本日24日、East i_E +マヤ50 5001 の外房・東金線の検測が行われました。
4~5ヶ月に1回巡回してきますが、そのうちの3~4回に1回くらいは下り方より3両目に マヤ50 5001(仙台車)を連結しており、今回はそのマヤ付きです。
まずは幕張から出発して東金線成東までを検測。
大網~福俵 福俵・・・よく考えると縁起のいい駅名ですね。秋にふさわしい。
ついでに東金も大網も縁起がいい。海も大漁、陸も豊穣。
大網跨線橋ができたおかげで、ここに新しいアングルが登場しました。ただ晴れるとサイドは逆光です。
成東で折り返してくるまで時間があったので、旧大網駅の跡に行ってみました。
この建植の位置、かつての空撮の画像 (wikipedia にS49年の空撮画像があります)と照らしあわせてみると、旧駅舎(本屋)の正面、向かってやや左側あたりにあたるようです。
それにしても、かつての駅前広場の狭かったこと!
旧駅舎のところは公園としてかるく整備されています。
向こうを大網11:26発の1643M(4連)がやってきました。千葉からの直通なので、大網4番線発です。
旧駅前の道路が東金方を向いてかくっと右に曲がる所の線路側です。
このすぐ左手に本屋はありました。
本屋のすぐホーム側には2・3番線に渡る跨線橋があり、今コンテナハウス(倉庫)が7つ並んでいるところはたぶん1番線ホーム(上り千葉方面)の東金寄りあたり、その右手の道路あたりはおそらく0番線(東金線内列車専用の行き止まりホーム)の跡と思われます。ここに東金線のキハ17・35・45等の2両編成が止まっていました。
0番線は短くて、おそらく2両か3両までしか止まれなかったんではないかと思います。
東金線には夏臨で DD51(のちにDE10)+客車(6~8両くらい)がS48年夏まで走りましたが、それらは線内列車ではなく必ず千葉駅直通でした。
近くで見たいと思いましたが、これ以上は入れません。
本線のホームでは、首から下げた駅弁売りや経木(きょうぎ)に入ったシャーベット状のアイスクリーム売りが急行発着時には行き来しており、祖父に買ってもらうのが小学生の私には楽しみでした。
向こうの切り通しの感じは、旧駅舎が現役だったころと変わりませんね。
大網駅はS47年5月26日に現在の位置に移転されました。S47.7.15 の外房線電化開業の前日まではキハが新ホームに着発しており、時刻は旧のままだったので、カーブした新ホームでの停車時間がやたらと長かったです。
大網~土気間のひまわり畑があるところに向かってみましたが、もう全く面影も無く・・・でした。
そこで、かつて日本航空の研修所だか従業員用の宿泊施設があったと思われるところに通じる細道を行きます。この道はかつて(S50年代なかばくらいまでか) は細いながらも整備されていました。
今は荒れ放題。このあたりの山林も今や荒れていて、小道は枝や木っ端が堆積し狭くなり、うっかり車で入ると脱出が不安になります。遠くに置いて歩いて行くのがベター。
かつての日本航空研修所は土気駅からが正面入り口で、こちらは裏道のようでした。
今やこんなところに?というほどの場所ですが、確かに道案内の看板はこの橋の近くに立っていたのでした。
E491系が土気坂を飛ばして登ってゆきます。この先すぐに土気トンネル。
ぽつぽつと雨が来ました。東のほうで雷鳴も。
このあと、誉田方へ向かいますが、そこでの撮影後に天候は大変なことになりました。(以下次号で)