先日の土日に、外房線を115系湘南色(高タカの4連)が両国~勝浦間で団体臨として運行されましたが、ヘッドマークには「そと房」が付けられました。
しかし、これって今まで現役時代には無かった姿。では一番これに近い姿といえば何だろう?と考えると、「うち房」ならS45~S46年の房総夏季ダイヤ中に実際に115系で存在していたことを思い出しました。
今回、当時の写真を掘り出しましたのでご紹介します。
165系に比べていわゆる「遜色急行」で、もちろん全車非冷房。WCも各車にはなく、狭いセミクロスシート、デッキ無し3ドア・・とあって、乗車時の選択肢からはたいていもれており、115系急行に房総で乗車した記憶はありません(113系季節急行「うち房」なら数回乗車)。
撮影枚数もわずかでした。113系横須賀色と比べて、濃淡があまり無くモノクロだと見栄えがしないこともあります。
千倉電化はS44年7月、その2年後のS46年7月には房総西線安房鴨川電化が成りました。
その頃の夏季ダイヤ中には、急行は165系だけでは足らずに、津田沼電車区の113系(スカ色6連)を在籍7編成中4~5編成を季節および一部の定期「うち房」に投入。それでも足りない分は、北ヤマ(小山電車区)から115系を8連に組みなおして借入れていました。おそらく2か3本の規模だったのではないでしょうか(1本のみではないということ)。
ほかに、G車無しの臨急の一部には西ミツ(三鷹電車区)から165系、または南チタ(田町電車区)からモノクラス編成を借りていた可能性もありますが、当時実見できませんでした。あるいはその前の時代かもしれません(S60年夏の臨時快速「なぎさ」は三鷹車でしたが)
s46(1971).8.15 17:56 回6107M
千倉終着16:40の 6107M「うち房7号」が回送で千倉から安房鴨川へ到着。
小山区の115系8連
パンタの位置・数から6M2Tとわかります。
TcMM’MM’MM’Tc→安房鴨川方
向きが逆転し、下り方が偶数車になっています。武蔵野線は旅客線としてはまだ無く、送込み回送はもっぱら大宮~新宿~津田沼だったはず。
季節急行6107M「うち房7号」(新宿13:57→16:37千倉)は、夏季以外はG車込みの165系ですが、夏季ダイヤでは運用が変更されていました。
s46(1971).8.15 安房鴨川1804発の 8122M「うち房61号」
北ヤマ区から借入れの115系8連。向う3番線は149M(千葉14:44→17:44安房鴨川)折返し160M(安房鴨川18:45→21:24千葉)で、101系8連です。2時間40分もWC無しの列車にゆられるのは苦行でしかありません。
この前20分ほどの間に、8210D「そと房54号」が2番線から、258D千葉行きが1番線から発車したあとです。
この頃の時刻表(S46年夏季ダイヤ 1971.7.17~8.17)の一部です。
ページ全体を載せると文字が小さくなって読めないと思いますのでトリミングしてあります
↑右側にあと5行あるのですが、サイドバーが乗っていて見えません。画像をクリックして右側まで見ると、新宿13:53発6107M「うち房7号」千倉16:40着、が見えます。
今回の記事の1枚目の115系回6107Mはこの回送(千倉→安房鴨川)です。
106M「うち房3号」早いですね!
安房鴨川10:34→13:11両国、所要2時間37分。表定速度60.8Km/h。ローカル区間まで走ってこの速度なら当時では上々。
さらに 101M「うち房1号」 新宿7:00→9:49安房鴨川、なら両国~安房鴨川間であと3分速いのでした。
8122M「うち房61号」安房鴨川18:04発→21:19新宿、は2枚目の写真の列車です。
ごらんのように、G車マークの無い急行が臨時にはけっこう多く、それらが113系または115系。わずかに他区車による165系モノクラスがあったかもしれません。
五井に止る急行は少なく、逆に海水浴帰りの客を拾うため、夏季に限り竹岡停車の「うち房」もあります。館山~木更津間で、終日急行が1本も停車しないのは、那古船形と君津のみでした。君津(かつては周西)は貨物設備・側線が駅の北側に充実していましたが、優等列車とは縁がありませんでした。