってGOっ!
向こう側先頭から数えて 3・4・5・6・8両目にキハ55系のキハ26 が見えます。
こちら最後部 キハ28 2979。
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S47~49年秋ごろになんといっても架線下DCが多かったのは千葉~佐倉間。総武本線経由でも成田線経由でも、銚子へ向かうのはみな気動車か客車でした。
S49(1974).10.23 15:03 357D銚子行き(後追い)
最後部はキハ10 3。 向う側先頭はキユニ19 1 四街道~物井
この列車、当日の発車前を千葉で見てきたと思います。
向こう側キユニ19 とその次のキハ45の2両組は、3両目以降とは別の荷物車運用、と運用が別になっていました。でもキハ45のほうには客はふつうに乗れたはず。3両目以降はキハ30・35形が多いです。
同日15:06 358D 銚子発13:08→15:17千葉
3両のまま千葉まで来るとは極端に短いな。
キハ55 4+キハ20+キハ26 431←銚子方
(以下次号へ)